第二話 ネレイナvsアシュレイ
「茜、アシュレイと喧嘩した」
ネレイナが頬を膨らませて言った。
そんな報告を、本人がいる朝食の席でするのはどうなのかな。
私は驚いてアシュレイを見た。
アシュレイはマグカップを両手で持ち、のんびりとホットミルクを飲んでいた。
(ーー喧嘩?)
ラファエルさんは黙々とパンを食べている。
他の子たちのお耳が私に向いてぴくぴく動いているから、会話には興味津々らしい。
「ネレイナ、アシュレイ、何があったのか二人から原因を教えてくれる?」
ネレイナは尻尾を床に叩きつけるように動かし、下唇がちょっと突き出ている。
そんな仕草が子供らしくて可愛いんだけど、こういう時は真面目に聞かないといけないからね。
抱きしめたい衝動をぐっとこらえる。
「アシュレイがね、いつか国に帰るって……。ここは家じゃないから、って……」
言いながら、ネレイナの目に涙が溜まっていく。
怒っていたはずの尻尾が、ゆっくりと丸まっていく。
ネレイナとトトは、この教会最初の子供たちだった。
家は街ごと壊され、家族もきっと……。
ネレイナにとって、ここがようやく安心して暮らせる家だからこそ、言われて辛い言葉だったに違いない。
「アシュレイは、ここの暮らしは辛い? 直してほしいところがあるなら教えて? ……努力するから」
必ず完璧に、なんてできるわけがないから。
それでも改善点を知ることができれば、寄り添うことはできるはず。
私は席を立ち、アシュレイの隣に移動した。
目線を合わせ、もう一度訊く。
「ここにいるのは辛い?」
アシュレイはマグカップを置いて、はくはくと口を動かすが、言葉が出せないようだった。
「だって……待ってる人、いないって……いったじゃん! アシュレイの国、戦争で負けちゃったから、もうないって聞いたんだもん!」
子どもの素直すぎる言葉は、真っすぐに刺さってしまう。
言いすぎているネレイナを叱ろうと立ち上がった。
「ネレイナ、その言葉はだめだ」
私が叱るよりも先に、ラファエルさんの低い声が食堂に響いた。
感情的ではない、低く落ち着いた声。
それでもネレイナには十分怖かったのか、ネレイナの顔がみるみる歪んでいく。
「……っ、ラファエルさんのばかぁーー! アシュレイもばかーー! みんなもばかばかばかーー!」
泣きながら教会から飛び出した。
正直、ほかのみんなは巻き込まれただけなので気にしなくてもいいはず。
それでも子供の涙はじわじわと伝播して、部屋は阿鼻叫喚の地獄絵図のように泣き叫ぶ子供たちで溢れてしまった。
ラファエルさんは席を立ち、目線をくれる。
「ラファエルさんはネレイナを追いかけてください、私はこの子たちと一緒に待ってます」
ラファエルさんは私の頭をひと撫ですると、教会の外へと出て行った。
私は青い顔をして静かに涙をこぼすアシュレイを抱きしめながら、ほかの子たちへと腕を広げた。
「みんな、おいで! ぎゅーってするから」
涙と鼻水で顔をくちゃくちゃにした子供たちが、ゆっくりと私に近寄ってくる。
一人ずつ腕を捕まえて、まとめて抱きしめる。
「こんな時、ラファエルさんくらい大きかったらなぁ……」
みんなまとめて包んであげられるのに。
声も出せずに静かに身体を震わせて涙を零すアシュレイが、いつか大声で泣けるようになりますように。
静かに願うことしかできなかった。
+ + +
教会横の畑の隅。
丁度いい日陰で、どの場所よりもミミズが多い、ネレイナのお気に入りの場所。
そこで背中を小さく丸めるネレイナがいた。
ラファエルはゆっくり近づく。
気配に気づいた背中が、一度だけ大きく跳ねたが、足音の主に気づいたらしい。
「……アシュレイ、怒ってる?」
ネレイナから零れた小さな言葉。
ラファエルは答えず、ネレイナの隣に腰を下ろした。
「茜、いじわるな私の事嫌いになっちゃったかなぁ……」
ラファエルの肩に、ネレイナが顔を埋める。
右肩がネレイナの涙でどんどん湿っていく。
ラファエルは左手を動かし、ネレイナの頭を撫でた。
「少し言葉を間違えただけだ。本当に伝えたい気持ちは、お前の中にあるのだろう?」
「ほんとうの、きもち」
ネレイナは鼻をすすりながら繰り返す。
「私のほんとうの気持ち」
ゆっくりと上げたその顔は、涙と鼻水でドロドロだ。
「……っふ」
ラファエルの口から思わず声が出る。
笑われたのだと気付いたネレイナの顔が、またじわじわと崩れてーー号泣した。
「ラファエルさんのばかぁーーーーーー」
小さな手がラファエルの肩をぽすぽすと叩く。
全く痛みはないが、ラファエルはわざとらしく顔をしかめた。
「……いたい、いたい。すまないネレイナ。これは俺の間違いだ」
泣き声は多分教会の中にも届いただろう。
(後で茜に叱られるか……)
ひとしきり叩いて満足したのか、泣きすぎたネレイナは眠そうに欠伸をしている。
ネレイナを抱き上げ、立ち上がる。
「……俺でもこうして言葉を間違える。間違えたら謝るところからはじめればいいさ」
ネレイナの背中をぽんぽんと叩きながらラファエルは言う。
「あやまったら?」
目を擦りながらネレイナが訊く。
「謝ったら、言いたかった本当の気持ちを伝えるんだ」
「……わたしが家族だよ、って?」
「そうだな」
「みんなも家族だよ……って?」
ラファエルは頷く。
ネレイナの腕が、ラファエルの首をぎゅっと抱きしめた。
「ラファエルさんと、茜も? ……みんなの家族?」
「それ以外なにがある?」
ラファエルの言葉に、ネレイナが「そっか」と小さく笑った。
教会に戻るころには、腕の中で小さく寝息を立てていた。
「子供は、忙しいな」
その言葉は、誰にも聞かれず静かに消えた。




