第7話~ヒルダ③~
ヒルダの生まれ育ったフェトルの森は元々精霊との調和を重んじる静謐な隠れ里だった。
だがそうした森での穏やかな暮らしは、ある日里に迷い込んだ一人の商人によって終わりを告げる。
美術商を名乗るその男は、精霊の加護を宿す里の伝統工芸品に目をつけた。
里の者は当初、これは売り物ではないと取引を拒否したが、商人はエルフの歓心をひこうと貴重な薬や最新の魔道具、頑丈で便利な農具や工具を持ち込み、粘り強い交渉の末に継続的な取引を成立させる。
里は開かれ、商人は貴重な工芸品を、里の者は外界の様々な物品を手に入れられるようになり、共存共栄の関係が築かれた──筈だった。
里の者にとって外界の便利さや刺激は毒だった。一度知ればもう元には戻れず、際限なく求め続けてしまう麻薬のようなもの。より多くの便利な品を、金銭を手に入れるため、里の者たちは工芸品の大量生産を始めてしまう。そしてそのことが精霊たちを失望させた。
後に残ったのは欲に囚われ精霊の加護を失った枯れ枝。
誰にとっても価値を失った里は、海に流された川魚のように息絶えた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「~~~~っ!?」
突然背後から拘束されたヒルダは、抵抗どころが悲鳴を上げることさえできぬまま建物の中に引きずり込まれた。
「──ぷはっ!」
床に乱暴に放り捨てられ自由になった口で大きく息を吸い込む。脳に酸素が行き渡り、思考と視界とがじわりと機能を回復していった。
暗い人気のない小屋──それがヒルダが最初に認識したこと。恐らくは使われていない倉庫か空きテナントだろう。
自分をこの場に連れ込んだ者を認識できたのはその少し後。影に溶け込むようなその暗い人影は、そこにいると認識した後も気を抜けば見失ってしまいそうなほど存在感が感じられなかった。
「……色黒のエルフ──ってわけじゃなさそうね」
震えまじりの軽口がヒルダの口から漏れた。背の高い銀髪褐色肌のエルフが冷たい瞳で自分を見下ろしている。本物のダークエルフだ。
「こんなところにレディを連れ込んで何の用かしら? 生憎、貴方みたいな人に迫られる心当たりはないんだけど」
「言い逃れしようとしても無駄だ。貴様の正体は既に割れている。よくも我らを下らんペテンに巻き込んでくれたな、贋金の使徒よ」
「…………」
バッチリバレている。どうやらシドの危惧はドンピシャだったらしい。
「まさか交易神の信徒に成りすましているとは……初めてその正体を知った時は耳を疑ったぞ」
「……存在自体が冗談扱いされてるダークエルフにそう言われるとは光栄ね」
殺意の混じった視線を向けられ、ヒルダは不安と恐怖を誤魔化すように軽口を叩いた。
ネタバラシをすると、ヒルダは件のバーゼル氏を騙した詐欺師集団の一員である。
彼女たちの正体は贋金神ガメルの使徒。ガメルとは資本主義経済へのアンチテーゼが神格化した秘神で、一般にその存在を知る者はいない。
彼らはある日突然、神から啓示を受けて使徒となる。
本来であればそのような信仰は成立するはずがないのだが、彼ら贋金神の使徒は交易神の力を掠め取り、その信徒に成りすますことができるという特異な力を授かっていた。
彼らの擬態は完璧で、交易神の神官であってもその正体を見抜くことはできず、中にはのうのうと交易神の大司教にまで上り詰めたものもいたらしい。
贋金神の使徒は交易神の神官という立場と信用を利用して様々な詐欺行為に手を染める経済的テロリスト集団だ。
先のバーゼル氏が被害を受けた事件もその一つ。ヒルダたちはその贋金神の特殊呪文を使って姿を偽り、商人たちから金銭を詐取した後、最後はダークエルフに罪を擦り付けて逃亡した。
ダークエルフなんて存在すら怪しまれる危険な連中が犯人となれば大抵の商人は諦めて泣き寝入りする。そしてバーゼル氏のように追いかけてくる者がいれば、交易神の神官という立場を利用してその動きをコントロールするつもりだった。
経済事件の捜査に交易神神殿は強い影響力を持つ。犯人と取り締まる側がほぼイコールなのだから、まず捕まることはあり得ない。完璧な犯罪だったのだ。
こんな風に罪を擦り付けられたダークエルフが怒って出てこなければ。
「一連の目撃情報や噂話は、被害者じゃなく私たちを誘き寄せる為の罠だったってわけ?」
「そういうことだ。自分たちが引き起こした事件に動きがあれば、気になって首を突っ込まずにはいられまい? 貴様らが交易神の神官に成りすましていることは分かっていたからな。自発的に首を突っ込んでくる者に的を絞って様子を窺っていた」
「…………」
よく犯人は現場に戻ってくると言うが、同様の心理を利用され、まんまと罠にかけられたらしい。
「先に言っておくが、逃げようとしたところで無駄だぞ。風の精霊に命じてこの建物には【静寂】の結界を張ってある。どんなに大声で騒いでも外部に音が漏れることはない」
ヒルダの思考の機先を制するようにダークエルフが警告する。実に親切なことだ。そしてヒルダから見て敵は実力を推し量ることもできないほどの格上。まともにやり合ってどうこうできる相手ではない。
「──そ。で、わざわざこんな手間かけてまであたしらを見つけ出して何の用?」
ここまで追い詰められては今更ジタバタしても仕方がない。ヒルダは開き直って挑発的に口を開いた。
「詫びでも払えってんなら生憎あたしの懐は素寒貧よ。ゆすっても無駄だから、殺すならとっとと殺しなさい」
