閑話 若き王
バルコニーからはるか遠くまで見える民衆たちは、全てが新王の即位を祝うために集まっていた。
緊張からか、身体を固くして周囲を見渡すのは、150歳という若さで王になったギルベルトだった。
クロードはギルベルトの指先が小刻みに震えていることに気づき、そっと隣に並んだ。
「大丈夫だ、全てを一人で抱えるわけではない」
まだ成長途中の王に不安や不満を感じるものは多い。
(それでも、部下や民に選ばれたのだから、素質はある)
自信を持て、その気持ちを込めクロードはギルベルトの背中に触れた。
見た目はまだ大人にもなり切れていない。
他種族に年齢を当てはめると十四、五の子供なのだから仕方ない。
(せめて先王の治世があと百年続いていれば、準備もできたものを)
幼い王が傀儡にならぬよう、宰相となり尽力することを決めた。
傍らで震えても視線を落とさない、そんなギルベルトが誇らしかった。
「クロード、僕は父のような愚かな王にはなりたくない」
この誓いのような言葉を、忘れることができなかった。
クロードの目に映る微かな未来。
それは、王の孤独な最期だった。
(未来視は、所詮ただの可能性だ)
クロードは小さく頭を振り、不安をかき消した。
即位後に開かれたのは祝宴だった。
他国からの賓客がかわるがわる新王へと頭を下げる。
最初はぎこちなかったギルベルトも、多少の酒が入り緊張が緩んだ様子だった。
ギルベルトは外交のためたびたび席を外したが、クロードはなるべくその傍を離れないようにしていたーーつもりだった。
いつしか狡猾な部下が、王妃の座を狙う部下たちの視線が、ギルベルトを捕えていた。
クロードが目を離した僅かの間に、王は私室へと連れ込まれていた。
急いで転移し、ギルベルトの私室の扉を叩いたが、間に合わなかった。
クロードは部屋の中にいるギルベルトと、複数の女の気配に頭を抱えた。
「愚か者どもが……」
クロードの言葉は、魔力の壁に溶けて消えた。
王に目を掛ける重臣が、せめてもう一人いたらーーその後悔は間に合わなかった。
+ + +
翌朝、清々しい顔をしたギルベルトが玉座の間に現れた。
何があったのかを問う気はなかった。
起きてしまったものは仕方ない。
せめてそれが自信に繋がるのなら、若い過ちも目を瞑るしかない。
クロードは口を閉ざした。
当のギルベルトの頬は、どこか紅潮している。
「王というものは、大変なものなのだな……」
興奮が隠しきれない幼い王に、クロードはため息を吐く。
「ギルベルト、後継者を残すことも大事な役目だ。しかしまずは民のために何をすべきか指針を考えることが先だろう」
昨晩の行為を知られていると思わなかったのか、ギルベルトの顔は真っ赤になっていた。
「し、しかたないだろう。先王の重鎮の娘や孫という女たちが……」
くだらない言い訳に思わず顔をしかめる。
「求めてきた相手を全て抱いていたら、国は簡単に滅ぶ。抱くにしても選べ。全てを受け入れる王に価値はない」
叱られたギルベルトはしゅんと肩を落とす。
「……すまない」
そう小さく頭を下げた。
クロードはその頭を軽く撫でた。
「大丈夫だ、一度くらいの過ちはどうとでもなる」
その言葉に、ギルベルトは安心したように笑った。
その日から、王としての務めと教育を同時に進めていく日々が続いた。
ギルベルトは弱音を吐くことなく、必死についてきた。
その努力がただ愛おしかった。
「クロード、たまには師匠として稽古をつけてくれないか?」
純粋な目がクロードに向けられる。
しかし、頷くことはできなかった。
「私を師匠と呼ぶのは控えるように。お前はもう王なのだから」
ギルベルトは小さく「そうか」と項垂れた。
すまない気持ちにはなるが、これも立場として理解してもらうほかない。
