第13話~キーア②~
それは小さな山ほどもある巨大な樹だった。少なくともレオポルドたちにはそう見えた。
一本の樹ではない。数多の樹木が蔦のようにうねって絡み合い、一つの巨大な大樹を構成している。
木の根が足のように浮き上がり、地面を大きく隆起させ激しく大地を揺らす。
無数の枝と葉が鞭のようにしなりながら宙を薙いだ。
それは森がそのまま魔物化したかのような、巨大な──巨大すぎるトレントだった。
『…………』
森から少し離れて休息をとっていた冒険者たちは、そんな状況ではないと分かってはいたが呆気にとられその巨大なトレントを見上げる。
それはまるで、世界の終わりのような光景だった。
「に、逃げろぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」
森のすぐ近くで警戒にあたっていたパーティーが絶叫しながらこちらに逃げてくる。
彼らと一緒に、巨大トレントに取り込まれていない森の外縁部から狼、猪、鹿、鷹、大蛇と無数の魔物化した獣が飛び出してきた。
この魔獣たちもまた巨大トレントに住処を奪われ逃げ出してきたのだろうが、冒険者から見れば魔獣の波が押し寄せているようにしか見えない。
「逃げてもすぐに追いつかれる!! いくつかのパーティーで固まって陣形を組め!!」
レオポルドの叫びがその場に響き、浮足立っていた冒険者たちが慌てて一〇人前後の塊となって魔獣のスタンピードに備える。それは間違いなくこの状況で彼らが取れる最善の方策ではあった、が──
──ドドドドドドドドッ!!!
『ぐうっ……!』
『耐えろ! この波をやり過ごせば──ガッ!』
『ダンカンさんっ!?』
魔獣たちはパニックを起こして逃げ出しているだけで、決して冒険者に襲い掛かっている訳ではない。だがその圧倒的な数と圧力に何人もの冒険者たちが踏みつぶされ、吹き飛ばされ、あるいは波に取り込まれて姿を消していく。
そして──
「くぅっ!?」
「ナギ!」
三人の中では最も華奢なナギが仲間たちから分断され、魔獣の波に呑まれそうになる。
「手を!」
「!」
そこにキーアが割り込み、ナギの手を引っ張って力ずくで彼女をレオポルドたちの元に引き戻す。けれどその代償に今度はキーアが魔獣の波に呑まれてしまう。
「キーア!??」
「だいじょ──」
赤毛の女戦士の姿は、あっという間に見えなくなった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
キーアは母親の顔を知らない。
鬼種の中でも多数の部族を従える地位にあった父親は数多くの妻や妾を抱えていて、キーアの母は元々戦利品として献上されたさる小国の姫君だったそうだ。だが蝶よ花よと育てられた母に鬼種の国での暮らしは耐えられるものではなく、キーアを産んで程なく命を落としたと聞いている。
幸いと言うべきか、世話を焼いてくれる使用人には事欠かなかったのでキーアは母の不在を寂しいと思ったことはない。
キーアにとっての問題は、彼女が一族の中では落ちこぼれで、乱暴な兄たちにいつも意地悪をされていたことだ。
兄たちの多くは純血の鬼種で、そうでない者も上位蛮族との混血。一方のキーアはか弱いヒューマンとの混血でしかも女の子だ。そんな年下の妹に喧嘩で勝って何が嬉しいのか──キーアは本当にあの兄たちが大嫌いだった。
そして父のことも同じくらい嫌いだった。
父に暴力を振るわれた記憶はない。だが父はずっとキーアには無関心だった。少なくとも子供だった彼女にはそう思えた。キーアが訓練していても勉強していても遊んでいても兄たちにイジメられていても、時折探るような視線を向けてくるだけで碌に話をしたこともなかった。
周囲の視線が怒りと敵意に染まった、あの日までは。
『俺の後継者は──』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──私が何とかしなきゃ……!
