13. まぁ、殿方ったら荒々しくていけないわ
(この街の取扱説明書を読んだ時には、さすがのおれも愉悦を隠せなかったぜ)
本陣たる屋敷の執務室にて、次々と届く『制圧完了』の戦況報告を受けながら、エルマの中のバルバロッサは獰猛な笑みを深めていた。
羊皮紙に記されていたのは、一見のどかなこの街に隠された異常なカラクリだった。
道路の模様として完璧にカモフラージュされた無数のレール。建てる段階から底面に車輪を仕込まれた家屋群。それらを大小の歯車で複雑に繋ぎ合わせることで、少人数の力だけで巨大な家をスライドさせられるように設計されているのだ。
どうりで、街並みが不自然なほど整然と建ち並んでいるわけである。
(……ハッ、どこまでイカれた親父だ)
悪鬼は、呆れと感嘆の入り混じった息を吐き出した。
親バカな田舎貴族が作り上げた、完璧な狂気の迎撃要塞。その凶悪なカラクリが作動してしまえば、あとはただの一方的な狩りだった。
* * *
開始からわずか数十分。
三百いたはずのカインズ軍は、四方八方からの異常な戦闘力による包囲攻撃を受け、瞬く間に各個撃破されていった。
「おのれ……面会を願おう! 男爵令嬢!! 伯爵様の名代として、直々にお話をさせていただきたい!!」
ふと、窓の外から血走った怒声が聞こえてきた。
見下ろせば、部下をすり潰されて追い詰められた部隊長ザイードが、狂犬たちが『わざと開けてやった道』とも気づかずに、己の権威を盾にするように喚き散らしながら屋敷の玄関へと走ってくるのが見えた。
――あの小娘(人質)さえ取れば助かる。
その浅ましい思考が、男の必死な顔から手に取るように透けて見える。
屋敷の大きな扉の前に男が転がり込むように辿り着いた瞬間を見計らい、悪鬼は重い音を立てて自ら扉を開け放ってやった。
そして、血走った目の獲物を出迎えてやる。
「どうぞ、ザイード様。……お話の続きをしましょうか」
その声は春の陽だまりのように優しく、そして、ひどく冷たかった。
温室育ちの令嬢の面影を消し去り、深淵を覗き込むような暗い瞳で男を見下ろすと、エルマは屋敷の中へと一歩退き、静かに彼を招き入れた。
『こ、怖いよぉぉ……! ザイードさん、剣持ってるよぉ! 血走った目でこっち見てるよぉ!』
(ククク……上出来だ、小娘。最高の出迎えじゃねぇか。あとはバトンタッチだ)
『バルバロッサさんが褒める方が怖いですよ……っ』
脳内で恐怖に震えるエルマの悲鳴とは裏腹に、悪鬼は、自ら檻に飛び込んできた獲物を前に、歓喜の嗤いを漏らしていた。
重い木扉が閉ざされた瞬間。
「貴様ぁっ! 大人しく人質になれぇぇッ!」
『ひぅ!?』
ザイードは血走った目で咆哮し、迷わず掴みかかってきた。狂犬どもが外にいる以上、悠長な交渉などしている暇はないと悟ったのだろう。
大人の男の分厚い手が、容赦なくエルマの細い首筋へと伸びる。
「ふふっ。……荒々しい求愛行動も嫌いではありませんけども」
エルマは一歩も引かず、暗い瞳を細めて嗤った。
次の瞬間。
「――なっ!?」
伸びてきたザイードの右腕に、エルマの白魚のような細い手がふわりと添えられた。
力任せの抵抗ではない。男の突進の勢いを利用し、骨の継ぎ目へと完璧な角度で指を滑り込ませる。それは、歴戦の死地を潜り抜けた者のみが知る技の冴え。
「ぎゃっ、あぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
関節が折れる寸前の可動域まで一気に捻り上げられ、ザイードは激痛のあまり床へ無様に両膝を突いた。
「がっ、あぁっ……!? き、貴様、何を……ッ!?」
「あら、求婚かと思いましたわ。ですが、そういうのは慌ててはいけません。綿密なお話し合いが必要でしてよ? あぁ! 申し訳ありません! お話し合いっておわかり?」
『私、そんな口調ですか?』
(俺の見てきた令嬢ってなこんな感じでな。なぁに、とっ捕まった瞬間はおとなしいもんだったがな)
『ひぃ!?』
エルマの言葉と悲鳴を軽快にスルーしながら、悪鬼はエセ令嬢の芝居を続ける。
「乙女のやわ腕では、殿方を引きずり込むこともできませんの。ご自分から動いてくださる? でないと、折れてしまいますわよ」
手首を完璧に極めたまま、無様に這いつくばる男を見下ろし、俺は春の陽だまりのような微笑みをピタリと消し去り、代わりに耳まで裂けんばかりの歪な弧を描いて嗤ってやった。
「ひっ……!?」
『ひっ……!?』
(小娘、力が抜けるから少しの時間でいい、黙ってろ)
『で、でも……』
男の顔からサァッと血の気が引き、生まれたての小鹿のように全身をガタガタと震わせ始めた。
(おせぇよ! フハハハハ! これからが面白れぇんだぜ? クク、ハハハハ!)
