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運命の書にない少女 神々が記した物語の外側で、私は世界を救う  作者: Hamin
第2章 禁じられた一行

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4話_書にない者は災いを呼ぶ

列は、ゆっくりと進んだ。


前に並ぶ人たちは、自分の灯(あかり)を読むと、隣の人とひそひそと言葉を交わした。


「『古き鍋(なべ)を手放せ』……とな。さて、新しいのを買えということかの。それとも、嫁(とつ)いだ娘に譲れということか」

「鍋の灯で、ずいぶん悩むのう」

「悩むのも楽しみのうちよ」


男たちが笑い合う。

けれど、その笑い声は、台の脇(わき)に立つ若い記録官が顔を上げると、すっと消えた。


「〈古き鍋を手放せ〉は、売れという意味だ」


記録官は、帳面から目を離さずに言った。


「七日のうちに市で売り、その旨を報告せよ。記しておく」

「……はっ。かしこまりました」


男は深々と頭を下げて、去っていった。


莉々愛(りりあ)は、記録官を観察した。

二十歳くらいだろうか。白い衣(ころも)の胸元には、銀の徽章(きしょう)が光っている。翼を広げた鳥が、一冊の本を抱えている形だった。


前に並ぶ中年の女に、小声で尋ねる。


「あの人の胸のバッジ……あの紋章(もんしょう)、何ですか」

「ばっじ? ああ、あれは大神殿の紋じゃよ。大預言官さまにお仕えする方の印じゃ」


女はそれだけ言うと、前に向き直ってしまった。


ピコン。


≪ほら、やっぱ決まりなんじゃん≫

≪あの神官のおじいちゃん、甘いこと言ってたけど≫

≪ほんとはこっちが正解なんだよ≫


前の女が台に手を置いた。光の文字が二行、ふわりと浮かぶ。


 一つ、隣家に喜びの知らせあり

 一つ、家の者に、声をかけよ


女は少しだけ嬉(うれ)しそうに笑った。


「隣のサラの婚礼の話じゃろうか。ようやくか」


二つ目の灯を読んで、女はふと黙った。それから、小さく呟(つぶや)いた。


「……息子と、話してみるかの」


記録官は、それには何も言わず、帳面に印をつけた。


次は、莉々愛の番だった。


「旅の者か」


記録官が顔を上げた。灰色がかった青い目が、莉々愛のパーカーとスニーカーを見て、わずかに細められる。


「珍しい装束(しょうぞく)だな。どこの地方の者だ」

「えっと……横浜、です」

「ヨコハマ。聞かぬ名だな」


記録官は首をかしげたが、それ以上は聞かなかった。


「まあよい。手を置きなさい。書は、すべての者の名を知っている」


莉々愛は、白い石の台を見下ろした。

つるつるの表面に、自分の顔がぼんやりと映っている。不安そうで、少し泣き腫(は)らした顔。


──お母さん、今ごろ何してるかな。


ふと、そんなことを思った。

返事をしなかったLINE。ラップのかかったカレー。


莉々愛は、右手のひらを、そっと石の上に置いた。


ひんやりとした感触。

三秒。五秒。十秒。


何も、起こらなかった。


光の文字は、一行も浮かばない。石は、ただの冷たい石のまま、莉々愛の手のひらの下で黙っていた。


「……あれ?」


莉々愛は手を離し、もう一度置いてみた。

やはり、何も浮かばない。


記録官の顔色が変わった。


「もう一度だ。両手で置け」


言われたとおりにする。何も起こらない。

記録官は帳面を放り出し、莉々愛の手首を掴(つか)んで、無理やり石に押しつけた。


「痛っ……!」


そのとき、石が反応した。


光ではなかった。

台の表面に、じわりと黒い染みが広がった。墨を一滴(したた)垂らしたように。染みはみるみるうちに広がり、白い石の台全体を、真っ黒に塗りつぶしていく。


広場にいた人々が、一斉にざわめいた。


「黒い……」

「写しの台が、黒く……」

「七の日に、なんと不吉な」


記録官は莉々愛の手首を離し、後ずさった。羽根のペンが、石畳に落ちる。

けれど、その顔に浮かんでいたのは恐怖だけではなかった。驚きと、それから、何かを確信したような光だった。


「名が……ない」


記録官の唇(くちびる)が、震えながら言葉を紡いだ。


「この者の名が、書にない。……まさか。まことに、大預言官さまの予言のとおりに」


広場が、しんと静まり返った。


「〈書にない者〉じゃ!」


誰かが叫んだ。それを合図に、悲鳴が上がった。


「災いを呼ぶ者が来た!」

「西の丘からの風とは、このことか!」

「子どもを家に入れろ!」


人々が蜘蛛(くも)の子を散らすように逃げ出す。戸が叩(たた)きつけるように閉められ、窓の木戸が次々に下ろされていく。

