2.貴方が美女というので
大陸歴1452年。
かつて大盗賊団ゼノン一家の戦頭バルバロッサが、帝国の交易都市ゼネビアを道連れに自爆してから、およそ十八年の歳月が流れていた。
大陸の季節は四柱の神々が司っているという。創造神アスタロトの極寒が終わり、今はちょうど、力の女神アーティアが新たな生命に息吹を与える頃合いだ。
だが、酒の神ロッソと鋼の神フェルムが年中酒宴を開いているという逸話の通り、ここ『砂塵の傭兵団』の酒場は、季節など関係なくむさ苦しい熱気と酸いエールの匂いが充満している。
血と土埃にまみれた男たちが勝利のどんちゃん騒ぎを繰り広げる中、喧騒からそこだけが切り離されたような薄暗い部屋の片隅で、銀髪の戦士ライカ・ローサはひとり静かに安酒を呷っていた。
『――今回も、武功が足りない』
ライカの内側、脳の奥底で、本来の肉体の持ち主であるエルマが不満をこぼす。
あのベルン領の悲劇からおおよそ二年。家名を捨て、偽名を使い、髪を銀に染め、泥水をすするような傭兵生活をしてきた。
(ハッ、しけてんな。いまはロッソの宴に感謝でもしとけ。俺は神なんてもんに信仰はねぇがな)
その思考を鼻で笑い飛ばしたのは、彼女の内に同居するもうひとつの魂――かつて大陸を震え上がらせた悪鬼、バルバロッサである。
ふと、ライカの視界の端で動く影があった。
離れた席で、酒焼けした顔の団長から何やら理不尽な命令を押し付けられていたらしい、頼りなさげな男。彼が、まるで処刑台へ向かうかのようにひどく顔を顰めてこちらへ歩いてくる。
ライカの周囲に漂う絶対零度の空気に怯え、他の傭兵たちが露骨に道を譲る中を、男は引きつった顔で進んできた。
(ザックと言ったか)
ライカよりも数日早く、この吹き溜まりのような傭兵団に入団した男だ。
怯えたような目をしているくせに、どこか死線を潜り抜けてきたしぶとさを隠し持っている。ライカは杯を傾けたまま、その男の接近を待った。
「よ、よお。ライカ」
なんとか絞り出したような愛想笑いを浮かべ、ザックが声をかけてくる。その額には嫌な汗が浮いていた。
「……なに?」
ライカは手元の杯から視線を外さず、低く応じた。
「いやな。団長のやつがよ。俺とお前の二人で、ひと仕事してこいってさ」
「へぇ。どんな?」
ライカがゆっくりと顔を上げる。蝋火のあかりを孕んだ銀糸の髪が揺れ、その視線がザックを捉えると、彼は射すくめられたようにびくりと肩を震わせた。
「マ、マルチダ村の近隣で、最近人がいなくなる事件が起きてるんだとよ。八割方魔物の仕業だって話だ。それの調査と、もし魔物なら片付けてこいってさ」
『魔物か。この間のゴブリンより、実入りがいいといいけど』
(小娘、もっといい酒はねぇのか)
内側でかつての令嬢が冷静に損得を弾き、悪鬼は退屈そうに酒を求めている。
ベルン領での悲劇から二年。死と隣り合わせの日々を生き抜いてきた今の彼女は、魔物という単語程度で悲鳴を上げるような、か弱い存在ではとうになかった。
「依頼主は?」
無駄を削ぎ落とした端的な問いに、ザックは拍子抜けしたように頭を掻いた。
「さぁな。ま、村長ってのが王道だろ?」
(酸味が足りねぇ)
内心で悪鬼がひとりごちる。
ライカは微かに、獰猛に口角を歪めた。
「……いいだろう。行くぞ」
「ちょ、いまから!?」
「迅速に。正確に。確実にがモットーなもんでな」
ライカは音もなく立ち上がると、ザックの革鎧の首根っこをガシッと掴む。急所と重心を的確に押さえた万力の如き拘束に、大の大人であるザックは身をよじることすらできない。そのまま有無を言わさず、酒宴の部屋の出口へと引きずり始めた。
「勘弁してくれ! 美女に腕引かれるのがこんなに嬉しくないことあるかよ……!」
「ほう、美女とは中々に嬉しいことをいってくれる。ならば文句はないな?」
「文句しか言ってねえだろうがよ!」
ザックは涙目になってボヤきながらも、夜の闇へと引きずり込まれていく。その背中へ向けて、酒場の連中は、
「ヒューッ! ザック、美女とお熱いねぇ!」
「骨は拾ってやるよ!」
と口笛を吹いて、悪ノリではやし立ててきた。ライカはそれを一瞥もせずに酒場を後にした。
* * *
「おい、ライカ。お前、野営道具とかどうするんだよ。それにもっと詳細を団長からだな――」
「道具などいつもあるわけではないだろ。どうにかなるものだ。詳細もだ。行けばわかる」
「へいへい、俺は凡人だってのに。わかりましたよ、ライカお嬢様」
「……お嬢様はやめろ。私は戦士だ」
(チッ、小娘。終わったら酒をたらふくだぞ)
内側で悪鬼が不平を鳴らす中、ライカは表情ひとつ変えずに歩みを進めていく。
月明かりすら乏しい暗い夜道。ザックも流石にこんな時間から出発するとは思っていなかったのだろうが、ライカが強行したのだ。
とはいえ、お互いに荒事に慣れた傭兵稼業。夜襲の経験もあるため、暗闇の行軍自体には慣れていた。
二人は会話も少なく、魔物が潜むというマルチダ村の近隣の森へと足を踏み入れていく――。
「今日はこの辺だな」
夜も更け、あと数刻で日が昇るといった時間帯。目的のマルチダ村へは、ここからあと半日といったところか。
二人は森の開けた場所で足を止め、簡素な野営の準備を始めた。
「なぁ、ライカ」
「あん?」
振り返ったライカの顔を見て、ザックは思わず目を瞬かせた。そして、まるで人間の皮を被った得体の知れない化け物でも見るかのように、その顔を強張らせて引き攣らせる。
「いや、なんでもねぇ。俺は寝るぞ」
これ以上深く関われば命が縮むとでも言いたげに、ザックはそそくさと外套を被って横になった。見事な生存本能だ。
やがて、ザックの規則正しい寝息が聞こえ始めると――ライカはそれを合図にしたかのように、おもむろに外套の裏から、道中の暗闇で密かに摘み取っていた得体の知れない草花を取り出した。
小さな携帯鍋に水を張り、無言のまま、チロチロと燃える焚き火でそれを煎じ始める。
パチ、パチと爆ぜる火の粉。
やがて鍋の中身は粘液へと変わり、甘いような、それでいて少し刺激があるような異臭を微かに漂わせ始めた。
眠りこける相棒の傍らで、金色の瞳のライカは、ただ獰猛に口角を歪めていた。




