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大悪令嬢 ー最凶の悪鬼と貧弱令嬢ー  作者: ぐんそう
第一章 砂糖菓子の夢に溺れて死ね
2/28

2.なっちまったもんは仕方ねぇ

「あいたた……うぅ、腕が上がりません……」


 壊れた扉の処理をメイド長のマーサに任せ、お父様が廊下で説教を受けている隙に、エルマは隣の客室へと避難していた。


 昨日の乗馬訓練がもたらした全身の筋肉痛が、容赦なく14歳の身体を苛んでいる。使用人の少ないベルン男爵家では自分で着替えるのが日常だが、今日は質素な綿のドレスに袖を通すだけでも一苦労だ。


「痛っ……痛いですぅ……」


 エルマはベソベソシクシクと情けなく泣き言を言い続ける。


(……チッ。いちいち泣き言を喚くな。こっちまで痛みが響いて鬱陶しい)


 脳内に響くドスの効いた声にビクッとしつつも、エルマはどうにか着替えを終え、部屋の隅にある姿見(鏡)の前に立った。


(……さて。なんだかわかんねぇが、身体が別もんになっちまったことは事実だ。ここで考えすぎて行動を止めるのは三流だな。俺がどんな間抜けな器に収まっちまったのか、見せてもらおうじゃねぇか)


 バルバロッサの意志が働き、エルマの視線が無理やり鏡へと向けられる。

 そこに映っていたのは――自信なげに背中を丸め、痛みに顔をしかめている小柄な少女だった。幸の薄そうな表情が特に映える。


(……なんだこの、日陰で震える小動物みてぇなツラは)


 バルバロッサは呆れ果て、ふと鏡の横の壁に掛けられた一枚の『肖像画』へと視線を移した。

 そこに描かれているのは、春の陽だまりをそのまま編み込んだような金糸の髪と、透き通るような白い肌を持った、絶世の美女。


 思わず口笛を吹く。物理的に聴こえないが脳内に高い音が鳴る。


 バルバロッサは、輝くような妖精の肖像画と、鏡の中で猫背になっているうらぶれた野良猫エルマを、胡散臭げに見比べた。


(おい小娘。横に飾ってあるこっちのべっぴんさんは、テメェの母親か?)

『……はい。お母様です』


(……トンビが鷹を生むたぁよく言うが、こいつは逆だな。上等な素材は揃ってんのに、なんでテメェはこんな陰気臭ぇツラしてやがるんだ)


『うぅ……だって、お母様は……かつて『王国の至宝』と謳われた、本物の高位貴族のお嬢様だったんですよ! 私なんかとは大違いです……。それに今、体中痛いんですもの……』


(ほう。高位貴族ね……。身なりからして伯爵か、いや侯爵家か。そんな上流階級の『至宝』が、なんでこんな貧乏くせぇ貴族の家に嫁いでんだ?)


 バルバロッサは鼻で嗤う。


(こちとらついさっき、『帝国の秘宝』とかいう代物ごと、帝国軍数千人を巻き込んでド派手に自爆ハナビあげしてきたばかりだからな。それに比べりゃ、こっちの国の宝は随分と品の良いことだ。まぁ、こいつじゃ俺は殺せねぇ)


 バルバロッサはため息をつき、再び鏡の中のエルマを見据えて、無言で右腕を曲げ、力を込めてみた。

 しかし、そこに鋼鉄の筋肉が隆起することはなく、ただ白くて柔らかい肌がぷにっと自己主張するだけだった。


(…………嘘、だろ)

『……な、なんですか』

(なんだこのヒョロ枝は!! 筋肉がミリも存在しねぇじゃねぇか! これでどうやって大剣を振るえってんだ! 少し重たいモンを持っただけで手首がへし折れるぞ!)


 ただでさえ筋肉痛で痛む腕を勝手に動かされ、エルマは涙目になりながら抗議の声を上げた。


「ひ、ヒョロ枝じゃありませんっ! 私だって厨房のお手伝いをしてます! フライパンくらい、ちゃんと振れますぅぅ!」

(フライパンと両手剣ツーハンデッドを一緒にすんなバカ娘!! てめぇのその細腕じゃ、雑魚の頭一つカチ割れねぇぞ!)

