第十五話 思い出の攻防戦
「ラファエルさん、どうぞ」
私はお茶の入ったマグカップをラファエルさんの前に置いた。
この五年間で子どもたちもずいぶん大きくなって、私たちが寝かしつけなくても子供同士で眠れるようになった。
最近では寝室も分けようかと話しているくらいだ。
この教会は二階に四部屋もあるから、きっとそのうちに一人の空間が欲しくなったりもするのかもしれない。一階にも一部屋あるけれど、人数的に一人一部屋は難しいから、家具などで仕切りを考えないと……子供たちが寝静まってから、家族会議と称してこうして一緒にお茶を飲んでいる。
ラファエルさんがマグカップからゆっくりとお茶を飲む。
最近、ふとその唇を見てしまう。
五年前、王城で私が消えかけた時、ラファエルさんが口づけで魔力循環をしてくれたこと。
その瞬間を思い出しては、自分の唇に触れてみたりする。
(これじゃあ欲求不満の人みたい)
私はもやもやしながら自分のマグカップに触れた。
温かいお茶が入っているから、指先が温かい。
私はまた、ちらとラファエルさんの唇を盗み見た。
「……どうした」
ラファエルさんが目を伏せたまま私に尋ねる。
こちらを見ていないのに私の視線に気づかれていたのかと思うと、少し恥ずかしい。
「ラファエルさんは五年前の事、覚えていますか?」
私は思い切って質問した。
ラファエルさんは平然と「継承権争いか」と答える。
(そうなんだけど、そうじゃなくてーー)
今更かもしれないけど、私だけ意識している様で少し悔しい。
一度だけ眠るラファエルさんの頬に口づけたことがあったけれど、あの時みたいに唇を重ねられたらどんな感じなんだろう。
二人になると、そればかりを考えている私がいた。
「ラファエルさん」
私は気合を込めて名前を呼んだ。
ラファエルさんも少しは気にしてほしい。
もやもやする時間を過ごしてくれたらいいのに。
ラファエルさんはマグカップをテーブルに置き、私と視線を合わせてくれた。
いつも通りの、余裕を感じさせる穏やかな表情で。
「……何だ」
その平然とした答えに、私はまたもやもやする。
私はラファエルさんをじっと見つめた。
ゆっくりと立ち上がり、一歩近づく。
ラファエルさんは無言で私の動きを見ている。
もう一歩近づく。
確実に距離が詰まる。
ラファエルさんはそっと視線を逸らした。
私の目がじわりと据わる。
「……もしかして、避けてます?」
「いや、近いな……と」
いつも隣で眠るときは、もっと近くにいるのに。
(あと一歩の距離で目を逸らすなんて)
私は小さく息を吸う。
そして、ラファエルさんの襟を目いっぱい掴んだ。
「なっ――」
勢いのまま、ぐいっと引き寄せる。
ラファエルさんは瞠目したまま私の目の前に引き寄せられた、次の瞬間。
がちん!
唇の奥で、歯がぶつかった。
衝突したような、痛みのある勢い任せの口づけだった。
正直に言えば、完全に失敗だった。
私の想像だと、もっとドラマのような感動的な口づけを想像していたのに。
私も、ラファエルさんも一瞬固まる。
互いにぶつけた唇に触れていた。
なんなら、ラファエルさんの下唇は血がにじんでいる。
私は申し訳なさと格好悪さで顔が真っ赤だった。
「……っ!」
経験値がないとはいえ、これは恥ずかしい。
でも引きたくない。
私は、ラファエルさんをキッと睨む。
そして自分の気持ちを言い放った。
「あの時の仕返しです!」
ラファエルさんはしばらく動かなかった。
そして、口元を押さえたまま、ふっと笑った。
それは、今まで見せたことのない笑い方だった。
低く、静かな笑い。
「……下手だな」
私の顔はさらに熱をもって赤くなる。
「なっ」
言い返す前に、今度はラファエルさんが私の顎をそっと持ち上げた。
「覚えろ」
低く響く声。
そして、今度はゆっくりと唇を重ねた。
さっきとは全然違う落ち着いた口づけ。
優しく。
深い。
私は驚きで一瞬目を丸くしたけれど、状況を理解して、ゆっくりと閉じた。
ラファエルさんが、ゆっくりと唇を離す。
離れていく感覚が、ぼんやりと感じられた。
顔の距離は、まだ近い。
ぼんやりしていた私に、ラファエルさんが静かな声で言う。
「覚えたか?」
私は数秒黙っていた。
言葉が何も出てこなかったから。
「覚えるので、また、してくださいね」
私の言葉に、ラファエルさんはしばらく黙りこんでいた。
それから小さく息を吐き「……阿呆」と笑った。
私は思わずくすりと笑った。
ラファエルさんは少しだけ困った顔をした。
子どもたちが寝静まった後の、静かで穏やかな時間が、そこにあった。