これは嘘ではない。他の協力者たちがどうかは知らないが、ヒルダは騙し取った金銭に全く手をつけていなかった。
「だろうな。大金を手にした者の動きは分かりやすい。金目当てで動いていた連中は直ぐに見つかったよ」
──ゴトッ
そう言ってダークエルフが床に投げ落としたのは血塗れの交易神の聖印──ヒルダの目にはそれが擬態した贋金神の聖印であることが見て取れた。
「!」
息を呑むヒルダに、ダークエルフは感情の感じとれない声音で淡々と続ける。
「貴様で六人目だ。詐欺を働きながら金に執着があるわけではなく、横の繋がりも希薄で互いの正体も把握していない。子悪党風情の捜索にここまで苦労させられるとは思わなかった」
「……あっそ」
これはもう駄目だな、とヒルダは自分が詰んでいることを理解し諦観の息を吐く。
「そこまで分かってるならもう用はないでしょ。金はない。他の仲間の情報も持ってない。それとも何? 殺す前に嬲るのが薄汚いダークエルフの流儀ってわけ?」
ヒルダの安い挑発にダークエルフは全く反応を示さなかった。
「確かに、報復の対象としての貴様にはもう用はない──が、我々は貴様らの能力と手口に利用価値を見出している」
「は?」
予想外の言葉にヒルダは耳を疑う。
「何? まさか、あんたたちの手下になるなら生かしてやるとでもいうつもり?」
「それ以外の意味に聞こえたか?」
「…………」
ダークエルフは嘘や冗談を言っているようには見えなかった。
あるいは、その言葉だけを切り取れば死ぬよりはマシと考える者もいたかもしれない。
「あたしがもしここで『分かりました手下になりま~す』って言ったとして、あんたそれを信用できんの?」
立場と状況を理解しているとは思えない物言いに、しかしダークエルフはニチャリと嗜虐的な笑みを浮かべた。
「分かり切ったことを聞くな──そんな必要はない」
そう言った彼の袖の中から無数の蟲が顔をのぞかせる。
「うぇ……」
その蟲がヒルダを支配し操る為のものであることは聞くまでもなく明らかだった。
この時点でヒルダは自身の生存を諦める。元々贋金神の使徒となり犯罪に手を染めた時点でこうした結末は覚悟していた。想像していたより些か早い終わりではあったが、誰もが計画通りに人生を終えられるわけではない。
後はせめて尊厳ある死を。彼女の手がそっと腰の短刀に伸びた──その時。
──ドガァァッ!!!
『!?』
薄い小屋の壁を破って、人影が飛び込んできた。
「ヒルダ、無事!?」
「キーア、それにシドも!?」
現れたのは槍を持った女戦士のキーアと、その陰に隠れた小柄なハーフエルフのシド。どうやらヒルダがいなくなったことに気づいて追いかけてきてくれたようだ。
「貴様ら、一体どうやってここを──!?」
結界を破られ動揺するダークエルフ。しかしヒルダの焦りはそれ以上だった。
「駄目! 二人とも逃げなさい!!」
助けは嬉しかったが、このダークエルフの実力は遥か格上。自分たち三人がかりでも敵う相手ではない。このままでは口封じのために三人全員殺されてしまう。
ヒルダの冷静な部分は三人とも既に手遅れだと理解していたが、それでも叫ばずにはいられなかった。
「早く逃げて!」
「馬鹿が、むざむざ逃がすものか──」
しかしキーアたちに攻撃しようとしたダークエルフの視線が何かを捉え、その目が大きく見開かれる。
「?」
突然動きを止めたダークエルフにヒルダたちが警戒する中、彼は硬直から回復し忌々し気に舌打ちした。
「……ちっ、そういうことか。いいだろう。俺はこの件から手を引く。貴様らもここで見たことは忘れろ。分かったな?」
「は? ちょ──」
ヒルダが疑問を口にするより早く、ダークエルフは一方的に言い捨て、その場から幻のように姿を消した。
『…………』
しばし周囲を警戒するが、完全に気配はない。恐らく魔術か何かで移動したのだろう。
警戒を解いたキーアがヒルダに訊ねる。
「……何があったの?」
「あたしが聞きたいわよ」
それは心からの言葉だった。
その後の話。
ダークエルフの襲撃を生き延び合流したヒルダたち三人は、その足で別行動をとっていたレオポルドたちと合流。あちらも同行していたバーゼル氏の姿が突然消えて混乱していた。
それからシドの提案で商業ギルドに確認に向かいバーゼル氏について照会したところ、氏は一月前に亡くなってギルドを除名されていることが判明する。
「……どういうことじゃ?」
「シドたちが会ったあの人はバーゼルさんに化けた別人だったということなのです」
後で改めて街で話を聞いたところ、ダークエルフの噂など影も形もなくなっていた。つまりバーゼルだけでなく、その日会った情報提供者たちも──
『…………』
レオポルドたちは空恐ろしいものを感じそれ以上この件に踏み込むことを止める。最終的にヒルダが交易神神殿にバーゼル氏が既に故人で、この件は何者かの悪戯である可能性が高いと報告して決着させた。
ヒルダはこの件に関し何も語ろうとしなかったが、一言だけ。
「……命まで取るつもりまではなかったんだけどね」
容疑者②僧侶ヒルダ
・秘密:贋金神ガメルの僧侶
・詐欺師として活動し恨みを買い過ぎたため、ほとぼりを冷ますために冒険者になった。
・贋金神ガメルは交易神メルカトルラスが内包する破滅因子の具現であり、必ずしも悪神というわけではない。
・なお、家族は既に亡い。
ダークエルフがどうして逃げたかは次のシドのエピソードで語られます。