魔獣の波に呑まれたキーアではあったが、仲間たちの心配をよそに彼女は落ち着いていた。
先ほどから魔獣たちが次々と彼女にぶつかり揉みくちゃにされているが、不思議なことにキーアの身体にはほとんどダメージがなく平気な顔をしている。それだけでなく彼女は他の冒険者たちに見つからないよう魔獣の影に隠れながら、その波をかき分け森の中心へ突き進んでいた。
魔獣のスタンピードの勢いは凄まじいが、こちらは無秩序な暴走ということもあって見た目ほど被害は大きくない。勿論、相応に死傷者は出るだろうし後始末は大変だろうが、まだリカバリーできる範疇だ。
だがあの巨大トレントは駄目だ。今はまだ接合した身体が不安定なのか動作が鈍いが、あれが本格的に動き出せば最悪大きな街が一つか二つ滅んでしまうかもしれない。
自分が何とかしなければ──この時キーアは他の誰かが聞けば気が狂ったとしか思えないだろうことを本気で考え、行動に移していた。
『ブモッ!?』
「──と、ごめんね?」
上の方ばかり見ていたせいで、足元に突進してきた猪を避けられず衝突してしまう。魔猪としては比較的小ぶりとは言え、大型犬ほど大きさの猪の突進を受けてキーアは全くのノーダメージ──どころか、逆に猪を弾き返して転がしてしまった。
いかに平均的な戦士より頑丈で力が強いキーアとはいえ、これは常識的にあり得ない。
──うん、やっぱり調子がいい。
だがキーアはそれに驚くことなく、自身のパワーアップを当然のものとして受け入れていた。
今この場の空気は彼女の故郷のソレと極めて似通っている。恐らくあの巨大トレントの影響だろう。今なら彼女本来の力を発揮できた。
──これならきっと……!
キーアは強化された脚力で魔獣の群れを飛び越え、彼らの背を踏み台に森の中へと駆けて行った。
魔獣が荒れ狂う外の喧騒が嘘のように森の内部は驚くほど静かだった。恐らく巨大トレントとその瘴気に当てられ皆逃げ出してしまったのだろう。
魔の森とも言うべき異界へと変貌したその中を、キーアは躊躇なく進み巨大トレントの下へと辿り着く。
巨大トレントの根元では無数の根が触手のように蠢き、今も周囲の木々を取り込んでその質量を増していた。
「……良かった。これならまだ何とかなる」
まともな感性の持ち主なら恐怖で精神異常を起こしかねない悍ましい光景を目の当たりにして、しかしキーアはホッと胸を撫で下ろして巨大トレントに歩み寄る。本人に自覚はないようだが、今のキーアはその身体能力だけでなく精神性まで明らかに普段とは様子が異なっていた。
──ゾゾ、ゾ……
忙しく蠢いていた巨大トレントの根はキーアが近づいただけで動きが緩慢なものとなり、やがて停止する。彼女の周辺だけ明らかに大気に満ちた瘴気が薄く、巨大トレントの力が削がれているようにも見えた。
キーアは巨大トレントの幹に触れ──
「──相変わらず悍ましい力だ」
「っ!?」
──ドゴォォン!!
空から振り下ろされた巨大な枝の鉄槌が、キーアのいた空間を抉りクレーターを作った。
キーアは間一髪でそれを後ろに跳んで回避する。巨大トレントの反撃そのものは予想できたことなので驚きはない。だがキーアは大きく目を見開き、枝の上に佇む人影を凝視していた。
「グレン、お兄ちゃん……」
「ふん。そして間抜けさも相変わらずか」
巨大トレントを従えるように、枝に乗ってゆっくりと降下してきたその男は赤黒い二本角を持つ鬼種の美丈夫。その赤毛と顔立ちは明確にキーアと血の繋がりを感じさせた。
「何で、こんなところに……」
「痴れ者が。ただでさえ低い知性を人界で更に劣化させたか? 分かり切ったことを聞くな」
兄妹の親愛の情など露ほども感じられない表情と声音でグレンと呼ばれた男は吐き捨てる。
「不本意ながら貴様を連れ戻しに来た。これ以上、余計な手間をかけさせるな」
「…………んで」
キーアの口が怒りと不理解に歪む。
「何で今更っ!? 私を落ちこぼれだって邪魔者扱いしてきたのはお兄ちゃんたちでしょう!? それなのに今更、勝手なことを言わ──」
──ドゴォォッ!!