絶望に染まっていく獲物の顔を特等席で見下ろし、俺は極上の喜劇でも見るように喉の奥を鳴らした。
* * *
手首を極められたまま、這いつくばるようにして自ら応接室へと歩かされる。
三日前、己が傲慢にふんぞり返っていたその部屋の扉が閉ざされると、令嬢は不意にその手を離した。
「……さて。ここまできて、猫かぶりはもうやめだ。腹ァ割って話そうや」
令嬢――いや、その正体不明の怪物は、応接間の机の上にわざと大きな音を立ててブーツの踵を投げ出した。
そして、ソファに深く腰を沈め、獰猛に嗤う。その姿はどう見ても温室育ちの男爵令嬢などではない。裏社会のならず者たちを束ねる首領のそれだった。
ザイードは冷や汗を止めどなく流し、全身をガタガタと震わせた。軍人として訓練されているからこそ、目前の少女から放たれる圧倒的な威容を敏感に感じ取り、絶対に敵わないと本能が警鐘を鳴らしているのだ。
(殺される……!)
しかし、絶対的な死の恐怖を前にして紡がれたのは、予想外の労いの言葉だった。
「なぁ、兄ちゃん? 兄ちゃんもよぉ、色々と大変なんだよな?」
「……は?」
「わかる。痛いほどわかるぜ? てめぇの力はとぉっても有能なのによぉ、無能な上司にはそれが理解されねぇんだよな?」
目前の怪物の言葉に、ザイードの瞳が微かに揺らいだ。
「どうせならよぉ、自分の力に見合った『評価』は、納得いくようにもらいてぇよな?」
「……は、はぁ……と、言いますと?」
毒蛇に睨まれたカエルのように、ザイードの口から間抜けな相槌と自然な敬語が漏れる。
「俺は評価するぜ? あの街の入り口での、突撃行動の迅速さ。相手がうちのシマじゃなきゃ、あっさりと負けてたのはこっちの方さ」
「な、なんと……! わかっていただけますか……!?」
恐怖で泳いでいたザイードの心に、一筋の光明が差した。己の自己顕示欲と、現状の冷遇に対する不満。それを正当に評価してくれる者が、こんな辺境の地にいたのだ。
目の前の悪魔が救世主にすら見え、彼はまんまとすがりついた。現状の待遇に対する不満が、口からタラタラとこぼれ始める。
* * *
(ククク、んなわけねぇだろ雑魚)
現状の不満を垂れ流す男を見下ろし、悪鬼は鼻で嗤った。
悪鬼の甘言に、哀れな虫けらは「理解者が現れた」と錯覚し、簡単に腹を見せてきた。
「で、だ。その有能なザイード君よ」
「は、はい……!」
「俺と伯爵、どっちが怖いか言ってみろよ。ああ、どっちに就くかじゃねぇんだ。気軽によ? 怒らねぇから正直に言っていいぞ?」
男の視線が微かに泳いだ。王都でふんぞり返るカインズの権力と、目の前の小娘を天秤にかけているのだろう。所詮は十四歳の子供だと、底の浅い計算をしているのが丸わかりだ。
「どっちが怖ぇか言えっつってんだオラァッ!!」
ドガァァンッ!!
『ひぃぃぃぃぃぃぃっ!?』
突如、悪鬼は少女の足を跳ね上げ、分厚い木材の机をへし折れんばかりの轟音と共に蹴り飛ばしてやった。
耳を劈くような怒号と、それ以上に内側でパニックに陥ったエルマの絶叫が重なる。
『い、いったああああああ! 痛い、痛いですうう!!』
「ひぃっ、あ、あ、あああっ!?」
優しく撫でてやった思考を突如として暴力で殴りつけられ、ザイードは腰を抜かして床にへたり込んだ。先ほどまでの浅ましい計算は完全に吹き飛び、ただ純粋な恐怖だけで俺を見上げている。
「あ、あ、あなたです! 男爵令嬢様です!! 伯爵など比べ物になりません!!」
「……ククッ。そうかそうか。あ? てめぇ、俺を捕まえて怖ぇとかいってんじゃねぇぞ。令嬢だぞ? まぁ、悪ふざけはこの辺にしまして……正直で有能な方は大好きですわ。さぁ、正直にいいましょうね? ――貴方はどちらにつきますの?」
急な男殺しのような甘い微笑みと、優しい声色。
泣き叫びながら床に額を擦りつける男を見て、悪鬼はその頭を優しく撫でてやる。
恐怖の底に突き落とした直後の甘い言葉。
その異常な落差に、男の瞳から理性の光が完全に消え去り、狂信者のそれに塗り替えられていくのがわかった。
「あ、貴女様に」
「良い子ね。素晴らしき、私の騎士ザイード? 嘘はないわね? 繰り返して言います。私は嘘が嫌いなの。忠誠の証として、血判をいただけるかしら?」
ザイードが震える手で血判を押すと、悪鬼は満足げに目を細めた。
「……いいわ。今回はご苦労様でした。このお金、持っていきなさいな。手ぶらでは帰れないでしょう? ああ、伯爵には『ベルン領は泣き叫んで許しを懇願していた』とでも言いなさいな」
『恐喝、懐柔、賄賂……っ! そんなお金どこに? あっ、バルデ子爵の!?』
「ハッ、過分なご配慮……ありがたき幸せ……!」
脳内で戦慄するエルマのツッコミをよそに。
涙と鼻水に塗れたザイードは、もはや自我を支配された狂信者の顔で、深く深く平伏したのだった。