(師匠という言葉を曲解し、私に取り入ってくる者も少なくないからな)
いつまで王を守る城壁でいられるか。
先王に見初められ、ギルベルトの師に選ばれるまで、クロードは他種族との関わりを必要としなかった。
その結果、さまざまなものを読み違えてしまう。。
クロードはそんな己の無力さを感じていた。
そして、エルフゆえの表情の乏しさにギルベルトが誤解し悩んでいることにも、この時は気付けていなかった。
そこから先は、崩れた岩が山を転がるかのようだった。
若い王にかけられた重すぎる期待。
それでもギルベルトは努力をし続けた。
成果に目を向けず、足りない事への不満ばかり口にする民への悩み。
寸暇を惜しんで机に向かった。
しかし、己の利益しか考えない部下にはむべもなく振り回されていった。
何度意見を伝えても、間違った選択を諫めても、ギルベルトに正しく伝わることはなかった。
いつの間にか、王妃として隣に居座った女のせいで。
それでもクロードは目を逸らさなかった。
王妃の出産、初めての子供。
その時はまだ、疲れながらも父親として良き王になるのだと言っていた。
そして何番目かの側妃に子供ができた時には、ギルベルトは壊れていた。
クロードは久しぶりに玉座に呼ばれ、即座に駆け付けた。
ひと払いの済んだ広間は、重苦しいほどに静かだった。
玉座で項垂れる王は、数百年前からその姿を止めていた。
その王が、ゆっくりと思い口を開いた。
くつくつと肩を震わせ、まるで泣いているようにも思えた。
「クロード、知っているか? 魔族の子供の髪色は、父親のものを遺伝するそうだ」
クロードは、何も答えなかった。
「俺の子供で、何人黒がいる? ……たった三人だ」
政治的にも、子孫を残し立場を強固にするため、様々な手が取られてきた。
クロードはギルベルトの子供の数を知っているからこそ、何も言えなかった。
「……ならば、残り132人の子供は、誰の種だ?」
そう言ってギルベルトは顔を上げた。
その貌には、何の感情も宿っていなかった。
ギルベルトは立ち上がり、ふらふらとクロードに近寄った。
胸倉を掴むと、その体を自分の顔近くまで引き寄せた。
「クロード、俺の目を見ろ。狡猾な女どもをどうすればいい? 教えろ」
息が顔にかかる距離で睨まれ、クロードは戸惑った。
「女たちも、生き残るために必死だったのだろう……」
その言葉が、ギルベルトの逆鱗に触れたのだろうか。
その後、笑いながらすべての塔を壊していった。
王に似た一人の子どもしか生まなかった第七側妃は、裏切りなどしていないと主張した。
それでも、異国の祭壇に祈ったという些細な理由で命を奪われた。
王妃の子は二人生き残った。
黒目黒髪で、まぎれもなくギルベルトの子だった。
「一人残せばいい」と投げやりになったギルベルトに、どうにか三人の命を繋げることしかできなかった。
幼いながらに全ての死を見届けさせられた長男。
同じく子どもながらに自らの有用性を語って交渉する娘の姿。
そして、泣き声をあげることなく、母親と従者の遺体に寄り添う子供が、ただただ哀れだった。
+ + +
クロードは霧の立ち込める森の奥に居を構えた。
かつてギルベルトの父親が迷い込んだこの場所で、全てを見届けると決めた。
(エカテリーナはあの日のお前のような目で民を見たぞ)
未来を考え、不器用でも努力し続けたギルベルトの姿を思い出す。
歪んで、感情を失っていった。
エカテリーナとシグルドの未来は、穏やかではないが暗いものではなかった。
あの三人の未来に、ラファエルと茜はいなかった。
だからこそ願わずにいられない。
「どうか、穏やかに生きられるよう」
クロードの祈りは、深い霧に溶けた。




