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回復しかできない私は、 魔王継承権三位を選んで穏やかに生きたい  作者: 谷口 由紀
第二章  教会編

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第二十一話  謎の訪問者②

ほんの数時間前は確かに綺麗だったはずなのに。


ラファエルさんや子供たちと畑に向かってから、いったい何があったのだろう。

服の至る所に土が付いている。

なぜか頬や鼻の上にまで泥で汚れていた。


あまりの汚さに、私は子供たちとともにお風呂へ入ってくるよう勧めたのだった。



女の子たちがお風呂に向かった後、しれっとした表情で帰ってきたラファエルさんに何があったのかを聞いた。


「……言っただろう、アレは役に立たないと」


(お姉さんをアレっていうんじゃありません)

思わず突っ込みそうになったけど、ラファエルさんだから仕方ないと受け流すことにした。


ローレンツが代わりに説明してくれる。

「野菜の収穫と、昼食用の川エビを採りに行ったんだよ。簡単だからってーー」

そこで言葉を濁してアシュレイを見た。


「あの人、まだ青い収穫前の野菜をもいだり、川エビの動きが予測できなかったみたいで、無表情で驚いて転んだりしてたよ」

そしてアシュレイはトトの背中をぽんと押した。

トトは胸を張り、笑顔で言った。


「ラファエルさんが、僕にお客様のお世話するようにって任せてくれたの!」


……つまり、うちの中でも一番年下のトトにお願いするレベルで役にーー。


私は考えるのをやめた。



突如、テーブルに座り男の子たちとお茶を飲んでいたラファエルさんが、お風呂の方向を見て「この魔力……どうやら手加減する気はないらしい」と呟いた。


何のことか聞くまでもなく、お風呂からは今までにない水音が響き渡る。


「ふふふふ、見誤ったわね! 私に挑むその勇気だけは認めてあげてもよくってよ!」


高笑いと、子どもたちの悲鳴。


「ピノっ、挟み撃ちだよ!」

「任せて、ネレイナ!」


お風呂から、まるで戦場のような言葉が聞こえる。

そして、高圧洗浄機のようなありえない水の音とともに、エカテリーナの煽るようなセリフ。


「ほほほほほっ、この程度で一歩も動けないなんて。お前たちはこの程度なのかしら」


(セリフだけ聞いてたらまるで悪役みたい)


「風呂が無事ならいい」

ラファエルさんは静かにお茶を飲んでいる。


男の子たちは、羨ましそうにお風呂から響く声に耳を澄ませていた。



ざっぱーーーーんっ!

ばっしゃーーーーんっ!


音は容赦なく続く。


「ぎゃーーーーーーっ!」

この声はピノだろうか。


「なんか、楽しそうだねえ」

私が言うと、ラファエルさんは、ふ、と小さく笑みをこぼした。


「ほほほほほっ、生き残りたくば本気を見せなさい」


「でっかいお水が襲ってくるーー!」


まるで、お風呂のお湯全てを一度にひっくり返したような轟音がした。


「……うぅ、茜ぇ……」

ノワールの泣き声が聞こえたから、私は平和的解決に向かうことにした。

お風呂の扉を勢いよく開くと、浴室の隅で膝を抱えて泣くノワールと、素っ裸のまま二対一で睨みあう姿が……。


「いい加減にしなさーーい! みんな正座っ!」

私は泣いているノワールをタオルで拭きながら、三人にもタオルを投げつけた。


エカテリーナは恥ずかしげもなく優雅にタオルを巻きながら、口角を上げた。

ネレイナとピノに向かって、勝者の笑みを浮かべている。


ネレイナとピノは、裸のまま「次は勝つ!」なんて宣言していた。


「お風呂で戦うんじゃありません……」

私は呆れたが、エカテリーナさんは子供たちを魔法で器用に乾かしてくれた。

おかげでみんなの尻尾はいつも以上にふわふわの仕上がりだった。




+ + +




あれだけ騒いでお腹がすいたのか、子どもたちが台所をのぞき始めた。

人手がたくさんあるから、今日はみんなで簡単にパンケーキを焼いていくつもりだった。


生地は私がたくさん準備したから、あとは子供たちやエカテリーナさんが、思いおもいに好きな果物やクリーム、蜂蜜を飾ってもらえばいいかな……って、軽い気持ちで考えていた。



