28.大剣くらいなら振れるさ
「レイドルド・ハイドランド!」
和らいでいた空気を一刀両断するような、エルマの唐突な怒声。
周囲の者達が肩を震わせる中、名指しされたレイドルドは即座に居住まいを正し、深く頭を下げた。
「ハッ!」
「何故、何も言わず消えた?」
エルマからの厳しい詰問。
敵の間者を討ち取り、有益な情報をもたらしたのだ。称賛されることはあっても、咎められるとは思っていなかったレイドルドは、戸惑いに言葉を詰まらせた。
「そ、それは……」
「……死なないでよ」
(――え?)
その言葉に、レイドルドは思わず顔を上げた。
そして彼の視界に入ったのは、冷徹な帝国将軍でも、凛々しくも美しきファネリアの姫君でもなかった。
ギュッとドレスの裾を握りしめ、大切な誰かを失うことに耐えられないとでも言うように、悲し気に顔を歪めた一人の少女が立っていた。
「――ッ!?」
そんなエルマの表情を見た瞬間、レイドルドの胸を強烈な罪悪感が突き刺した。
主の為に命を投げ出すことが忠義だと信じて疑わなかった。だが、自分の命を軽く扱う独断専行が、主君の心をどれほど抉り、どれほど深い恐怖を与えていたか。
レイドルドは二の句を告げられず、ただただ、己の独りよがりな浅慮を恥じた。
「……申し訳、ございませぬ。この命、姫様の御前以外で散らすことは決してありませぬと、ここに誓います」
「散らすのも、だめ」
すかさず被せられた言葉に、レイドルドは息を呑んだ。
血の滲んだ羊皮紙を握りしめ、今度こそ己の命のすべてを彼女のために使い切る覚悟で、誰よりも深く、そして静かに平伏する。
(気持ちはわからんでもねぇんだよ)
そのひどく不器用な主従のやり取りを見届け、ザックは静かにレイドルドの傍へと進み出た。
「エルマ。お前もレイドルドも、それにベレス達だって、今日は色々ありすぎた。一旦、隠れ家に戻ろう。まずは身体を休めるべきだ」
「副長、でも闘技場から逃げてきたのに、このままじゃ……」
キースが不安げに闘技場の方角を振り返る。暴徒化した数万の観衆と、そこで一人立ち塞がったアレクを残してきているのだ。心配になるのも無理はない。
だが、ザックは飄々とした態度で首を振った。
「大丈夫だ。さっき、遠くからあのおっさんの馬鹿でかい笑い声が聞こえたからな」
「あのおっさんって……ああ、グランディークですね」
「ああ。一流の戦士ってのはな、民衆が横槍を入れて、自分を庇うような生き恥を放っておくはずがねぇんだよ」
ザックは自身ありげな笑みを浮かべて言い切った。まるで、修羅の国の王の誇りを、誰よりも理解しているかのように。
「そ、そうすか……」
キースがまだ少し不安そうにこぼす。
「そうだ。だから俺たちは、明日からのクソ忙しい展開に備えて、とっとと寝るんだよ」
「あ、副長! 俺たちはまだ仕事が残ってるんで!」
カイが思い出したように声を上げ、路地裏の奥へと親指を向けた。
「あ、そうだ。頼んだ。……死ぬなよ」
ザックが短い言葉に副長としての気遣いを込めて見送ると、カイは悪戯っぽく笑って鼻の下を擦った。
「あんなもん見せられたら、俺達だって死ねないっすね! 将軍は、俺等でも悲しんでくれるんすかね?」
「知らん!」
エルマは顔を逸らし、短く吐き捨てた。
主君の不器用な涙という最高の褒美を目の当たりにして、士気が上がった部下たち。ザックは内心で呆れつつも微かに口角を上げる。
「いってきゃっす!」
キースの元気な返事と共に、カイとベレス、ロッジもそれに続いて夜の闇へと軽やかに駆け出していく。
その背中には、疲労の影など少しもなく、狼と薔薇の隊としての誇りが満ち溢れていた。
