12.腹を満たせ狂犬共
「……おい、見たかよ。さっきのお嬢を」
「ああ……。背筋が凍るかと思ったぜ。お父さんの真似事なんて可愛いもんじゃなかった。まるで、女帝みたいだったぜ……!」
地下室の会合が終わり、散会していく領民たち。
エルマの視界に映る彼らの顔に、理不尽な要求を突きつけられた村人としての悲壮感はない。ただ一人残らず、血の匂いに当てられた歴戦の狂犬のように、獰猛な笑みを張り付けて夜の闇へと散っていった。
その日の夜。
領主の館、ガルムの書斎。
泥のように眠るエルマの身体を用いて、悪鬼は机に広げられた一冊の手記をめくっていた。
(……おれが爆散してからおよそ十六年。兵法もまぁまぁ開発されてんじゃねぇか。ハッ、馬鹿親父のフリも大概にしろ。こいつがすり潰してきた敵の数はそんじょそこらの盗賊団の比じゃねぇ。お前も大概だぜ、ガルム)
月明かりの下、黄金の瞳がページを滑る。
そこに記されていたのは、つくり話のような騎士道ではない。地形を利用した遅滞戦闘、罠の配置、そして敵を無力化するための泥臭くも極めて実戦的な殺しの戦術の数々。
(ベルン領の街並みが、屋敷を中心とした『十字の逆すり鉢状』になっている理由がよくわかったぜ。……あいつ、最初からこの領地全体を、上から敵を磨り潰す『迎撃要塞』として設計している。しかも、だ。攻め入る側が気づかねぇレベルの、きわめて緩やかな傾斜だ。ん? これは、やべぇじゃねぇの……。ハッ! ガルム!)
親バカな田舎貴族の裏の顔。
その見事な悪辣さに、大悪党の唇が感心したように三日月型に吊り上がった。
* * *
そして、約束の三日目――当日。
ベルン領の朝の空気は、普段の穏やかなそれとは全く異なっていた。
チリチリと肌を焦がすような、戦場特有の焦燥と静寂が入り混じった緊張感。だがしかし、通常攻められる側にはないような異様な高揚感も混じっていた。夜明け前に、戦えない女子供や老人はすでに森の奥の隠し砦へと避難を完了している。
もぬけの殻となった円形の街。その東西南北の路地に、アレクやロッシをはじめとするベルンの狂犬たちが息を潜めて配置についていた。
街の入り口から、等間隔に配置された見張りの人員が、音を立てずに手信号を次々と後方へ送っていく。
『――敵影あり。数、およそ三百』
『――重装歩兵が二列。騎馬が十。弓兵はなしだ』
『――完全に油断している。対象、渕の外にて微動中。作戦稼働ポイントまであと、十、八、五。待機』
屋敷の広場の陣。机の上に足を投げ出し、悪鬼は手信号の報告に目を細めた。
一切の声を発することのない意思疎通のもと、狂犬たちの包囲網が静かに、そして確実に獲物を定めていく。
「開始だ。野郎ども、出鼻は迅速かつ正確にやれ。まずはベルン傭兵団の十八番……『戦乙女の足かせ』からだ」
『私も、怖い、なんていってられない』
悪鬼の微かな指の動きと同時、作戦が稼働した。
* * *
「――期日は過ぎたぞ、ベルン男爵令嬢!!」
街の入り口で馬を止めたザイードは、もぬけの殻となった街並みに向けて怒号を響かせた。
「猶予は与えたはずだ! だが、貴様らは誠意を見せなかった! これをカインズ伯爵家への明確な反逆とみなし――これより、備蓄の全てを強制的に押収する!!」
返答はない。
静まり返った街の不気味さに、兵士の何人かが怪訝そうに周囲を見回す。
「隊長、妙です。街に人っ子一人の気配もありません。それにこの地形……一見平坦に見えますが、屋敷に向かって街全体がごく緩やかな上り坂に……」
「怯むな! 相手は当主不在の平民とバカな男爵令嬢しかおらん! 女子供は恐れをなして逃げたのだろう。全軍、街へ突入し、ネズミどもを探して引きずり出せ!」
ザイードは部下の進言を力任せに跳ね除け、軍の先頭で再び剣を抜き放ち、略奪の指示を出した。
「全軍! 突撃!!」
ザイードが馬の腹を蹴ろうとした、まさにその時だった。
「――なっ!?」
乾いた破裂音が連続して響き、入り口を囲む防壁の陰から、一斉に緑色の煙玉が投げ落とされた。
鼻を突く異臭が充満する。それは人体には無害だが、獣の嗅覚を強烈に刺激する特殊な香草の煙だった。
「うわっ!? 馬が! 馬が暴れ出したぞ!!」
突如として視界を奪われ、悪臭に咽び泣いた軍馬が一斉に暴れ狂う。騎兵たちは為す術もなく振り落とされ、背後に密集して突撃の構えを取っていた重装歩兵の隊列は、味方の馬に蹴り飛ばされて街に入る前にグチャグチャに崩壊した。
