第五十五話 陥落
玉座の前、私を背中で隠すようにラファエルさんは立っていた。
王は、笑っている。
その笑顔だけを切り取れば、とても穏やかな表情にみえた。
ただ、シグルドさんを痛めつけ、市橋さんを砕き、クロードと呼ばれた男を殴った……そんな人だとは到底思えないくらいに。
呼吸をするだけで、緊張感で喉がひりつく。
唾液を飲み下すゴクリという音が、とても大きな音に感じるくらい、この部屋は静まり返っていた。
「こうして会うのは久しいな、ラファエル」
王は、親しみのある落ち着いた声で話し出した。
「お前に最後にあったのは、側妃の塔の前だったな」
ラファエルさんの背中が、わずかに震えた。
「あの日、目障りな側妃ともども消そうかと思ったが、残してよかった。おかげでとても興味深い」
表情に不穏なものが混ざる。
懐かしそうに、残酷な言葉を吐く。
こんな人が、ラファエルさんの父親だなんて。
ーー耳を塞いであげたいと、思った。
「……俺も、今ようやく生きていることに意味を感じ始めたところだ」
ラファエルさんの身体から、灰色の煙のような魔力が立ちあがる。
それが彼の、攻撃的な魔力だと知るのは、ラファエルさんが剣を素早く振り下ろしてからだった。
ぶおんっ。
まるで、蜂の低い羽音のようだった。
剣から一直線に魔力が放たれる。
玉座に向けられた魔力は、王に届く直前で、まるで触れることすら許されないかのように弾けて消えた。
ラファエルさんは、舌打ちをしながら二回、三回と攻撃を繰り返した。
玉座を避けるように、剣が亀裂を作り出す。
王は楽しそうに手を払う動作をしていただけだった。
「お前の母を手籠めにしたのは、ただの気まぐれだったが、腹にお前が宿ったと知ると半狂乱に泣き叫んでいたぞ」
王が目を細める。
「まさか泣きながら拒絶した俺に似た子どもが生まれるとは、思ってもいなかっただろう」
くつくつと肩を震わせ、可笑しそうに笑う。
「黙れ。母が俺の容姿で長年苦しんでいたのは知っている。だが、母はちゃんと愛情をかけて育ててくれた。侍従もろともお前に命を奪われるまではな!」
ラファエルさんの魔力が、濃さを増す。
王に向ける怒りが背中から伝わる。
私は、張り詰めた緊張感で、動くことすらできなかった。
ラファエルさんも、シグルドさんも、エカテリーナさんも、みんな王に似ていた。
似ていたからこそ生かされた、そう言っていたけれど。
この王に「生かされる」ことは、どれほど苦しかっただろう。
私の家族は、あの世界では当たり前の親子関係だった。
少しとはいえ反抗期もあって、親を困らせてしまったこともあった。
それでも、家族は私を信じて傍にいてくれた。
なら、今ラファエルさんにこんな態度をみせる、この人は何なのだろう。
私は、じわじわとこみ上げる怒りを抑えられなかった。
ラファエルさんの何度目かの剣戟が玉座の角を削り落とした。
その瞬間、王は僅かに瞠目した。
「ほう! お前の魔力は最弱だと思っていたが……届いたか! 凄いぞ、半分とはいえ俺の種を継いだだけはあるな」
酷い誉め言葉だった。
この人は、ラファエルさんを褒めていない。
ラファエルさんの中にある、半分の「自分」に向けて称賛の声を上げている。
そう思った。
目の前の、ラファエルさんの肩が激しく上下に動いている。
怒りと、魔力による連続した攻撃による疲弊だろうか。
止められたらいいのに。
私には、ただラファエルさんの邪魔にならないよう、息をひそめて見守ることしかできなかった。
欠けた玉座に座る王は、微動だにしていない。
ラファエルさんの攻撃は、小さな手の動きで全て軌道を逸らされている。
もし、私がこの王と戦えと言われたなら。
あの世界のギルドメンバー全員で戦ったとしても、多分勝機を見いだせずに戦意消失してしまうだろう。
それほどまでに感じる、戦闘能力の差。
それでも、ラファエルさんは諦めを感じさせない姿勢で攻撃を続けた。
どれほどの時間が経ったのか、分からなかった。
王が、長く深いため息を吐いた。
「……飽きた。お前の能力は、所詮わずかに玉座を削る程度のものだったか。道具も含め全員生かしておけば、もう少し楽しめたかもしれないが……道具を壊したのが惜しまれるな」
ひじ掛けにだらりと肘をつき、姿勢を崩した。
その表情からは、笑顔は消えていた。
その言葉通りに、飽き飽きとした様子だった。
「残すか……消すか。消してもまだ子は二人残るが……」
王が不穏な言葉を独り言ちている。
私は背筋がぞわりと粟立つのを感じた。
次の瞬間、玉座の王の姿が消えた。
瞬きをする間もなくーーラファエルさんの身体を、王の腕が貫いていた。
「……うっ」
ラファエルさんの、低く苦しそうな声。
その腕は、私の眼前まで届いていた。
赤い雫が、黒い大理石のような床石を濡らしていく。
王は、貫いた腕をそのままに、ゆっくりとした動きでラファエルさんを抱きしめた。
「お前にしては、よくやった。誉めてやろう。たまには俺も親らしいことをしないとな」
ラファエルさんの身体の中心から伸びた腕が、ラファエルさんの背中をぽんぽんと優しく叩く。
その異様な光景に、私は思わず叫んでいた。




