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マヌーの家へ向かう途中、シンさんと遭遇した。シンさんは母さんの店で働いているホステスで、確か僕より8つ年上だったと思う。
シンさんはデコレーションケーキだ。ショートケーキじゃなくて、ホール丸ごとだ。たっぷりと塗られた生クリームはピンク色で、異常に甘ったるいから胸焼けに注意が必要だ。上に乗っているイチゴもシロップ漬けだから、こちらも相当に甘い。
シンっていうのは愛称で、本名は「心」と書いてココロと読むんだけど、それを音読みさせているんだ。
彼女に心っていう名前を付けるなんて、親も皮肉なもんだと思うよ。まあ付けた時には、どんな風に成長するかどうか分からないんだけどさ。
でも名前と性格が大きくズレていたら、それだけで恥ずかしいからね。
同級生に「甲子園」っていう名前の奴がいて、そいつの父親は阪神タイガースのファンだからそう名付けたらしいんだけど、同情したくなるよ。
だって、そいつは野球がすごく下手なんだ。野球だけじゃなくて、運動神経が無いんだね。そもそも、そいつは野球があんまり好きじゃない。
父親もそんな名前を付けたんだから、小さい頃から野球の猛練習でも積ませれば、仮にセンスが無かったとしても技術は身に付くだろうけど、そういうことはやらせてなかったんだね。
もう父親の中では、名前を付けた時点で満足しちゃってるんだよ。子供をプロ野球選手にしたいとか、そういう夢は無いんだ。
その中途半端な気持ちが、自分の子供を不幸に陥れていることに気付いていないんだ。
考えてみれば、僕の名前だって酷いもんだよ。ルイっていうのは愛称じゃなくて、本名だからね。
それを付けたのは母さんで、ルイ・ヴィトンが好きだったからルイって名付けたんだよ。
ファッションブランドから拝借するなんて、最低のセンスだよ。まだ何の意味も無く付けてくれた方が良かった。
それで、そんな時だけは、父さんも自分の意見を押し付けず、母さんの意向を汲んでいるんだよね。汲んでいるどころか、もうノリノリで賛成したらしい。
困った夫婦だよ。いや、もう元夫婦だけどさ。
それでも、意味はともかく、ルイっていう言葉の響きは悪くない。
同じブランドでも、母さんがグッチやプラダを好きじゃなくて良かったと、心から思うよ。
ただ、ルイって名付けておいて、今は母さん、ルイ・ヴィトンに全く興味が無くなっちゃってるんだけどね。後のことなんか考えずに名前を付けるから、そんなことになるんだよ。
僕が親なら、珍しい名前とか、奇をてらった名前は絶対に付けないね。そんなことしたら、子供が不憫だよ。
一郎とか陽子とか、ありふれた名前にするよ。もし子供が平凡な名前を嫌がったら、後で改名すりゃいいんだ。
ただし、僕は子供を持ちたいとは思わないけどね。シングルマザーと結婚して子持ちになるのはいいけど、血の繋がった子供なんて見たくないよ。
自分みたいな奴のDNAを未来に残すなんて、そんなのは、ある意味では犯罪行為に近い。
それはともかく、シンさんは犬を抱いていた。
犬の種類はマルチーズだ。頭に花飾りの付いた麦わら帽子を被り、ピンクとホワイトのボーダー柄の服を着ている。シンさんじゃなくて、それはマルチーズの服装だよ。
「ルイ君、元気?」
シンさんは、鼻に抜けるような口調で声を掛けてきた。この人の喋り方は独特で、常に脱力しているような印象を与える。
「ええ、それなりに元気ですよ」
すました顔で、僕は挨拶をする。
ホントは相手をせずにさっさと立ち去りたかったけど、向こうから声を掛けてきたのに無視をするほど失礼な奴には成り切れない。そこまでの強い嫌悪感は、シンさんに対して抱いていないってことなのかもしれない。
「今ね、この子とお散歩してたのよ。見て、可愛いでしょう」
シンさんはマルチーズに視線を落とし、満面の笑みを浮かべた。シンさんは、やたらと犬を自慢したがる癖があるんだ。それには、ホントに困っている。母さんに咎められてやめたけど、前は店にも連れて来たことがあるらしいからね。
「ねえピンキーちゃん、ルイ君にご挨拶してちょうだい。はい、こんにちはって」
シンさんは、マルチーズの顔を僕の方に向ける。
「ああ、どうも、よろしく」
僕はシンさんのペースにつられるように、マルチーズに会釈する。
馬鹿馬鹿しい、なんで犬に挨拶なんかしなきゃいけないのか。
