第五十三話 私だけの騎士
予感は、当たってしまった。
転移させられた場所は、私たちがこの世界で「文化標本」として案内された、玉座の間、だった。
何が起きたのか。
ラファエルさんの詠唱は奪われた。
玉座に、前のめりに座り、興味深そうな顔で笑っている、あの王に。
その後ろに立つ長身の男は、なぜか顔を背けていた。
茫然としている私の前に、エカテリーナさんが立つ。
誰よりも先に動いたのは彼女だった。
扇子で口元を隠し、王を真っすぐに見つめている。
でも、彼女の一番近くにいた私には見えていた。
彼女の身体が、小さく震えていることに。
エカテリーナさんの凛とした声が、玉座に響く。
「お父様、お兄様をお迎えに参りましたの」
ここに飛ばされたことについては、言及しない。
彼女の声は、微塵も震えていない。
「お父様ともあろうお方が、長男であるお兄様をこんなふうになさるなんて、あまりにも短慮が過ぎるのではなくて?」
王の唇が、ゆっくりと動く。
目を、弓なりに曲げながら。
「お前たちの言は、面白いな。弱者ながらに、よく足掻く……。あの日、お前を生かしてよかった。おかげで今が楽しくて仕方ない!」
王の手が、前に突き出された。
王が魔法を放ったことに気づいたのは、エカテリーナさんの前に、剣を構えた市橋さんが走り出てからだった。
まるで、重くて硬いものをぶつけ合ったかのような、鈍く激しい音が響いた。
思わず目を閉じてしまい、その瞬間を見ることは叶わなかった。
私と、倒れているシグルドさんを後ろ手にかばったラファエルさんが「市橋!」と声を上げたから、音の主が市橋さんであることは理解した。
目を開けると、エカテリーナさんの前で、市橋さんが大剣を構えて立っている。
睨みつけるその目線の先には、手を叩いて笑う王の姿があった。
「受けたか、俺の魔力を! 面白い、お前が消耗品でなければ、騎士にでも登用したものを!」
消耗品。
この王にとって、私たちは使い終われば消える道具に過ぎないのだと思い知らされる。
「姫……無事か? 怖けりゃ、目を閉じてろよ」
市橋さんが、振り返らず話す言葉に、エカテリーナさんが言い返す。
「お前が前にいるのに? 怖いことなんてないわ。見届けるのも主人の責任よ」
彼女の言葉が、強がりだとわかる。
エカテリーナさんの腕は、自分を抱きしめるようにして震えていた。
ラファエルさんは、私とシグルドさんを庇いながら、小さく詠唱し、剣を召喚した。
王はこの状況を愉快そうに見ている。
「ほう、剣士二人に魔法が一人。……残念だな、シグルドが使えたら、俺の足元くらいには近づけたかもしれないのに」
可哀そうに、と口では言いながら、目はにやついたままこちらから離れない。
そしてまた、王は片手をあげる。
簡単な動作なのに、王の周りの空間がピリピリと痺れるように掌へと圧縮されーー放つ。
私たちの前に、恐怖が渦巻くような、全身の毛が逆立つような魔力の塊が迫ってきた。
(回復、できるだろうか……)
私は両手を合わせ、祈りながら痛みを覚悟した。
がきんっ!!
視線の先。
ーーまた、市橋さんがその全てを大剣で受けた。
でも、その剣は、柄から握りこぶし二つ分くらいの刃を残して、砕け散った。
割れて、砕ける。その全ての動きが、時間の流れを緩やかにしたように思えた。
受けきれなかった魔力が、市橋さんの身体を抉った。
剣を握る手の上、鳩尾あたりから心臓のすぐ下までの身体が、丸く失われていた。
エカテリーナさんに届く前に、魔力は消失したのか、エカテリーナさんは口を両手で塞いで悲鳴を堪えた。
治さなきゃ!!
ーーそう、動く前に、王からまた魔力が放たれた。
その貌は、満面の笑みだった。
エカテリーナさんを守ろうと、ラファエルさんが動くより先に、市橋さんが腰の剣を構えるのが見えた。
あんな体で、動けるはずないのに。
乾いた音を立てて、剣が砕けた。
エカテリーナさんの悲鳴と、王の耳障りな拍手の音。
ラファエルさんが、残酷な様子を見せまいと、私を胸に抱きしめた。
それでも、耳がすべての音を、声を聴いていた。
「……市橋、市橋っ!!」
エカテリーナさんの声に、涙の気配がする。
「エカテリーナ、泣くな」
市橋さんの穏やかな声。
私は、ラファエルさんの腕の中で、わずかに顔を動かした。
悲鳴を上げそうになった。
市橋さんの身体が、灰色に硬化している。
まるで、石像のような体と、全身に広がる赤黒い亀裂。
貫かれた場所からは、血は出ていないが、石が削り取られたようになっている。
「後は、頼むな。姫は、こう見えてただの強がりだから」
私とラファエルさんに向けた市橋さんの願い。
石像のような腕が、亀裂を広げながらエカテリーナさんの頬に伸びた。
「なんて貌してるんだ、ご主人様」
軽い口調に、穏やかな声。
その声は、ひどく優しかった。
エカテリーナさんの瞳に、溢れそうな涙がこみ上げている。
市橋さんの顔中に走る亀裂が、欠け始めていた。
それでも、エカテリーナさんを見つめる瞳は、とても慈愛に満ちたものだった。
愛しくて、仕方ないとでもいうように。
指が、エカテリーナさんの頬をひと撫でして、割れ落ちた。
市橋さんは、そんなもの気にも留めない様子で微笑む。
「……笑えよ。お前は、笑顔が綺麗なんだから」
その瞬間、亀裂が全身に広がった。
目の前で、一切の余韻もなく全てが砕け落ちた。
がらがらと、冷たい音を残し、無数の欠片となって床に散らばる。
音が収まり、静まり返った玉座の間に、エカテリーナさんの声が小さく響く。
「……いち、はし……?」
答えはない。
誰も言葉を発することができなかった。
エカテリーナさんの膝が崩れ落ちた。
両手を伸ばし、欠片を掴む。
「……待て」
バラバラの欠片を、その腕に必死の貌で集めて胸に抱く。
でも、市橋さんの欠片は、何度も床に零れ落ち、そのたびにエカテリーナさんはまた拾い集めた。
「違う……」
エカテリーナさんの声が震える。
「違う、違う……」
欠片を抱え直すが、まだ床に散らばっている。
私は、涙を堪えることができなかった。
懸命に拾い集めるその光景が、悲しくて仕方なかった。
「全部、拾うから……」
エカテリーナさんは、床にへばりついてかき集める。
「全部拾うから、治して……!」
腕の中の石を見下ろし、エカテリーナさんは泣き崩れる。
欠片を抱くその腕は、指さえも震え続けていた。
「壊れきってしまったものは、治せません……ごめんなさい」
私の力が、あの世界と同等であれば。
蘇生の力を使えていたら。
私はエカテリーナさんに頭を下げ、共に泣くことしかできなかった。
ラファエルさんは、私とエカテリーナさんを庇うように前で剣を構えている。
その背中から表情は読み取れないけれど、背中から伝わる緊張感から、彼の怒りを感じた。
きっと、彼は私たちのために王と睨みあっている。
そう思った。
私が顔をあげ、玉座の王を見た時。
その貌は、笑っていた。




