12.腹を満たせ狂犬共
「……おい、見たかよ。さっきのお嬢を」
「ああ……背筋が凍るかと思ったぜ。お父さんの真似事なんて可愛いもんじゃなかった。まるで、『女帝』みたいだったぜ……!」
地下室での熱狂的なブリーフィングが終わり、散会していく領民たち。彼らの顔には、理不尽な要求を突きつけられた悲壮感など欠片もない。ただ、強大な敵を前にして血を滾らせる、歴戦の狂犬としての獰猛な笑みだけが張り付いていた。
その日の夜。
領主の館、ガルムの書斎にて。極度の緊張と疲労で眠りに落ちたエルマの意識の奥で、バルバロッサは体の主導権を握り、机に広げられた一冊の古びた手記(戦術書)をめくっていた。
(……おれが爆散してからおよそ十二年。兵法もまぁまぁ開発されてんじゃねぇか。ハッ、馬鹿親父のフリも大概にしろ。こいつがすり潰してきた敵の数はそんじょそこらの盗賊団の比じゃねぇ、お前も大分悪党だぜ。ガルム)
月明かりの下、黄金の瞳がページを滑る。
そこに記されていたのは、つくり話のような騎士道ではない。地形を利用した遅滞戦闘、罠の配置、そして敵を無力化するための泥臭くも極めて実戦的な『殺しの戦術』の数々。
(ベルン領の街並みが、屋敷を中心とした『十字の逆すり鉢状』になっている理由がよくわかったぜ。……あいつ、最初からこの領地全体を、上から敵を磨り潰す『迎撃要塞』として設計している。しかも、だ。攻め入る側が気づかねぇレベルの、きわめて緩やかな傾斜だ。ん?これは、やべぇじゃねぇの……。お前も!大悪党だ!ガルム!)
大悪党の唇が、感心したように三日月型に吊り上がる。
◆
そして、約束の三日目――当日。
ベルン領の朝の空気は、普段の穏やかなそれとは全く異なっていた。
チリチリと肌を焦がすような、戦場特有の焦燥と静寂が入り混じった緊張感。だがしかし、通常攻められる側にはないような高揚感も混じっていた。夜明け前に、戦えない女子供や老人はすでに森の奥の隠し砦へと避難を完了している。
もぬけの殻となった円形の街。その東西南北の路地に、アレクやロッシをはじめとするベルンの『狂犬』たちが息を潜めて配置についていた。
街の入り口から、等間隔に配置された見張りの人員が、一切の音を立てずに『手信号』を次々と後方へ送っていく。
『――敵影あり。数、およそ三百』
『――重装歩兵が二列。騎馬が十。弓兵はなしだ』
『――完全に油断している。対象、渕の外にて微動中。作戦稼働ポイントまであと、10、8、5。待機』
一切の声を発することなく、完璧な意思疎通のもと、狂犬たちの包囲網が静かに、そして確実に獲物を定める。
一方、街の入り口(渕の外)で馬を止めたザイードは、傾斜に気づくこともなく、普段とは異なる活気のない街並みを前に、屋敷に向けて怒号を響かせた。
「――期日は過ぎたぞ、ベルン男爵令嬢!!」
「猶予は与えたはずだ! だが、貴様らは誠意を見せなかった! これをカインズ伯爵家への明確な反逆とみなし――これより、備蓄の全てを強制的に押収する!!」
返答はない。
静まり返った街の不気味さに、兵士の何人かが怪訝そうに周囲を見回す。
「隊長。妙です、街に人っ子一人の気配もありません。それに、この地形……一見平坦に見えますが、屋敷に向かって街全体がごく緩やかな『上り坂』になっています。もし高所にあたる前方から圧力をかけられたら歩兵同士ではそれだけで不利です。ここは突撃ではなく小分けにした部隊を小出しにして様子を見るのを進言いたします」
「怯むな! 相手は当主不在の平民とバカな男爵令嬢しかおらん! 女子供は恐れをなして逃げたのだろう。全軍、街へ突入し、ネズミどもを探して引きずり出せ!」
ザイードが軍の先頭で再び剣を抜き放ち、略奪の指示を出した。
「全軍! 突撃!!」
『ターゲット、行動開始』
見張りの手信号が、最後尾から瞬時に屋敷へと伝達される。
広場の陣。机の上に足を投げ出し、獰猛に嗤うエルマ(バルバロッサ)は、微かに指を動かして命令を下した。
「開始だ。野郎ども、出鼻は迅速かつ正確にやれ。まずはベルン傭兵団の十八番……『戦乙女の足かせ』からだ」
『私も、怖い、なんていってられない』
かつて、天空を舞う戦乙女が、厄災の邪竜を地に縫い付けるために用いたとされる『神代の鎖』の逸話。それを名に冠した戦術が、瞬時に前線の領民たちへと伝播する。