「ええい、構わん! 馬なんぞ捨て置け! そのまま突撃するぞ! とにかくまずは街には入れ!」
ザイードは怒声で軍を無理やり立て直し、徒歩で路地へと雪崩れ込む。
入るや否や、タンッ、と。
ザイードの正面、自分たちより高い位置にある街の路地から乾いた足音が響いた。
「悪いが、今日の肉は品切れだぜ。カインズの豚野郎ども」
煙を裂いて現れたのは、軽鎧を着た巨躯の大男だった。その右手には、鉈のような大剣が握られている。
「まずは一人目だ! ベルンの領民を捕らえろ! カインズ様への反逆者共だ!」
ザイードが叫び、兵たちが殺到する。だが、アレクは挑発的な笑みを浮かべたまま、スーッと路地の奥へ後退した。
直後。
ゴゴゴォォン……!! と重低音が響き渡る。
街の第一層、二層の家屋が突如としてスライドし、ザイードたちが進んでいた十字の路地が遮断された。
「な、なんだ!? 道が塞がったぞ!」
「隊長! 後ろの道も家で塞がれています! 我々、完全に分断されました!」
突如として現れた歪な迷路の中で、カインズ軍およそ三百の軍勢は数十人ずつの小隊に切り離され、孤立してしまった。
「馬鹿な! 家が動くなどあり得ん! 落ち着け、相手はただの農民だ! 壁を壊してでも進め!」
ザイードが声を張り上げるが、統率を失い同士討ちしかねないほどに無軌道に武器を振り回す兵士たちに、その声は届かない。そして、彼らが壁に手をかけようとした、その時だった。
「ようこそ。ワシの焼き立て極上のパン、味わってみるかね?」
頭上から声が降り注ぐ。二階の窓から飛び出してきたのは、短剣を持った巨躯の老人。
「っ!? 槍で突け!」
「遅いんじゃよ、ひよっこ共」
突き出された槍の穂先をひらりと躱し、老人はすれ違いざまに四人ほどの兵士の足の腱を正確に斬り裂いた。
「ちぃっとばかし老人の気持ちもわかっとけぇい。カカカ! 不自由じゃろ?」
と笑い声を残し、老人はそのまま別の家屋へと軽やかに消えていく。
「ひぃぃっ! どこから飛んでくるんだ!?」
「あ痛ぁッ! 膝! 膝の裏の関節にナイフが……っ!」
別の区画からも悲鳴が上がる。
壁の向こう側から、次々と兵士たちが地面に這いつくばる鈍い音が聞こえてきた。高所を陣取った女の投擲が、迷路に迷い込んだ兵士たちの鎧の隙間(関節)を正確に射抜いているのだ。
「オラオラァ! 豚肉の筋切りだァッ!」
中央に近い広い路地では、大男が暴れ回っていた。
大剣の峰で打ち上げられたのか、分厚い重装歩兵の巨体が、壁越しに空高く舞い上がってはドスドスと地面に落ちていく。甲冑がベコベコにひしゃげ、骨を砕かれた兵士たちが泡を吹いて気絶していく様が、ザイードのいる路地からもはっきりと確認できた。
「ば、化け物どもめ……!」
孤立した路地で味方が次々と狩られていく惨状を前に、ザイードの顔からスゥッと血の気が引いていく。
誰一人として、無駄な動きがない。
(あいつら……俺たちを殺せるはずなのに、わざと刃を寸止めし、関節だけを砕いて生け捕りにしている……ッ。敵を殺すよりも遥かに高い技術と圧倒的な実力差がなければ、正規軍相手にこんな真似は……!)
自分たちは今、ただの『獲物』として領民たちに遊ばれているのだという事実。
その気づきが、ザイードの額から脂汗を吹き出させ、剣を握る手から完全に力を奪い去っていった。
* * *
「いいぞ。ベルンの戦士ども。腹を満たせ。はっ! 軽食にもならねぇか!」
広場の陣。
屋根の上から次々と送られてくる『制圧完了・死者ゼロ』の手信号を見ながら、悪鬼は腹を抱えて嗤った。
『ひぃぃ……みんな、容赦ないよぉ……。でも、これで領地は守れる……っ! あ、あああああと、バルバロッサさん』
(あん?)
『こんなやって大丈夫なんですか?』
(バカ娘。大丈夫にするのが領主もしくは領主代行の役目だろうが)
『そんなぁ!』
脳内で泣きべそをかく令嬢を無視し、悪鬼は心地よい戦場の喧騒を深く吸い込んだ。
眼下の街では、もはや狩りとも呼べない一方的な蹂躙劇が続いている。
(さぁて、前菜はこの辺にして……そろそろ迷子のネズミが、この本陣に転がり込んでくる頃だ)
絶望の底に落ちた部隊長の顔を思い浮かべながら、大悪党は極上の笑みを深く、深く刻み込んだ。