「割らなくていいです! 私はお料理ができればいいんですぅぅぅ!」


 鏡の前で、ひしと自分の細い腕を抱きしめながら、一人で「フライパンが振れるもん!」と口喧嘩をしている。

 はたから見れば完全に頭のおかしい光景だった。


(……ハァ。綺麗じゃねぇ。まぁいい、口と耳はまともに機能してるんだろ。ならやりようはある。とっととメシに行くぞ。まずは『ここがどこで、今がいつか』を探らねぇと始まらねぇ)


『メ、メシ……? 朝のお茶とお菓子くらいなら出ますけどぉ……うう、なんか物騒なこといってるよ』

(……チッ。なんでもいい、さっさと案内しろ)


 * * *


 ベルン男爵邸の、質素だが温かみのある食堂。

 筋肉痛でギクシャクと動くエルマがマーサの手作りクッキーと紅茶を口に運ぶ中、テーブルの向かいでは、お父様とメイド長のマーサが深刻な顔で羊皮紙の束とにらめっこをしていた。


「……バルデ子爵の領地を通る街道の通行税が、また引き上げられただと?」

「はい、ガルム様。名目は『街道警備費の増額』とのことですが……実態は、我がベルン領の交易を締め付けるための嫌がらせに他なりません」


 マーサの冷ややかな報告に、お父様は眉間を深く揉み込んだ。

 バルバロッサは、エルマの視覚と聴覚を通して、その会話を静かに分析する。


(……なるほどな)


 エルマの脳内で、バルバロッサが思考を巡らせる。

 どうやらここは、帝国と長年対立している『オルディス王国』の辺境らしい。

 机の上にある帳簿や、これまでの会話から察するに、この『ガルム』という男は決して政治ができない馬鹿ではない。むしろ無駄を削ぎ落として堅実に領地を回している、そこそこ優秀な部類の領主だ。


 だが、敵のやり口がチンケすぎた。


 あの殺気を纏うほどの腕一つで成り上がり、高位貴族の出身であり『王国の至宝』と呼ばれたアデレータを娶ったのだろう。

 歴史と血筋ばかりを重んじる中央の腐った貴族どもや、近隣の領主(バルデ子爵など)からすれば、これほど嫉妬と憎悪の的になる存在はない。


「このままでは、冬を越すための備蓄に影響が出ます」

「……領民への税はこれ以上上げられん。屋敷の予算をさらに削ろう。それと、私が戦える者を連れて北の森へ入り、魔獣を狩って素材を金に換える。それでなんとか急場を凌ぐしかない」


 ガルムのその言葉を聞いて、バルバロッサは深く呆れ返り、同時に盤面のあまりのお粗末さを嘲笑うように鼻を鳴らした。


(……有能で、真面目で、善良。だが、クソ真面目だ。盤面ルールそのものが腐りきってんのに、正攻法で戦おうとしたって、いずれジリ貧になって食い殺されるだけだぜ)


 悪意と権力で殴ってくる豚どもには、それを上回る『盤面返し』で対抗するのがまぁ、セオリーか。

 そして、ここの貴族どもは甘い。やるなら仕返しができないくらい、つまり、殺すのが1番だ。中途半端に手を出して、安全地帯と思い込んで高笑いしてることだろう。


『……? 性悪さん? どうしたんですか、急に静かになって』

(……アァ? 性悪だ? ちげぇな。それはちげぇ。極悪だ。極悪人バルバロッサだ、覚えとけ小娘)

『ひっ、はい!? ご、極悪人さん!?』


 脳内に響く声が、先ほどまでの呆れ声から一転、獲物を見つけた肉食獣のような『低く、甘い声』に変わる。


(この国……随分と面白れェおもちゃ箱じゃねぇか。貴族ってなぁ、楽しめそうだ。匂うぜ。悪の匂いだ)


 バルバロッサは、エルマの意識の奥底で、ゆったりと極上の笑みを浮かべた。


(筋肉痛でまともに動けねぇポンコツボディってのも、悪くねぇ。……なあ、小娘。侵略開始だ。国盗りよ)

『――――は?』


 エルマは、口に含んだ紅茶を、危うく盛大に吹き出しそうになった。

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