祈りの日々
病院の個室。
白い壁、消毒の匂い、規則正しいモニターの音。
詩乃はベッドに横たわり、静かに眠っているように見える。
でも、それは眠りじゃない。
事故は、横断歩道を渡っていた詩乃を急に曲がってきた車が、はねた。
頭部打撲、複数骨折、内出血。
医師の言葉は、冷たく、重かった。
「容態は極めて不安定です。意識が戻るかどうかは、まだ予断を許しません。
これからの48時間が、正念場です」
蒼はその言葉を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちそうになった。
また、同じ。
凛のときと同じ。
病院の廊下、冷たい椅子、待合室の時計の音。
すべてが、悪夢のように重なる。
蒼は、詩乃の病室の外からガラス越しに彼女の顔を見つめた。
管が繋がれ、顔に擦り傷、いつも明るい笑顔は、今は静かに閉ざされている。
「詩乃……頼む、目を覚ましてくれ」
蒼は医師に頼み込んで、病室に入ることを許された。
椅子を引き、詩乃の手をそっと握った。
冷たくて、細くて、でも、まだ温もりがある。
蒼は、寝食を忘れた。
会社には連絡して休みを取った。
食事は、看護師が持ってくるおにぎりを一口二口。
睡眠は、病室の椅子でうつらうつらするだけ。
夜中、モニターの音が少しでも乱れると飛び起きて、看護師を呼ぶ。
医師の回診のたび、「変化は?」と聞く。
答えはいつも、「まだ、安定していません」
蒼は、詩乃に語りかけた。
声を抑えて、手を握りしめて。
「詩乃、俺だよ。蒼だ。君のグイグイから、いつも逃げてごめん。
もっと早く、好きだって言えばよかった。君の笑顔が、大好きだ。
凛に似てるって思って怖かったけど、君は君だった。新しい光だった。
だから、目を覚ましてくれ。一緒に、ご飯食べよう。君がおすすめって言ってた店、行こう。
俺、もう逃げない。君を、ちゃんと愛したい」
涙が、詩乃の手の上に、ぽたりぽたりと落ちた。
蒼は、祈ることしかできなかった。
凛を失ったとき、祈らなかった。
いや、祈ったけど叶わなかった。
今は、必死で祈る。
「神様でも、誰でもいい。詩乃を、返してくれ。俺の命でも、何でもいいから」
日々が、過ぎていく。48時間が過ぎ、72時間が過ぎ、一週間が過ぎた。
詩乃の容態は、まだ予断を許さない。
でも時々、指がわずかに動く気がした。
蒼はそれを希望に、しがみついた。
寝食を忘れ、病室に付き添い続ける。
髪は伸び、目は充血し、頰はこけていく。
それでも、詩乃の手を離さない。
この試練が、蒼の最後の壁。
トラウマの頂点。
ここを乗り越えられるかそれとも、また闇に沈むか。
蒼は詩乃の横で、静かに祈り続けた。
「詩乃、戻ってきてくれ。俺はもう、失うのを怖がらない。
君を愛したい。凛の分まで、幸せにしたい」
病室の窓から、春の陽射しが優しく差し込む。
詩乃の顔をそっと照らす。
蒼は、その光に小さな、でも確かな希望を見出した。