隣にいた老婆(ろうば)が、怯(おび)えた目で莉々愛を見て、杖(つえ)をつきながら離れていった。


「ちょ、待って、なに? なんなの?」


莉々愛はわけもわからず立ち尽くした。


ピコン。


≪ほらね≫

≪言ったじゃん≫

≪どこ行っても、あんたはハズレなんだよ≫


記録官が、塔の上に向かって叫んだ。


「鐘を鳴らせ! 〈書にない者〉だ! 白衣の番人を呼べ!」


さっきまでのやさしい鐘とは違う、重く低い音が、ゴォーン、ゴォーン、と村じゅうに響き渡る。その音は、おなかの底まで震わせた。

神殿の脇の鉄の門が開いた。


中から現れたのは、全身を白い鎧(よろい)と白い外套(がいとう)で包んだ兵士たちだった。顔は銀色の仮面に覆われ、手には長い槍(やり)を持っている。五人、六人、七人。

鎧の胸には、記録官と同じ紋章が刻(きざ)まれていた。翼を広げた鳥と、一冊の本。


「待ちなさい!」


神殿の扉から、オルドが飛び出してきた。曲がった背を精一杯に伸ばし、番人たちの前に立ちはだかる。


「その子は、まだ子どもじゃ。書に名がないからといって、槍を向けるとは何事か。今朝、何を読んだか忘れたか。弱き者を労(いたわ)われと──」

「神官殿」


記録官が、冷ややかに遮(さえぎ)った。


「灯の解釈は、記録官が定める。大預言官ヴァルゼオンさまの定めをお忘れか」


オルドの顔が、こわばった。


「大預言官さまは、十年も前から予言しておられた。いずれ書の外より、名なき娘が来たる、と。その娘を見つけた者は、必ず都へ送り届けよ、と」


記録官は、番人たちに向き直った。


「行け。だが、殺すな。傷ひとつつけるな。生かして捕らえよ。それが、ヴァルゼオンさまのご命令だ」


──ヴァルゼオン。


聞いたことのない名前が、なぜか胸の奥に冷たく沈んだ。

十年も前から、私が来ることを予言していた?

生かして、捕らえて、都へ?


番人たちが、一斉にこちらを向いた。仮面の奥の目は、見えなかった。


莉々愛は、走った。


考えるより先に体が動いた。広場を横切り、石畳の路地へ飛び込む。背後で、鎧の鳴る重い足音が追ってくる。


「待てっ!」


待てるわけがない。

スニーカーが石畳を蹴る。息が上がる。体育の持久走でも、こんなに必死に走ったことはない。喉(のど)の奥が、鉄の味でひりついた。


路地を右へ。左へ。誰もいない市場の屋台のあいだを抜け、積まれた樽(たる)を飛び越える。七の日の村は、どこも戸が閉まっていて、逃げ込める場所がない。

背後の足音が、少しずつ近づいてくる。


ピコン。


≪もう無理でしょ≫

≪捕まれば? 殺されはしないんでしょ≫

≪都に行けば、ご飯くらいもらえるかもよ≫


足がもつれた。


石畳の割れ目につまずき、莉々愛は前のめりに転んだ。膝(ひざ)と手のひらを擦りむき、じんと熱い痛みが走る。


立ち上がろうとして、顔を上げた。

路地の先は、行き止まりだった。


高い石壁。左右も家の壁。

後ろから、鎧の音が近づいてくる。


「……詰んだ」


声が震えた。


そのとき、また風が吹いた。

行き止まりのはずの路地に、どこからか、やわらかい風が。


 右を見て


胸の奥で、あの声がした。

莉々愛は、言われるままに右を見た。


家の壁の低いところに、小さな木の板が打ちつけてあった。古びて、端が少しめくれている。

その隙間(すきま)から、二つの目がこちらを見ていた。


子どもの目だった。


「こっち」


小さな声。木の板が、内側からぎいっと押し開けられる。犬一匹がやっと通れるくらいの穴が、そこにあった。


「早く!」


莉々愛は迷わなかった。四つん這(ば)いになって、その穴に体をねじ込む。パーカーのフードが引っかかり、無理やり引き抜いた。

内側に転がり込むと同時に、小さな手が木の板を元に戻した。


壁一枚向こうで、鎧の足音が止まった。


「……消えた?」

「そんなはずはない。探せ!」

「この辺りの家を一軒ずつ当たれ!」


足音が、ばらばらに遠ざかっていく。


莉々愛は、暗がりの中で息を殺していた。

干し草の匂(にお)いと、むっとするような獣(けもの)の匂いがした。どうやら、家畜小屋か納屋(なや)の中らしい。


すぐ隣で、小さな体が同じように息を殺している気配がした。

やがて、足音がすっかり聞こえなくなった。


「……行ったみたい」


隣の小さな影が、ほっと息をついた。

屋根の隙間から、細い朝の光が差し込んでいる。その光の中に、一人の少年が座っていた。


莉々愛は、息をのんだ。


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