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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
二章 狼と薔薇の輪舞曲(ロンド)
32/39

1.ライカ・ローサという女

 ライカ・ローサという女がいる。

 血と臓物の匂いがこびりついた傭兵の溜まり場。勝利のどんちゃん騒ぎで馬鹿どもが安酒を呷る中、部屋の片隅で、そいつはいつも一人でグラスを傾けている。

 月の光を溶かしたような銀色の髪に、ぞっとするほど整った美貌。だが、どんなに欲情した荒くれ者であっても、彼女に声をかけようとする命知らずは一人もいない。彼女の周囲だけ、まるで絶対零度の結界が張られているかのように、他を寄せ付けない冷たく禍々しい空気が纏わりついているからだ。


 ライカ・ローサという女がいる。

 俺たちの底辺傭兵団に彼女がふらりと現れたのは、凍てつく『アスタロトの季節』の終わりのことだった。

 今は豊穣の『アーティア』が力を授けてくださる季節。およそ六十日前だ。それなのに、古参の傭兵はおろか、団長でさえも、今や彼女の顔色を窺うようになっている。


 ライカ・ローサという女がいる。

 普段はただ静かに酒を飲むだけの、線の細い女だ。

 だが――一度戦場に立てば、彼女は鬼神バケモノになる。

 令嬢のように華奢な腕で、不釣り合いな無骨な短剣を振り回し、笑みを浮かべながら敵の首を刎ねていく。その死地を楽しむような獰猛な戦いぶりは、ただ生き残るために泥水をすすってきた俺たち凡人の傭兵とは、根本的に作りの違う『純粋な殺戮者』のそれだった。


 俺、ザック・ライトは、あんなイカれた女には絶対に関わらないでおこうと、心に固く誓っていたはずなのだが。


(こんな目の覚めるような美女に、なんで誰も手を出さないのかって?)


 誰に聞かれたわけでもないが、俺は安いエールを喉に流し込みながら、心の中で一人ごちる。

 そりゃあそうだ。忘れもしない。あれは彼女がこの傭兵団に入って間もない頃、国境近くの荒野で野営をしていた夜のことだ。

 深夜、静まり返った闇を切り裂くように、男の凄惨な悲鳴が上がった。


「敵襲か!?」


 俺たちは跳ね起き、武器を掴んで声のした方へと駆けつけた。

 悲鳴が上がったのは、新入りのライカがあてがわれた粗末なテントの付近。だが、そこに敵兵の姿はなかった。

 代わりに転がっていたのは、見知った顔――うちの傭兵団でも女癖の悪さと腕っぷしで知られていたヤチフの、胴体と綺麗に『さよなら』してしまった首なし死体だった。


 月明かりの下、どくどくと血を噴き出す死体の傍らには、返り血で銀髪をべっとりと赤く染めたライカが静かに立っていた。

 その手には、華奢な腕には不釣り合いな、血濡れた無骨な短剣が握られている。


「おい、こりゃどういうことだ? ライカ」


 血の匂いに顔を引き攣らせながら、団長が剣の柄に手をかけて問い詰めた。

 一歩間違えれば、団員を殺した罪で全員から刃を向けられる状況だ。だが、ライカの顔には焦りはおろか、一切の感情すら浮かんでいなかった。ただ、菫色に輝く眼だけが、暗闇の中で獰猛な光を湛えて俺たちを見据えていた。


「こいつは、私を己の慰み者にしようとした」

 氷のように冷たく、ひどく落ち着き払った声だった。

「それは戦士の尊厳に対する、明確な侮辱だ。……戦士は尊厳を泥で汚されたらどうする? 殺すだろ」


 当然の真理を説くように、彼女は事もなげにそう言い放った。

 言い訳でも、弁明でもない。ただの『事実』としての処刑宣告。その瞳の奥にある底知れぬ狂気を覗き込んだ瞬間、俺を含めたその場の全員が理解した。

 こいつは、人間の皮を被った別の生き物だ。不用意に触れれば、今度は自分の首がヤチフのように胴体と別れを告げることになる、と。


 まぁ、こんな具合で、あの事件を知っている古参の奴らは、誰も彼女に手を出さないんだ。

 稀に事情を知らない新入りや、他所の馬鹿な命知らずが、あの氷のような色気にやられてちょっかいを出し、あっけなく命を落としていく。


 * * *


「おいザック。お前、ライカとは同期みたいなもんだろう。二人で行ってこい。同期同士仲良く仕事してこい」


 団長は、酒で赤くなった顔をニヤつかせながら俺の肩を叩く。

 同期。たしかに、そいつは事実だ。だが、同期だからって、火薬の詰まった樽の隣で松明を持たされるような真似をさせないでほしい。


「うす……了解です、団長」


 俺は精一杯、感情を殺した声で短く答えた。

 内心では、ふざけるな、と毒づきながら。


「……たまったもんじゃないぜ」


 団長が離れた後、俺は遠く離れた隅で一人、静かにグラスを傾けている『銀狼』を見遣る。

 銀色の髪が、部屋の灯りを弾いて禍々しく揺れている。

 やめてくれ。俺の凡人の勘が、さっきから警鐘を鳴らし続けているんだ。

 こいつの傍にいると、死の匂いがする。


 ただ戦場が近いからとか、こいつが強いからとか、そんな単純な話じゃない。ライカ・ローサという女の周囲には、理不尽な破滅を引き寄せる『厄介な匂い』がプンプンと漂っている。

 関われば、間違いなく俺の平穏な傭兵生活(といっても泥水と血反吐の日々だが)が、根こそぎひっくり返される。そんな確信があった。


 だが、団長の命令は絶対だ。

 俺は足を引きずるようにして、その『厄介の塊』が座るテーブルへと歩き出した。

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