第一話 赤き神狼偉ぶる
この森の名前は世界樹の森。中心には巨木世界樹が大きな枝葉を広げ空を支え、太く長い根が大地を支えている。
そんな世界樹の森は動植物と魔物の宝庫だ。フェンリルの食事は肉や野菜ではなく、魔物の体内にある魔石だ。魔石は動物が持っている場合もあるが、それは魔力を持つ動物だけだ。
(世界樹に近づくと魔石には困らんな。ポロポロ落ちとる)
さて、魔石もアイテムボックスに十分貯め込んだし、あの高い山に登ろうかな。
世界樹を守護する神鹿を蹴散らしながら高い山を目指し、東へと向かう。
(神鹿はいつも気取ってるんだよな、勢いよくぶつかってやったから角が折れてら)
あはははと笑いながら、何頭もの神鹿を蹴散らして走り抜ける。
おっと、良いところに巨大な岩が折り重なった場所があるな。今日はここで休むかな。
(これってなんだっけな、ぼんやりと思い出すんだよねどっかの遺跡に似てるな)
度忘れしたことにして辺りの安全を確かめ、結界を張り巡らす。結界魔法はフェンリルの得意魔法の一つである。敵対者を跳ね除けるものだ。
巨岩の奥でゴロゴロしていよう。まだ二歳児の俺はゴロゴロするだけでも楽しい。
「ルクレシア王国第三王子、エルネストでございます。神狼フェンリル様、一晩お世話になります」
唐突に外から響いた声に、ヘソ天で転がっていた俺はビクッと体を跳ね上げた。
ソロリと結界の内側から覗き込むと、十人ほどの人族が岩場に向かって片膝を立て、深々と頭を下げている。
(うわ、びっくりした……俺がいるってバレたわけじゃないよな?)
どうやらここは、大昔に彼らの先祖が神狼と交信したとかいう『伝説の場所』らしい。人間を見るのは生まれて初めてなので、俺は息を潜めて興味津々に観察することにした。
彼らは火を焚かず、匂いの出ない携行食を静かに口にしている。その顔には隠しきれない疲労と焦燥が滲んでいた。
「殿下、神鹿の角がそう簡単に見つかるとは思えません。焦りは禁物です」
「分かっている! だがリリィはもう十日も苦しんでいるんだぞ! あの古書にあった神鹿の角の薬でしか治せないんだ!」
護衛らしき男と、若い王子--エルネストの会話が風に乗って聞こえてくる。
(ふむふむ……妹ちゃんの病気を治すために、神鹿の角を探しにきたのか)
神鹿の角。
……ん? 神鹿の角??
(……あ。さっき俺が『気取ってて気に入らん』って理由で、勢いよくぶつかって折りまくったあの角か?)
アイテムボックスの中を検分すると、さっき戦利品として回収した神鹿の角がゴロゴロと転がっている。
(う~ん……十日も苦しんでる妹ちゃんは可哀想だしなぁ。わざわざ俺の祠(?)まで拝みに来てくれた縁もある。……よし、一肌脱いでやるか!)
翌早朝暗闇が白み始め、森の木々も霧に包まれている頃に俺はゆっくりと動き出す。
(どうよこの神秘的で静謐な雰囲気。やっぱこの時間を選んで正解だな)
一番大きな岩に乗り、人族に念話を送る。
(念話って便利なんだよな。種族が違っても、ちゃんと言葉が通じる)
『我は特別な神狼フェンリル・イグニスである』
不寝番が岩の上で霧に包まれ逆光に照らされた俺の姿を見て、ガクガクと震えながら隣で寝ている騎士を揺すり起こしたが起きない。
「こ、こちらは、特別な神狼フェンリル・イグニス様であられます!」
不寝番の騎士は覚悟を決めた大きな声でそう言うと、幾人もの騎士が体を震わし起き上がり礼を取った。
『我らと縁あるエルネストよ……』
「はっ!」
『幼い体で病に耐えるのは辛いものよ。そなたの求めるものを授けようぞ』
「あ、ありがとうございます……!」
顔を伏せたまま王子は返事を返す……
(……あ。しまった、『面を上げよ』って言うの忘れてた! いまさら言い直すのも格好悪いし……!)
岩上からストっと王子の前に降り立ち、アイテムボックスから神鹿の角を取り出し、コトンと王子の目の前に置いた。
『さあ、早く持ち帰るがよい!』
そう言い残すと、俺は一気に跳躍してその場を去った。……ぶっちゃけると、気まずくて逃げ出した。
(まあ初めての人族遭遇なんだから仕方ないよね! 演出としては完璧だったはず!冒険者になる方法聞いておけばよかった!)
***
「……い、行ってしまわれたか?」
神狼様の気配が完全に消えたことを確認し、エルネストは恐る恐る顔を上げた。
目の前には、朝露に濡れた一本の神鹿の角が、神々しい光を放ちながら静かに横たわっていた。
「……あ、あった……! 本当に神鹿の角だ……!」
エルネストは膝をつき、震える両手でそれを抱きかかえた。
(我らに顔を上げることを許さず、角を授けてすぐに去られた……。なんと神聖で、誇り高きお方なのだ……!)
神狼イグニス様。あの燃えるような赤い毛並みと、慈悲深き御力。
エルネストはその名を胸に深く刻み込んだ。
「急ぎ城へ戻るぞ! リリィを救うのだ!」
「「「ははっ!!」」」
--この後、急ぎ調合された薬によって、リリィ姫の病は無事に完治。
ルクレシア王家において『赤き神狼様』は、救世の神獣として永く語り継がれることになるのだが……当のイグニスがそれを知るのは、もう少し先の話である。
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