第六十二話 新王、即位
即位の儀は華美なものではなかった。
この国初となる女王の即位だというのに、城は黒い布で飾られ、花瓶にわずかな赤い薔薇が添えられているだけだった。
「エカテリーナ、お前という妹は……」
シグルドは額を押さえた。
かくいうシグルドも、黒字にささやかな青銀の刺繍が入った衣装を身にまとっている。
そんな姿を上から下まで眺めるように視線を動かし、エカテリーナは口角を上げた。
「似た者兄妹、と言ったところかしらね」
玉座にゆったりと肘をつき、エカテリーナは言う。
「……この椅子が空いたのは、誰かの死があったからだわ。それを祝う気なんてさらさらないの」
ぷいと顔を背ける妹の頭に、そっと手を乗せた。
「お前のその不器用な優しさが、きっとこの国の新しい光になる」
「優しさじゃなくてよ? こんなことに民の税金を使いたくなかっただけーーそれに、国葬みたいな色にしてしまえば、派手さを抑えられるでしょう」
「それは、合理的だな」
シグルドの手は不器用に頭をひと撫でし、降ろされた。
(そう、ただの合理的。あんな父の死に胸を痛める必要はない)
そう思っても、エカテリーナの貌は晴れなかった。
「さて、時間だな」
シグルドに促され、エカテリーナは民の待つバルコニーへと立った。
眼下に広がる庭園には、民衆が溢れる。
この日だけは王城近くへ立ち入ることが許されていた。
エカテリーナがバルコニーに姿を現すと、民衆はその美しさに目を奪われた。
至る所から、女王即位を喜ぶ声が上がる。
エカテリーナはその光景に目を細め、軽く腕を振り応えた。
(女は役立たずだと言っていた部下はどこで見ているかしら)
周囲を見渡すように、視線を動かす。
(王が変われば良いものを与えてもらえると当然のように待っている民……)
僅かな苛立ちを感じる。
斜め後ろに立つシグルドに声をかける。
「ねえ、お兄様。この光景をお父様も見たのかしら」
期待の込められた眼差し。
湧き上がる声援。
大人も、子供も、老人も、赤子を連れた者もいる。
その誰もが、エカテリーナの即位を祝っている。
(それでも、私はあの父のようにはならない)
シグルドは一歩近づき、エカテリーナの背中に触れた。
「あぁ、見ただろうな。……この光景を忘れずにいよう、お互いにな」
「えぇ。忘れかけたらその時は叱ってくださるでしょう? お兄様なら」
遠目には、ただ仲の良い兄妹のように思えただろう。
(私たちがこの座に立つまで、何を失ってきたかなんて、民は知らないことだもの)
エカテリーナは、目を閉じ、鎖骨の間で揺れる無骨な石のネックレスに触れた。
何の輝きもない、ただの角の取れた石。
エカテリーナは視界の端で、シグルドも同じような動きをしているのを見た。
「……お兄様もわたくしも、存外不器用なのね」
そのつぶやきに、返ってくる言葉はない。ただ、シグルドの口角が静かに緩んだ気がした。
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「まさか晩餐会を抜けてくるとは思わなかった」
片づけられた宰相の執務室で、クロードは呆れたように額を押さえる。
この場にいるのは、女王となったばかりのエカテリーナ、そして宰相であるシグルド、王弟となったラファエルと茜だった。
エカテリーナはそんな視線を気にも留めていない様子だ。
「いいのよ、国同士の話はいつでもできるもの。重要な話ならいくらでも……でも私個人と繋がりたい相手が多すぎて嫌になる……」
「まあ、お前と婚姻できれば王配だからな。繋がりたいものは多いだろうな」
ラファエルはさも当然のように言う。
「ちゃんと見極めさせてもらうがな……」
そういうシグルドの目は笑っていない。
「エカテリーナさん美人だから、モテるのは当然ですもんね!」
茜はなぜか胸を張っている。
美人と言われたエカテリーナは、なぜか扇子で顔を半分隠して横を向く。
「お、お前たちの国はなんなの? 人の容姿を褒めないといけないルールでもあるの?」
「そう簡単には褒めないと思うんですけど、エカテリーナさんは今まで見た女の人の中で誰よりも綺麗だから」
茜はさも当然のように言う。
その言葉に、エカテリーナがたじたじになっている。
「我々の容姿は、認めたくないが整っているからな」
シグルドが腕を組んで頷く。
「まあ、あの王が見た目で生かす程度には……」
ラファエルは視線を下に向けた。
そんな三人のやり取りに、クロードは吹き出した。
「ははっ、お前たちは本当にギルベルトとは違うな!」
まさか自分がこうして声を出して笑えるようになるとは思わなかった。
そのまま笑い続ける姿を三人は戸惑ったように見ている。
茜だけ、なぜか釣られて楽しそうに笑っているが。
(やっと、役目が終わった)
クロードは笑いすぎて目の端にたまった涙を拭った。
「一つ教えてやろう、あいつは自分の容姿をひどく嫌っていたよ。それでも自分によく似たお前たちを生かした理由を考えてみろ」
それを、三人の人生の宿題にでもするつもりだった。
それなのに、茜が首を傾けて言う。
「三人には幸せになってほしかったんじゃないですか? 自分は幸せになれないからって」
やり方は最悪だけどーーそう茜は顔をしかめる。
「そもそも、幸せなんて誰かと比較するものでもなければ、諦めるものでもないのに……」
違う世界で生きてきた茜らしい、甘すぎる答え。
クロードは訊く。
「ならば、お前はどうやれば幸せになれると思う?」
茜の目線が答えを探して揺れる。
そして、隣に立つラファエルを見上げて笑う。
「分からないです。でも、ラファエルさんの傍に居られたら心地いい気がします」
快か、不快か。
あまりに単純すぎる答えに全員が笑った。
ラファエルは、茜の頭を撫でている。
「堂々と惚気るのはおやめなさいね!」
エカテリーナは耳まで赤くなっている。
シグルドも茜を撫でた。
あの張り詰めていた兄弟が見せる自然な優しさに、クロードは思わず目じりを下げた。
「それくらい単純な方が、迷うことも少ないだろう。さてーー」
クロードは床に魔法陣を描く。
ラファエルと茜の足元にも、文様が異なる魔法陣が現れた。
ラファエルの背後には、シグルドに持たされた山のような物資。
その物資を前に、茜は「シグルドさんって過保護ですよね」と笑う。
エカテリーナの薔薇も、花瓶が割れないように魔法で浮かされ、積み荷の中にある。
エカテリーナはクロードに言った。
「私たちの治世を見届けなさい。約束を忘れずに」
クロードはその言葉にしっかりと頷いた。
そして、エカテリーナの瞳を見つめる。
(私が君を殺しに行く未来は見えない、お前たちなら大丈夫だ)
エカテリーナはラファエルに告げる。
「あの町の人たちを頼んだわよ、豊かな街になるよう願っているわ」
「お前ほど不器用なやつが、どんな国を作るのか楽しみだ……姉さん」
姉さんと呼ばれたエカテリーナは、横を向く。しかしその瞳は潤んでいる。
クロードは茜を見つめた。
そして、耳元で小さく囁いた。
「生きろ」
その言葉の意味を、あえて伝えなかった。
それでも、茜は満面の笑みで答えた。
「もちろんです!」と。
次の瞬間、魔法陣が発動した。
その場にエカテリーナとシグルドだけを残して。
執務室には静寂だけが残った。
ーーそれが、新たな始まりだった。