向こうがキッチリと挨拶してくれば、そりゃあ相手が犬でもそれなりの対応はするけど、ただボーッとしてるだけじゃないか。
でも、そこで挨拶しておかないと、シンさんが納得しないんだよね。それで、
「どうして挨拶してくれないのかな?ねえピンキーちゃん、ルイ君は冷たい人ですね」
などと、犬に向かって話し掛けるに決まってるんだ。
そんなの、余計にウザったいからね。ここは相手に合わせておいた方が楽なんだ。まあ楽と言っても、精神的に疲れるんだけどさ。
「ルイ君、この子、抱いてあげてよ」
また疎ましいことを、シンさんが言い出した。
それで、僕が返事をする前に、もうシンさんは犬を僕に向かって差し出している。そのままだと地面に落ちてしまうから、僕は受け取って抱いてやるしかない。
「どう、ウチの子の抱き心地は」
「ええ、可愛いですね」
僕は言う。
それはシンさんの期待に応じるための教科書的な返答だけど、ホントに可愛いとは思ってるんだよ。僕、犬は嫌いじゃないしね。それに、シンさんの行動は面倒だったけど、犬に罪は無いからね。
それにしても、そういう類の面々と付き合っているから、僕はどんどん作り笑いや嘘が上手くなっていく気がするよ。
それって世渡りをする上ではプラスかもしれないけど、僕としては気が滅入る成長だよ。
「ピンキーちゃんは、まだ1歳なのよ。だから小さくて愛くるしいでしょ」
「いつから飼っているんですか」
「2ヶ月前かな」
「前に見たチワワは、どうなったんですか」
「ああ、あの子は今、友達の家にいるわ。あの子を友達にあげて、今度はピンキーちゃんにしたのよ」
シンさんは平然と告げる。
そこには、何の感情も入っていない。
シンさんは、複数の犬を一度に飼うことは無い。常に一匹だけを飼って、そこに愛情を注ぎたいっていうのが彼女の考えらしいんだ。
でもさ、そもそもシンさんに、犬に対する本物の愛情があるとは思えないけどね。
ホントに愛があったら、使い捨てみたいに、コロコロと犬を替えたりしないよ。
シンさんは常に犬を飼っているけど、どんどん古いのを捨てて、新しいのを飼うんだ。しばらく飼っていると飽きてしまうんだろうね。で、他の犬が欲しくなるってわけさ。犬をアクセサリーか何かと勘違いしているんだ。
っていうか、アクセサリーだとしても、そんなにコロコロと買い換えるのは賛同できないし。
犬に帽子や服を着せているのも、僕には理解できないね。犬は毛があって、それが僕らの衣服と同じ役割をしているのに、その上に服を着せてしまったらダメでしょ。
シンさんは犬をペットじゃなく生活のパートナーとして扱っているつもりらしくて、だから服を着せたり、同じ食事を与えたりしているらしいんだけど、分かってないね。
それはホントに犬を可愛がろうっていう気持ちじゃなくて、犬を可愛がっている自分が大好きなだけなんだよ。
「もう、お返ししますね」
そう言って僕は、ピンキーをシンさんに返した。
「あらピンキーちゃん、お帰り」
シンさんは甘ったるい声を出した。シンさんに抱かれる時、ピンキーのクリッとした眼が僕を見つめた。物悲しそうに見えたのは気のせいだろうけど、でも幸せな犬の生活を過ごしているとは思えない。犬は犬として扱ってもらってこそ、幸せなはずなんだ。
僕の方がシンさんより、ずっと犬が好きだと思うね。これは確信を持って断言できるよ。
僕は今まで犬を飼ったことが一度も無いけど、それは犬のことを本気で考えているからだ。
飼いたいと言っても母さんが許してくれないとは思うけど、もし許してくれたとしても、飼う気は無いね。それは、犬が好きだからだ。
僕の家なんかにいたら絶対に幸せになれないと分かっているから、だから犬は飼わない。
ウチに来るぐらいなら、野良犬になった方が幾らかはマシだろう。僕だって、犬なら野良になりたいよ。
だけど残念ながら、僕は水袋なんだ。野良では生きていけないんだ。
「それじゃあルイ君、バイバイ」
シンさんはピンキーの前足を持って、それを振ってバイバイをさせた。
ああ、可哀想なピンキー。だけど僕には、何もしてあげることが出来ない。
一刻も早くシンさんに飽きられて、誰か別の、もっと犬を愛してくれる人に貰われることを祈るぐらいしか出来ない。
シンさんはすぐに飽きるけど、保健所送りにして死なせることだけはしないからね。そんな奴だったら、僕はシンさんのことを大嫌いになっているよ。
ピンキーの今後を憂いながら、僕はシンさんと、いや、ピンキーと別れた。




