第四十六話 贈り物
あの強襲から数日たったある日、朝からエカテリーナがそわそわと窓を眺めていた。
(珍しいこともあるもんだな)
市橋はその姿をこっそり眺めた。
書類を書く合間に盗み見るエカテリーナの横顔は、これまでに出会った誰よりも美しかった。
(絵画を鑑賞しているような……)
市橋は自分の感覚を考えた。
手を伸ばそうと思えば届く距離だが、そう簡単にはいかない。
美術館に飾られたお気に入りの絵画。
枠に囲まれてつんつんしているエカテリーナを想像したら、思うのほか可愛くて思わず吹き出す。
「……市橋、貴方。手を止めている余裕があるなら、もっと仕事を増やしてもよさそうね」
エカテリーナの白いこめかみに血管が浮かんでいる。
完全にご立腹だ。
「いや、お前が朝から珍しくそわそわしてるから気になって」
素直に答えると、エカテリーナは「ふんっ」と扇子で顔を隠してそっぽを向いた。
横から見える耳が赤くなっていることは、市橋の胸に納めることにした。
「あ!」
窓に目を向けたエカテリーナが短く声をあげる。
何事かと席を立とうとしたが、エカテリーナに制止され、市橋はその場で首を傾げた。
「そこで待っていなさい! 仕事の手を休めるんじゃなくてよ?」
そう言ってエカテリーナは部屋を出て行った。
市橋は「手を休めなければいいんだよな」と一人残された部屋で小さく呟き、窓の近くにある書棚へと資料を戻すことにした。
窓の外で、エカテリーナは商人から細長い木箱を受け取っている様子が見て取れた。
「買い物なんて、珍しいこともあるもんだな」
こちらに来て数か月、彼女が買い物をするところをほとんど見たことがなかった。
買ったものを思い出す。
(俺に与えてくれた部屋の家具や、服、あとはこの机……くらいか)
執務室に置かれた机を撫でながら市橋は考えた。
お姫様のイメージは、もっと豪華で華やかで、金遣いが荒くてわがままなーー。
わがまま、ではないかもしれないが、あのつんつんした姿はお姫様っぽくて可愛いんだよな。
市橋の貌が、そっと緩んだ。
机に戻って書類を整理していると、侍従によって扉が開かれた。
エカテリーナの指示で、木箱が机に置かれる。
侍従に木箱を開けさせると、中には真っ赤な布に包まれた長いもの。
エカテリーナが重そうにそれを箱から出す。
市橋は、それをみた時即座に気づいてしまった。
あれは、剣か。
エカテリーナは侍従を全て下がらせた。
扇子で口元を隠しながら、そわそわと市橋に近づく。
扇子の下が読み取れるようになってしまえば、このお姫様は本当に可愛い。
わざとらしい咳払いをして、市橋を見た。
「新しい剣をあげましょうか」
エカテリーナは、市橋の剣の欠けやヒビが気になっていたらしい。
そこで、武器商人に最高の黒鉄を用いた剣を打たせた。
(あいつなりに考えたんだろうな)
誇らしげに語るエカテリーナの姿が、どうしようもなく愛しかった。
笑顔で渡された剣を、両手でしっかりと受け取る。
ズシリとした片手剣。
想像以上に重い。
一瞬、手の中に沈みかけるのを、腕の力で無理やり支えた。
黒い柄に金の装飾がなされている鞘。
刃は黒鉄で、赤い文字が掘られている。
刀銘には、拙い漢字で「市橋」と彫られていた。
以前、一度だけ教えた自分の苗字。
そしてこれら全てが、エカテリーナの色だ、と市橋は思った。
「欠けた剣では守れないものもあるでしょう? 私の側にいるなら、強くありなさい」
エカテリーナは真っ直ぐに微笑む。
(このお姫様は……)
市橋は、一度だけ目を伏せてから、それを受け取った。
「お前は俺が守ってやるよ。お姫様なら守られる方が似合うからな」
そう言って片目をパチンと閉じた。
その表情を見て、エカテリーナは顔を顰めた。
「その顔、少し変よ?」
市橋はその失礼な言い草にひとしきり笑った。
エカテリーナもまた、満足そうだった。
笑いながら、市橋は剣を握りしめる。
その手の中の重さを、確かめるように。
+ + +
その夜、市橋は一人、自室で剣を握る。
座ったまま鞘を抜く、が。
ーー重い。
本物の剣というものは、こんなにも重いものだったのか。
気づいて市橋は自嘲した。
大剣をあんなふうに振るっていれば、これくらいの剣簡単に扱えると思うよな、と。
市橋の大剣は、ゲームと同じで重さがほとんど感じられなかった。
技も、脳裏に浮かべれば繰り出すことができる。
「ずいぶん都合のいい力だな」
市橋はエカテリーナに下賜された剣を握った。
今の自分には、片手で持つことさえできない「片手剣」。
それでも。
「あいつが俺のために準備したなら、応えないとな」
天井の高い部屋でよかった。
市橋は無心に振り続ける。
小一時間も振るっていたら、手にはマメが潰れ、その柄には血が滲んでいた。
せめて、エカテリーナの前で格好よく振ることができたら。
(あいつは喜ぶだろうか)
市橋はエカテリーナの貌を思い浮かべて目を細めた。
ひとしきり振るって汗を流すために浴室へと向かう。
服を脱ぎ、鏡に映る自分を見つめた。
「まるで、石みたいだな……」
左胸のあたりが硬化して灰色に変化している。
ゆっくりと広がる赤い亀裂に触れてみた。
「まだ、大丈夫だ」
市橋は一人決意を固めた。