林檎を手にしたエカテリーナさんは、まな板に林檎を置いた。

隣ではネレイナが柔らかく甘みのあるバナナに似た果物をスライスしている。


ピノはチョコを湯煎して生クリーム混ぜているし、ノワールは生クリームを泡立てている。

男の子たちは、好きなナッツを砕いたり、クッキーを細かく割っている。

みんなで飾りを考えるのも楽しい。


そんな風に穏やかに眺めていたら、視界の端でエカテリーナさんが、なぜか一番大きな包丁を勢いよく振り上げた。

瞬きする間もなく、振り下ろされた包丁は、深々とまな板に刺さっていた。


目測を誤ったのか、林檎は綺麗なままだった。



「……切れないわ、これ」


エカテリーナさんのつぶやきに、子どもたちは笑い転げた。

「へただ!」

「まな板は食べれないよ?」

「戦争の続きなの?」


笑いながら、言葉はエカテリーナに集中した。

ネレイナは自分の切った果物をエカテリーナに見せつけ、勝ち誇ったように大きく尻尾を振った。


「お姉さんの本気が、それ?」


いつものネレイナならこんなこと言わないのに、お風呂での戦いがネレイナに影響してしまったらしい。

私はラファエルさんに止めてもらおうと期待して視線を送る。

しかし、ラファエルさんは「ネレイナの方がはるかに上手だな」とネレイナを褒めていた。


エカテリーナさんは、扇子を片手にまた包丁を握った。

林檎をめがけてまた包丁を振り下ろそうとした。


でもその手をローレンツが止めた。

「危なっかしいなぁ、俺がやるよ」

誰かのお世話をする姿は、今まであまり見たことがなかった。


エカテリーナさんは、ラファエルさんに「お前はトトと見学でもしていろ」と椅子へと促されていた。


エカテリーナさんはトトを膝に乗せながら、ローレンツを眺めていた。

どこか飄々とした様子で目を細める。


「へぇ……私って、城を出たら何も出来ないのね。ひとつ学んだわ」


その言葉に、ラファエルさんは「当然だろうな」とため息を吐きながら返した。


でも、ローレンツは違った印象を持ったようだ。


「いいんだよ、国の事に一生懸命なんだから。それ以外の事なら、こうやって手伝える」

エカテリーナの切ろうとした林檎を、器用にするすると剥いていった。

剥いた林檎を薄くスライスして、エカテリーナに差し出す。


(女王様だから、毒見とか必要なのかな?)


私が動くよりも早く、エカテリーナさんは林檎を受け取って、一口齧った。


しゃり。


瑞々しい音が響いた。


「あら、美味しいじゃない」

珍しく、扇子で隠れていない穏やかな微笑み。

その貌を目の前で見たローレンツは、わずかに耳を赤くした。


「……林檎なら、いつでも俺が切るよ。だから、エカテリーナさんはそうやって笑っていてほしい。笑顔が綺麗だから」



私は、その言葉に少しだけ胸が痛くなった。

偶然なのに、市橋さんがエカテリーナさんのために贈った最期の言葉が重なる。

エカテリーナさんは、一瞬だけ戸惑うように表情を崩しかけた。

一瞬だから、多分誰も気づかなかったと思う。


それでも、エカテリーナさんはローレンツに向けてもう一度微笑んだ。



ローレンツはまた、目を奪われていた。

「俺、稽古頑張るから。いつか大人になったら、傍で護れるようになります」

その宣言は、ローレンツから初めて聞いた、将来の夢のようなものだった。



思わず、私はエカテリーナさんの反応をみた。

(エカテリーナさんは笑うだろうか、それともーー)


エカテリーナさんは、ローレンツの目をしっかりと見つめながら、手を差し出した。

「ゆっくり成長なさい、専属騎士の座を空けておくから」


これは、騎士の誓い。



その作法なんて私も物語でしか知らない。

だからこそ、ローレンツはエカテリーナさんの小指に自分の小指を絡めて「指切り」した。


まさかの私のお約束の影響が、こんな感動の場面を邪魔するなんて!

私は自分の教育方法を反省した。


室内に広がる指切りの歌。

一人が歌うとなぜかみんなが歌いだす単調なリズム。


小指をつないだままぶんぶんと上下に動かされているエカテリーナさんの視線が、私に刺さる。

間違いなく「貴女の影響ね」とでも言いたそうな表情だった。


(すみません、そのとおりです)


私は謝罪の意思を視線で伝えた。

エカテリーナさんは目を伏せ、口角を上げた。


そしてローレンツに「ゆっくり成長なさい、待っているから」と約束をしてくれた。



完成したパンケーキは、たくさんあったはずなのに、あっという間にみんなの胃に納められた。


そして、昼食の片付けを手分けしてやり終えた後、彼女は薔薇の前に立った。

来た時のように転移魔法を唱え始めた。


その光景を見ていたネレイナは、エカテリーナに近寄った。


「……来たかったら、また来てもいいから」

平らになった耳と、大きく振られた尻尾。

顔は背けているけど、ネレイナの中でエカテリーナさんの印象が少しだけ変化したのかもしれない。



私はネレイナの隣に立って「また、いつでも来てくださいね」と笑った。


転移する直前、エカテリーナの貌は笑顔だった。


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