第四十八話 すれ違う優しさ
市橋がシグルドを訪ねたのは、エカテリーナに伝言を頼まれたからだった。
書簡に残さず、魔力を使わず届けるには、市橋を動かす事が一番効率が良かった。
シグルドの動きが、王に気取られていること。
王の盤上遊戯に残された三つの塔。その一つがヒビ割れはじめているーーそう、伝えるために。
通された応接室で、市橋は声をひそめて告げた。
しかし、シグルドは、それを伝えても意に介した様子はなかった。
それどころか「知っている」と口角を上げた。
「あの父親だからな。気分を害せば皆処理されるだろう。……まぁ、その筆頭は今のところ俺だがな」
「お前……そんな淡々と恐ろしい事言うなよ」
市橋には想像もできない世界だった。
エカテリーナも命を狙われる事に慣れていた。
シグルドもまた、王に殺される事をどこか当然のように考えている。
それが、市橋にはどうしても理解できなかった。
「お前は、生きろよ。あいつらの兄貴なんだろ?」
「兄貴、とは?」
「あー……言葉が悪いか、お兄さんって意味だよ」
シグルドはふっと顔を緩めた。
「あいつらより少し早く生まれただけだ。兄弟らしくなど、生きられなかったからな」
ーー今まではな、と笑う。
その珍しく緩んだ表情に、市橋は思い切って踏み込んだ。
「綾香を失った時、何を思った」
シグルドは瞠目した。
あの食事会で訊けなかった言葉。
いつかくる自分の未来を、知りたかった。
シグルドは、顎に手を当て、しばらく考え込んだ後。
「難しいことを訊く……。経験した事があれば教える事もできただろうが、あの瞬間を例えられる言葉などない」
シグルドの言葉に、市橋は黙り込んだ。
言葉を紡ぐ事が、これほどまでに苦しくなるとは思わなかった。
「シグルド……俺は、自惚れているかもしれないが、いつかエカテリーナが今のお前のようになるのが怖い」
市橋から見たシグルドは、あの王の長男という立場を生き抜いてだけあって、感情を隠すのが上手い。
だが、踏み込むほど気付く不器用な優しさも感じる。
「お前、綾香のこと結構気に入っていただろ?」
市橋はシグルドを真っ直ぐに見つめた。
「……有用、だったからな」
シグルドは視線を落とし、胸元にそっと手を添えた。
「有用、ね。お前……器用な顔してそういうのは不器用なんだな」
と、市橋は小さく笑った。
シグルドも、僅かに口角を上げる。
「お前たちもなかなかに不器用だな。まぁ、俺もこの通り。妹も、ちゃんと生きられる。何が起きても妹はお前を受けとめるだろう。だから」
ちゃんと話せよ、と。
その言葉に市橋は背中を押された気がした。
+ + +
部屋での素振りは何回目になるのか。
手のマメは潰れ、治り、そしてまた新たなマメができ。
そんな事を繰り返したら、徐々に手の皮が厚くなってきたように思う。
「きたねー手だな」
市橋は苦笑した。
あちらでは、指が長く綺麗な手だと褒められたのに。
市橋は自分を磨くことが好きだった。
ナルシストなわけではなく、髪型や服装はもちろん、指先まで整える事が自分なりの武装のように感じていた。
大学も、ゲームでも、トップクラスだった。
器用に生きてきたのに、これだけは上手くできなかった。
手の中の剣は、まだ重い。
重さを感じるたびに、この剣に相応しくないと己を恥じる自分がいた。
それでも、エカテリーナが託してくれた剣、だからこそ。
「挫折なんて、してたまるか」
もし、綾香のように能力を使い切ったら。
自分の剣が折れてしまったら。
自分はエカテリーナを守れない。
市橋は、自分の能力の代償が目に見える形で良かった、と心から思った。
「残量が見えないより、見えた方が限界を理解できるからな」
無心で剣を振る。
腕の筋肉も、少しずつ鍛えられている。
(無駄に思えても、積み重ねれば、いつか意味のある努力になる)
それから、どのくらい続けただろうか。
気づけば動きを止めた腕がぶるぶると震える。
柄から指を離すと、指先の握力が感じられない。
手のひらを確認してみると。
「いてっ」
また、小指の付け根のマメがズレて捲れていた。
それをみて、市橋はまた苦笑した。
「こんだけやっても、このザマか……」
市橋は黒い首輪に三回触れた。
エカテリーナがかけてくれた簡易的な移動魔法。
二度触れると執務室、三度目は市橋のために作られた訓練場だった。
並べられた人型の木像。
市橋はエカテリーナから下賜された剣で木像に斬りかかった。
ザッ!!
鈍い音と共に、木像に切れ目が入る。
剣のおよそ三分の一程度の深さには刺さるようになった。
しかし、斬り捨てる事はできない。
市橋は、手に力を集中させ、自分の能力の大剣を出す。
頭に浮かんだスキルを選択すると、木の人型は一瞬で何体も簡単に薙ぎ払う事ができた。
地面に散らばる木像は、粉砕されている。
(この力が永遠なら、いくらでもあいつを守れるのに)
ぴりっとした胸に走る微かな痛み。
また少し、亀裂が広がった。
その感覚に市橋は焦りと苛立ちを感じた。
(平和な世界で、戦うための剣なんて握るかよ)
あの世界にそんなもの必要は無かった。
でも、あの日。エカテリーナの命が脅かされた日。
(あいつ、魔法使えないと全然ダメだからな)
ーー俺が、守らないと。
市橋は覚悟を決めて、もう一度剣を握る。
エカテリーナの象徴である、黒鉄の剣。
まだ、重くて上手く扱えないが。
いつからか、背後にエカテリーナが立っていた。
珍しく扇子を胸元に差し込み、呆れた顔で腕を組んでいる。
どれくらい市橋を眺めていたのか。
エカテリーナは軽く欠伸をしながら嗜めた。
「ほどほどになさいね? 無理は身体を壊すわよ?」
市橋は、そんな彼女を「あぁ」と目を細めて答えた。




