第四十七話 邂逅
ラファエルさんから、時々お遣いを頼まれるようになった。
御者のいない馬車に乗り込むのも手慣れたものだ。
今日はシグルドさんに手紙を届けることになっている。
あの食事会から、ラファエルさんが変わったように思える。
まだ出会って数か月の私が語れるものではないが、最近のラファエルさんは「弟」感が出ている気がする。
シグルドさんというしっかり者のお兄さんと、エカテリーナさんという美人なお姉さんがいるから、少しくらい気を抜いてもいいのかもしれない。
揺れる馬車の中で、私は考えた。
ラファエルさんの年齢が、250歳を超えていること。
シグルドさんが350歳で、エカテリーナさんは300歳……。
途方もない数字だ。
自分の寿命が長かったら、やってみたいことは沢山ある。だけど、本当に長かったらどうなんだろう。
嬉しいこともいっぱいあるかもしれないけど、きっと悲しいことや辛いことも沢山あって。
ラファエルさんたちは、長い時間「兄弟」として過ごしていなかった、と教えてくれた。
私に向かって「お前たちの絆が、俺たちの距離を縮めたんだろう」って言ったその表情はどこか穏やかで、少しだけ胸が温かくなった。
きっと、これからもっと関われるようになる。
(だって兄弟だもん!)
根拠は全くないが、私はなぜか自信満々に窓の外を眺めた。
ふとみると、シグルドさんの塔の前に、もう一台御者のない馬車が停まっていた。
赤地に黒と金の装飾。
どう考えてもエカテリーナさんの馬車だった。
用事が重なるなんて珍しい。
そう思いながら、私は馬車を降りた。
塔の中から出てきたのは、市橋さんだった。
私は市橋さんに駆け寄った。
「市橋さん! お久しぶりです」
市橋さんは私に気づくと目元を緩めた。
「久しぶりだな、茜。元気か?」
市橋さんはゲームでも会うたびに「元気か」と尋ねてくれた。
その変わらない声に少しだけ懐かしさを覚えた。
「元気です。市橋さんはどうですか?」
上から下まで視線を動かす。
市橋さんの掌に、白い包帯が巻かれていた。
「怪我、ですか?」
私は市橋さんの手を掴み、そっと祈る。
でも、祈りを始める前に、その手を優しく振りほどかれた。
「これくらい自分で治せる。……それに、この傷は自分で治したい」
市橋さんは、自分の掌を見て苦笑した。
「自分にとって全力で足掻いてる証みたいなもんだからな」
言葉は苦しそうなのに、その声は穏やかだった。
それに、と市橋さんは続ける。
「あちらでも、簡単な怪我は自分の身体が自然に治しただろう? 茜の心配する気持ちはありがたい。でも、不用意に使うな」
市橋さんの手が、私の頭にぽん、と置かれた。
「市橋さん……」
私は自分の力に頼りすぎているのかもしれない。
あの世界で存在しなかった力。
普通の人間だった頃、どうやって生きていたのか。
「なんだか、単純なことを忘れていた気がします」
情けなくて、泣き笑いのような顔になる。
市橋さんは「お前なら大丈夫だろ、ラファエルがいるからな」と笑う。
それなら、市橋さんは……そう口にしかけたとき、市橋さんは自分の首に巻かれた首輪を指でとん、と触れた。
エカテリーナさんが付けた、市橋さんの首輪。
思わず、そこから目が離せなくなった。
市橋さんは、人差し指をたて、自分の唇に当てる。
静かにしろ、という動き。
私は黙って頷いた。
市橋さんは笑顔で首を縦にふる。
そして、そのまま声を出さず、その唇だけがゆっくりと動いた。
「お前は、消えるなよ」と。
そして、彼は馬車へと乗り込んだ。
(お前は、消えるな)
私は、その言葉を心の中で何度もなぞった。
それでは、まるで、市橋さんが消えてしまう意味に聞こえる。
「市橋さんっ!」
私は走り去る馬車に向かって大声で呼びかけたが、馬車が停まることはなかった。
+ + +
私は塔に入ると、シグルドさんの応接室へと招かれた。
正面で静かに座るシグルドさんが手を動かすと、お茶とお菓子を置いて執事さんが部屋をでた。
「ーーで、なぜお前はそんな顔をしている?」
私の表情を見て、シグルドさんが訊いた。
ラファエルさんのお兄さんは、最初は怖かったのに今では面倒見のいいお兄ちゃんのように思える。
「下で、市橋さんと会いまして……」
シグルドさんは「あぁ」と納得したような声を出した。
そして、言葉を続けた。
「覚悟が決まった貌をしていたな」
そう言った。
(……覚悟)
覚悟って、何だろう。
私は表情を曇らせた。
その貌に気づいたシグルドさんは、テーブルの上の赤い実を一つ摘まむと、私の口に押し込んだ。
甘酸っぱさに気を取られ、むぐむぐと口を動かしていると、シグルドさんは言う。
「あいつは妹の傍で、自分の行く先を決めたのだろう」
そして、シグルドさんは左胸に手を当てながら、私の目をじっと見つめた。
「お前は、綾香に似た能力だから、恐怖も強いのだろうな」
そう、静かに言った。
横山さんは、あちらでは「賢者」と呼ばれていた。
私も、「聖女」と呼ばれていた。
どちらも、精神力を消費する職種だった。……だからこそ、かもしれない。
「怖いです。でも、何もしないまま誰かが死んじゃうのは、もっと怖いんです」
ラファエルさんに言えなかった言葉。
彼は優しいから、能力を使うのを止めようとする。
さっきの市橋さんもそう。
「私なら。……今の私なら治せるんです! それなのに、躊躇ってしまう自分がいる」
シグルドさんは、静かに私の言葉を聞いている。
「能力を使って消えるのも、使わずに誰かの死を看取るのも、どちらも怖い……」
だから、思うように動けない。
さっき、市橋さんに止められなければ回復をかけたのに。
でも、止められただけで手を止めてしまった自分も。
「苦しいんです、とても」
私は涙を堪えられず、両手で顔を覆った。
部屋に沈黙の時間が過ぎた。
すんすんと情けなく鼻をすする音が室内に響く。
その時。
「お前たちは、有限だ。ラファエルも、妹も、今はそれを理解している」
シグルドさんは、カトラリーに敷かれたナプキンをとり、そのまま私の涙を拭く。
ちゃんとハンカチを持ち歩いていそうなのに。
そう思ったら、僅かに涙が引っ込んだ。
テーブルにはずらされてごちゃごちゃになったカトラリー。
そして、顔を拭き続けるシグルドさんの優しさ。
「恐れるのは当然だ、大切な仲間が消えたんだからな。だからこそ、理解したうえで使え」
ーーその方が、後悔は少ない。
そう、教えてくれた。
ラファエルさんに頼まれたものをシグルドさんに手渡し、お礼を伝えて馬車に乗り込んだ。
市橋さんも、何か相談したのかな。
私は、きっと市橋さんと似た表情をしている。
走る馬車のなかで、そう思った。