直後。
パァンッ、と乾いた破裂音が連続して響いた。
「――なっ!?」
街へ踏み込もうとしたザイード軍の頭上、入り口を囲む防壁の陰から、一斉に『緑色の煙玉』が投げ落とされたのだ。
それは人体には無害だが、獣の嗅覚を強烈に刺激する特殊な香草(北の森で採れる魔獣避け)を凝縮したものだった。
ザイード軍の馬たちが嘶き暴れだす。
「うわっ!? 馬が! 馬が暴れ出したぞ!!」
突如として視界を奪われ、鼻を突く異臭にパニックを起こした十頭の軍馬が、入り口で一斉に暴れ狂う。騎兵たちは振り落とされ、背後に密集して突撃の構えを取っていた重装歩兵の隊列は、味方の馬に蹴り飛ばされて街に入る前にグチャグチャに崩壊した。
「ええい、構わん! 馬なんぞ捨て置け! そのまま突撃するぞ!」
ザイードが怒声で軍を立て直そうとする。
だが、すでに遅い。敵の『機動力』を削ぎ、入り口で陣形を崩す。戦術の基本にして最凶の初手は、完全にカインズ軍の足を止めていた。
「とにかくまずは街には入れ!」
入るや否や。
タンッ、と。
乾いた足音が――ザイードの正面、すなわち自分たちより『高い位置』にある街の路地から響いた。
「サハグの嘲りだ」
エルマの指示が即座に送られる。
「悪いが、今日の肉は品切れだぜ。カインズの豚野郎ども」
煙を裂いて現れたのは、いつものエプロンではなく軽鎧を着た肉屋のアレクだった。その右手には、もはや大剣と呼ぶべき無骨な鉄塊が握られている。
「まずは一人目だ!ベルンの領民を捕らえろ!カインズ様への反逆者共だ!」
しかし、アレクは挑発しながらも後退する。
重低音と共に、街の第一層、二層の家屋がスライドし、一本道だった十字の路地が完全に遮断された。
「な、なんだ!? 道が塞がったぞ!」
「隊長! 後ろの道も家で塞がれています! 我々、完全に分断されました!」
突如として現れた歪な迷路の中で、カインズ軍およそ三百の軍勢は、数十人ずつの小隊に切り離され、完全に孤立してしまった。
「待たせたな、狂犬共。狩りの時間だ」
エルマは金色の瞳を輝かせ、獰猛にわらう。
「馬鹿な! 家が動くなどあり得ん! 落ち着け、相手はただの農民だ! 壁を壊してでも進め!」
ザイードが声を張り上げるが、パニックに陥った兵士たちの耳には届かない。そして、彼らが壁に手をかけようとした、その時だった。
「ようこそ。焼き立ての極上フランスパン、味わってみるかね?」
ロッシのパン屋と書かれた看板のある店の窓から飛び出してきた短剣を持った巨躯の老人。
「っ!? 槍で突け!」
「遅いんじゃよ、ひよっこ共」
「ちぃっとばかし老人の気持ちもわかっとけぇい。カカカ!不自由じゃろ?」
すれ違いざまに四人ほどの足の腱が切られる。老人はそのまま別の家屋にきえていった。
別の区画でも、同様の悲鳴が上がっていた。
「ひぃぃっ! どこから飛んでくるんだ!?」
「あ痛ぁッ! 膝! 膝の裏の関節にナイフが……っ!」
細い路地に迷い込んだ数十人の部隊は、高所を陣取った八百屋のフィンおばさんによる、鎧の隙間(関節)を正確に射抜く投擲の雨に晒され、次々と地面に這いつくばっていく。迷路に迷い込んだカインズ兵は地理を活かされ何もできずに無力化されていく。
「オラオラァ! 豚肉の筋切りだァッ!」
アレクは大剣の『峰』で重装歩兵をまるで使い古した布切れのように軽々と打ち上げていく。甲冑がベコベコにひしゃげ、兵士たちは骨を砕かれて泡を吹いて気絶していった。
誰一人として、無駄な動きがない。
そして何より異常なのは、この狂犬どもが『誰も殺していない』ことだった。
刃を寸止めし、確実に四肢を砕き、関節を外し、戦意だけを削いで部隊を無力化していく。敵を殺すよりも、生け捕りにする方が遥かに高い技術と圧倒的な実力差を要するのだ。
「いいぞ。ベルンの戦士ども。腹を満たせ。はっ!軽食にもならねぇか!」
広場の陣から戦況報告を聞きながら、エルマ(バルバロッサ)は腹を抱えて嗤った。
『ひぃぃ……みんな、容赦ないよぉ……でも、これで領地は守れる……っ!あ、あああああと、バルバロッサさん』
(あん?)
『こんなやって大丈夫なんですか?』
(バカ娘。大丈夫にするのが領主もしくは領主代行の役目だろうが)