巨大トレントの根がキーアの直ぐ横を薙ぎ払い、彼女の言葉を遮る。
グレンは殺意を堪え切れぬ様子でこめかみに青筋を立て、微かに唇を震わせながら口を開いた。
「父上の血を引きながら角を染めることも出来ぬ己の無能さを棚に上げて囀るな」
「……っ」
角を染める──それはキーアたち一部の鬼種にだけ通じる言い回しだ。彼らは自身が大地の加護と呼ぶ瘴気をその身に蓄えることで種の限界を超えた上位種。そして瘴気によって黒く染まった角は魔物化の証だ。
魔物化しながら狂気に囚われることなく理性を保っているグレンは、人々が魔族と呼ぶ存在だった。
「──ああ、先に言っておくが『無能と思うなら放っておいてくれ』などとほざいて、これ以上、我を苛立たせてくれるなよ」
「…………」
「貴様の意思がどうあれ、父上が後継者に選んだのは貴様なのだからな、愚妹」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
キーアの父は鬼種を統べる王だった。
そして父やその子供である兄たちは皆、その角を黒く染めた魔族。特に父は鬼王と呼ばれ、魔族の中でも四人しか現存しない魔王の称号を冠していた。
つまりキーアは鬼種の姫君にあたる存在なのだが、彼女は兄妹の中で唯一角を黒く染めることができず、家族から落ちこぼれとして蔑まれてきた。兄たちは「無能と同じ空気を吸っていると吐き気がする」と言ってよくキーアに暴力を振るい、使用人が庇ってくれなければ命を落としていただろう場面が何度もあった。
それでも耐えていればいつか自分もこの角が黒く染まり、家族として認められる日が来る。そう信じてキーアは愚直に大地に祈り続けた。
だが、どれほどキーアが祈ってもその角の色は変わらず、それどころか聖地から加護──瘴気が枯れ果ててしまう有り様だ。一度だけその光景を見た父は、悍ましいものを見るような目を娘に向け、何も言わずその場から立ち去った。
そしてある日突然──
『俺の後継者はキーアとする』
父がそう宣言したことでキーアを取り巻く環境は一変した──勿論、より悪い方向にだ。
誰もキーアのような落ちこぼれが父の後継者だなどと認めはしない。兄たちの殺意に満ちた視線から逃れるように、キーアは家を飛び出した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「我たちが何を言おうと、貴様が何を思おうと、現時点で貴様は間違いなく父上の後継者なのだ。いずれ父上には正気に戻っていただき正しい後継者を選びなおしていただかねばならんが、それまでは貴様の身に何かあれば一族の名に傷がつく。これ以上、駄々をこねて手間をかけさせるな」
兄グレンは巨大トレントの枝から飛び降りて、キーアを連れ戻しに来た身勝手な理由を語る。
その表情は不本意だと語り続けており、これ以上キーアが逆らうようであれば腕や足の二、三本もいでやっても構わないと考えていることが伝わってきた。
「…………」
キーアはグレンの言い分に奥歯を噛んで黙り込む。またあの冷たい故郷に連れ戻されるということも恐ろしいが──
「……私を連れ戻すためだけに、こんなことをしたの?」
「何?」
「私を連れ戻したいなら、こんなことしなくても探して直接会いにくれば良かったじゃない? 何でこんなことをしたの?」
「何だ、そんなことか」
キーアの言葉に、グレンは馬鹿馬鹿しいと鼻で嗤った。
「貴様がこの辺りに潜伏していることは占い師に聞いて分かっていた。だがああも虫けらのように人間どもが多くては探すのも面倒だ。間引いた方が手間が省ける。いくら貴様が出来損ないとはいえ、これだけ大地の加護が満ちていれば死ぬことはあるまいしな」
つまりグレンはキーアを探す手間を省く為だけにこの森を魔物化し、周辺の人里を薙ぎ払って滅ぼそうとしたのだ。
「────そう」
その言葉を聞き、これまでキーアが自らに嵌めていた枷が、頭の中でパキンと音を立てて外れる。
グレンはキーアが俯いて黙り込んだのを見て諦めたのだと判断して続けた。
「分かったなら帰るぞ愚妹。城に戻ったら二度とこのようなことがないよう鎖をつけ、て──!?」
ガクン、とグレンの身体から力が抜けてその場に膝をつく。
「これは……?」
原因不明の不調に何が起きたのか分からず周囲を見回すと、グレンだけでなく巨大トレントや魔物化していた木々がその動きを止めていた。
