第二十八話 背けていた現実
どのくらい眠っていたんだろう。
部屋は灯りがなく真っ暗で、耳鳴りがしそうなほど静かだった。
私はもそもそとベッドから起き上がり、机の上の水差しからコップに水を注いだ。
涙が止められず、泣きながら眠ったせいか目が重い。
そのせいなのか、頭に鈍い痛みが走る。
(仮病だったのに、本当に調子悪いや……)
私は水を一口含んだ。
冷たい水に刺激されたのか、また目からは涙が溢れてくる。
きっと、ずっと目を逸らしてた。
自分が消耗品だっていうことに。
健康に気をつければ長生きできるわけじゃない。
当たり前に歳を取ることもできないのに、これからどうしていけばいいんだろう。
考えながらも、涙はしつこく流れ続ける。
私は拭うのをやめ、そのまま涙を好きにさせた。
(見ないふりしてた結果かな)
止まらない涙が、自分の心の奥底に隠していた弱さなんだと思った。
毎日一所懸命過ごすことで、いつかは気にならなくなるかもしれないって思っていたのに。
私はそのまま床にしゃがみ込んだ。
冷たい床で、膝を抱えて。
子どもたちと眠るのが好きだった。
みんなで寝るのに、いつもラファエルさんと壁の間で眠ってた。
ラファエルさんが子どもたちの方を向いて寝るから、私には背中を向けることが多かった。
それでも、その背中を見つめているうちに安心してきて、ゆっくりと瞼が落ちていって、ラファエルさんの背中にこっそり頭をくっつけて眠る。
守られている気がしていたし、安心感もあった。
生き残る手段としての継承権だったラファエルさんは、道具を選ぶ気が無かった。
ラファエルさんにとって、私は扱いに困る存在だったはずなのに。
ずっとそばに居させてくれた。
「もう九年、なのか、まだ九年なのか……」
床に向けてこぼした気持ち。
返事は無いはずだった。
「……ここへ来て、二人で初めて子どもたちの親のような存在になり、育児にぶつかって……あっという間だったな」
扉の向こうから、ラファエルさんの声がした。
私は膝をついたまま声のした場所へにじり寄ると、扉はしっかりと施錠されていた。
背の高いラファエルさんの声が、私と同じように低い位置から聞こえる。
彼はいつからそこに居たんだろう。
「ラファエルさん、そんな場所で何してるんですか」
「お前が水を飲んでいる感覚がしたから、ここに居た」
声の方角はどうやら廊下に向けられている。
多分扉に背を預け、床に座っているらしい。
「感覚で気づくって、凄いですね」
私もラファエルさんと同じように、扉に背を当て、しゃがみ込む。
冷たい扉越しで話す。
そこまでが今の限界だった。
「扉を開けようとは思わなかったんですか?」
「いや、一人になりたい時もあるだろう」
「ラファエルさんも、あったんですか?」
「あの父の下で生き延びるために、自分以外の全てを信じなかった程度には」
平然とした顔立ち言っているんだろうと思った。
私もラファエルさんみたいに、平気なフリをして言ってみた。
「ネレイナがね、とうとう私と同じ年齢ですよ。ネレイナは大きくて、しっかりしてて、子どもたちみんなを見ていてくれて……」
言葉につまる。
ラファエルさんは、静かだった。
でも多分、聞いていてくれる。
「……私一人、何も変わらないし、できていないなって。……ずっと17歳のまま、家事は少しできるようになったけど……それだけしか、できなくて」
言葉に嗚咽が混ざる。
心を声に出してしまうと、弱音ですら自分自身に突き刺さる。
(ちゃんと一緒に喜びたかった。大切な一番最初に出会えた子どもなのに)
私は泣き声をラファエルさんに悟られないよう、手で口を抑えた。
ラファエルさんは、私の涙が少しおさまるまで沈黙していた。
そして「茜」と私の名前を呼んだ。
「お前は、子どもたちの笑顔を立派に守っている」
「そんなの、普通じゃないですか」
誰でもできる事。
それに、あの子たちはしっかりしてるから、私が居なくてもこの場所で立派に育っていたはず。
私のそんな捻くれた感情が届いてしまったのか、ラファエルさんは言葉を続けた。
「お前は、寄り添うのがうまい」
「……そんなの」
反論しようとした私の声を、ラファエルさんの穏やかな声が遮る。
「死にかけていたネレイナが健康に笑えている。親を亡くしたトトが大人に甘えられる。……後から教会来たアシュレイやローレンツ、ピノとノワールたちが、家族という群れを大切にして、未来を前向きに考えられることも、お前が穏やかに寄り添い続けたからだ」
扉の向こうで、ラファエルさんが息を吐く音が聞こえた。
彼はこんなに長く言葉を喋ることはなかった。
いつも短くて、言葉が足らなくて。
それなのに、私のために一所懸命言葉を選んでくれているんだろう。
私は扉から背を離し、くるりと向き直すと、そのまま扉に額をつけた。
「酷い顔してるから、扉は開けられません」
その言葉に、ラファエルさんの「ふっ」と笑う声が聞こえた。
「茜がいつも『お帰り』と迎えてくれる。それが当たり前になっていた」
「……」
「お前は、教会でーー帰る場所を守っていてくれた」
「…………」
「俺にできることはあるか?」
その言葉が優しくて、私は甘えた。
「今はぼろぼろだから顔見せられないですけど、元気になったらちょっとだけ『ぎゅっ』てしてください」
(こんなに優しい人の道具で良かった)
心からそう思えた。
ただ、翌朝みんなの前で突然「ぎゅっ」とされたせいで、子どもたち全員にもぎゅうぎゅうと締められる結果になった。
抱きしめられながら、みんなの泣き顔を久しぶりに見ることになったけど、私は胸が一杯になった。