「俺は、カイとキースにだけ命じたはずなんだが……ま、いっか」
ザックは呆れたように頬を掻いて見送ると、足元に倒れ伏していたエルマの身体を、今度は丁寧に両腕ですくい上げるように抱きかかえた。
「さっきまでは済まねぇな。逃げるために、あんな乱暴な持ち方になっちまった」
「いや、いい。いいが……ちょっと、近いな」
ザックの思ったより厚い胸板に身体を預ける形となり、顔と顔の距離がほんの数寸にまで縮まる。ザックの熱と鼓動に、エルマは思わず落ち着かない様子でスッと視線を逸らした。
(小娘、何色気付いてやがる)
『……うるさい』
脳内でニヤニヤと茶化してくる悪鬼の声を、エルマは叩き斬る。
「ザック殿、私が手を貸しましょう」
姫君を他の男の腕に預けたままにするのは忍びないと思ったのか、レイドルドが慌てて進み出た。
だが、ザックは気遣うように首を横に振る。
「いや、大丈夫だ。レイドルドも解毒したばかりで、まだ万全じゃないだろ? 無理はするな」
「いやはや……申し訳ありませぬ」
ザックの配慮に、レイドルドは恥じるように深く頭を下げた。
不器用ながらも温かい絆を確かめ合いながら、彼らはひとまずの安全を求めて、ボルガングの宿に向かって夜の裏路を静かに進んでいくのであった。
* * *
夜も更けて来た頃。ザックの予想通り、闘技場からの暴徒が追ってくる気配はなかった。
宿にもすんなりと入ることができ、エルマは限界を超えて軋む関節に顔を顰めながら、崩れ落ちるように自室の寝台へと横たわった。
『さて、悪鬼』
(うぅ、腕も足もパンパン……。おまけに熱まで……もうお傭兵さんは嫌ぁぁ……)
『……何の真似だ?』
(ちょっと既視感があってな。ヒョロ枝)
自爆した直後にこの令嬢の身体で目覚め、乗馬の筋肉痛で泣き喚いていた彼女を嘲笑ったあの日の記憶。
悪鬼の意地の悪いからかいに、エルマはフッと口角を上げ、当時の自分を上書きするように不敵に返しを入れた。
『チッ。大剣くらいなら振れますぅ』
(クハッ! 言うじゃねぇか)
あの時は「フライパンくらい振れる」としか言えなかった小娘が、今や傭兵王と真っ向から大剣を打ち合わせたのだ。
悪鬼は喉の奥で微かに嗤った。
『この書状についてだ』
エルマは少しだけ表情を引き締めると、懐から、レイドルドが持ち帰った『黒百合』の刻印が押された羊皮紙を取り出した。
(ザッと目を通したが、同じ奴だ。やり口、下準備、諸々だ。間違いない、リヒトの野郎が噛んでやがる)
『ゾーラ家とドーラ家の血の繋がりを利用して、まずは我々、ダイタスを亡き者にしようという訳か』
第二、第三皇子のゾーラ家が掲げる『黒百合』と、バモン将軍のドーラ家が掲げる『黒百合に鷹』。古くは本家と分家の間柄であったという歴史を逆手に取り、内側から疑心暗鬼を煽ろうとする陰湿な手口。
(くくく、リヒトの野郎。策に溺れて足元が見えてねぇ。おめぇはあの爺さんを舐め過ぎたんだ。予想に反して、カルロとフォルテは手を組んだ。あの爺さんにはカルロしか見えてねぇ。だから、この策はひとまずおじゃんな訳だ)
悪鬼は月明かりに照らされた天井を見つめ、底意地悪く嗤う。
(やっこさんは、戦士でも将軍でもねぇ。あいつもまた番犬だ。主を害するような小細工に、あの鉄壁が揺らぐわけがねぇのさ)
『随分と善性を信じるのね』
(こっちの世界に生きて見りゃあ、馬鹿共の頭の中くらい多少は見えてくるさ)
『蟲とは言わないのね』
(自分の考えがあってよ、芯を持ったやつは人間にちげぇねぇ。……寝るぞ)
『ああ、お休み』