原因は直ぐに分かった。周囲から彼らの力の根源である大地の加護──瘴気が急激に薄れている。そしてこの現象にグレンは覚えがあった。
「っ! まさか……!?」
「故郷じゃ皆に迷惑がかかると思って抑えてたけど、ここならグレン兄だけだし、遠慮はいらないよね」
キーアは周囲の大気に満ちた膨大な瘴気を吸い取っていた。いや、彼女が吸収しているのは大気中のソレだけではない。巨大トレントや、グレンの体内の瘴気まで強制的に簒奪している。
瘴気を奪われ、巨大トレントを含め周辺の魔物化していた存在は元の自然な生物としての姿を取り戻していく。
「ぐぁぁぁ……っ!?」
そしてグレンはその角から色味が抜け、魔族からただの鬼種へと変化してしまった。生まれてからずっと自分と共にあった力を喪失した衝撃に、グレンは立ち上がることも出来ず荒い息を吐く。
「はぁ、はぁ……! なん、ダ……なんナのダ、こレは……っ!!?」
「瘴気を吸収させてもらったの」
何てことのないように、キーアは耳を疑うようなことをアッサリと言う。
「…………は?」
「昔からグレン兄たちは『私がいると空気が悪くなる』って言ってたよね? ホントそうなんだよ。私は出来損ないだから皆と違って瘴気をどれだけ吸収しても角を染めることはできないし、力もすぐに消えちゃう。気を抜いたらすぐ周りの瘴気を吸い取って空っぽにしちゃうんだ」
「…………は?」
グレンの脳は理解を拒否し、同じ言葉を二度繰り返した。
そんな兄の混乱を無視してキーアは淡々と続ける。
「無理しない方がいいよ。昔、間違えて使用人さんの角の色を抜いちゃった時は元に戻るまで半年ぐらいかかった。グレン兄も多分、故郷でゆっくり静養すれば元に戻ると思う」
「…………」
キーアはすっかり静かになった森をぐるりと見回し「こんなとこかな」と独り言ちる。
「じゃあね、グレン兄。もう私のことは放っておいて」
「ふざ──っ!」
立ち去っていくキーアに手を伸ばし呼び止めようとして、しかし自信の根源である力を喪失したグレンはその言葉を呑み込み、地面を殴りつける。
「~~~~っ!」
──ガスッ! ガッ! ゴスッ!
その身体の震えを、自分が感じているソレが恐怖であることを否定するように、何度も、何度も。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……ふざけるなよ」
キーアの姿が見えなくなって暫くして、ようやく身体の震えが収まったグレンは自分に言い聞かせるように呟く。
「あんな力、あっていい筈がない。あれは、我たちを滅ぼす力だ。父上に言って、奴を殺──」
「流石にそれは見過ごせないねぇ」
気配もなくするりと妖艶な女の声が割り込む。
「え──?」
──ドサッ
声のした方へ視線を向けようとしたグレンの頭部が、胴体から離れて地面を転がる。
「駄目だよ、お兄ちゃん。妹は大事にしなきゃ」
そう言って彼を見下ろすのは銀髪の妖艶な女エルフ。
「妹を守れない兄なんて、死んだ方がいい──ったく、見苦しいったらありゃしない」
それが、グレンがこの世で最後に見た光景だった。
シドの伯母──ダークエルフのメルニースは、グレンを始末した後、荒れ果てた森の中をぐるりと見回して深々と溜め息を吐く。
「はぁ~……森が動き出したのを見た時はどうなることかと思ったけど、恐ろしい力だねぇ」
それは魔物や巨大トレントではなくキーアに向けられた言葉だ。
「あれだけの瘴気を吸収して魔族化の気配は全くなし。話には聞いていたけど凄まじい潜在能力だ。これは本当に当たりかもしれないねぇ……」
そう呟き、メルニースは親指と人差し指で輪っかを作るとキーアが立ち去った方角を覗き込む。するとその輪の中に仲間二人と合流したキーアが号泣するナギに抱き着かれている光景が浮かび上がった。
「今日のところはゆっくり休みなよ、お姫様。後始末はこっちでやっといてあげるからさ」
そう言ってメルニースは善とも悪とも取れない、底知れない笑みを浮かべた。
容疑者⑤戦士キーア
・秘密:魔王の娘
・一家の中では魔族化すらできない落ちこぼれ扱いで、家族の嫌がらせに耐えきれず家出した。
・しかし潜在能力は父すら凌ぎ、全く底が見えない。
・魔素を吸収し魔物化を解除するという唯一無二の力を持っているが、本人はその力の意味を理解していない。




