第三十九話 隣の席
「揃ったか」
シグルドは先に着席している弟妹たちに声をかけた。
エカテリーナの隣には市橋が、ラファエルの隣には茜が座る。
シグルドも、自らの席へと進む。
隣に並ぶ桜色の椅子の背に触れ、着座した。
エカテリーナが、動きを目で追っていることに気づいてはいたが、シグルドはあえて言葉にしなかった。
ーーあれ。
その小さな呟きが、シグルドの耳に届く。
エカテリーナの隣に座る市橋が、シグルドに訊いた。
「……綾香は? まだ揃っていなーー」
言い終わる前にエカテリーナが畳まれた扇子で市橋を制止した。
(さすが、妹は敏い)
ラファエルでさえ、市橋の質問に眉根を寄せている。
(お前も、気づいたか)
隣の茜は突然の状況に戸惑っている様子だ。
エカテリーナは、察したように沈黙し、こちらを見つめていた。
その視線を受け、シグルドは口を開く。
「綾香は、消えた」
その場に沈黙が落ちる。
空気を破ったのは小さな質問だった。
「横山さんは……どこに消えちゃったんですか?」
茜は困惑した表情をシグルドに向けた。
どこ、など。
答えられるはずもない。
シグルドは、全員を見て話しはじめた。
「俺は、お前たち文化標本を、我々魔族と同じようなものだと考えていた」
見た目も似ているしな、と市橋と茜を見る。
「俺たちの魔力は適度な休息をとるか、枯渇寸前であっても他者から吸い取れば回復する」
「お前たちの原理もそのように受け止めていた」
ちら、と隣の椅子に視線を落とす。
「規則正しい睡眠をとり、休息にも配慮したーーつもりだった」
「しかし、お前たちの能力は有限だった」
非可逆性のものだった。
強すぎる力は、使い方を誤れば壊れる
それを失念していた……。
……綾香は魔力を使い切った。
それがどう言う意味か。
知らないはずもない。
それなのに、綾香を「使い切った」
そして、静かな声で続けた。
「王から下賜された道具である綾香を失った。俺にはもう、継承権はない」
あの王になるくらいなら、王座に未練などはない。
「……だから、消えた、だと!?」
市橋は椅子から思い切り立ち上がり、シグルドを睨んでいる。
「お前がついていたんだろ? お前が綾香を道具にしたなら、責任もってちゃんとみてやれよ!」
市橋の声も、手も、震えている。
「……あいつ、弱いやつだったのに!!」
シグルドの片眉が、ぴくりと動く。
「弱い……?」
その言葉が、理解できなかった。
シグルドは全ての怒りを反論なく受け止める気持ちだった。
しかし、一つだけ事実とは異なる。
「綾香は、弱さなど見せなかった」
脳裏に浮かぶのは、昨夜の姿。
およそ告白の直後とは思えない最期にみせた笑顔。
拙いにもほどがある頬へのキスも。
「綾香は、ずっと笑っていた……」
シグルドは、全てを思い出し苦笑した。
市橋は静かに口を開いた。
「あの綾香が? 日本ではいつもどこか苦しそうで……笑顔も、静かに微笑むくらいで」
信じられない、というように、市橋は額を押さえている。
「そうか……」
(俺にだけみせていた姿、か)
シグルドは微かに口元を緩めた。
市橋は複雑そうな貌をしていたが。
「そんな綾香がいたのか。俺の知らない綾香が幸せでいたなら……」
それでいい。
市橋の呟きは、多分全員の耳に届いていた。
立ち尽くす市橋に、エカテリーナが声をかけた。
「そのあたりにしておきなさい」
扇子を広げ、市橋へと視線を流す。
「あなたが、もし笑顔で消えたなら。ーーその時は持ち主として言うことはないわ」
扇子の奥で、僅かに笑った。
(二人は、いいパートナーだな)
シグルドの心にほんの僅か(もし、自分たちがこうあれば……)と、感情が動く。
しかし、小さく息を吐き、思考を断ち切った。
沈黙が重くなる。
シグルドは執事に合図を送った。
食事が次々と運ばれ、卓を埋め尽くす。
茜は量に驚いたのか「わぁ」と短い声を上げた。
ラファエルは茜を見て目元を緩めている。
(ずいぶん、穏やかになったものだな)
エカテリーナを見ると、こちらは珍しく戸惑っているようだ。
いつも飄々としている妹が眉間に皺をよせる姿など、初めてかもしれない。
ーー当然か。シグルドは口角を微かに上げる。
王宮での晩餐会でもあるまいし、いちいち順番や速度を考えていられるか。
煩わしい。
シグルドは思う。
だが、妹は世の女性を率いてきた女だ。
一度に全て並べられたら、何から食べればよいか戸惑うのも当然か。
市橋は、そんなエカテリーナを笑う。
シグルドは、卓上に並んだ皿の一つから、赤い実を一粒手に取った。
食前の挨拶も関係ない。
「……これは、綾香が好んで食べていた」
言って、シグルドは市橋と茜に順番に差し出す。
「お前たちの世界の果物に似ているのだそうだ」
食べるがいい。
そう言ってシグルドも一粒口へと運んだ。
耳が痛くなるような酸味。
「やはり、酸味が……強い」
シグルドは顔をしかめた。
眉間には強い皺が刻まれた。
市橋は片眉をあげながら、一粒口に放り込む。
茜もゆっくりと齧りついた。
「甘酸っぱい」
「甘酸っぱいですよ?」
二人の声はほぼ同時だった。
あの日の綾香と同じ反応に、シグルドは苦笑した。
市橋はなぜか笑いながら赤い実をいくつもシグルドの皿に乗せてきた。
仕方がないのでシグルドは一粒ずつ咀嚼した。
身体がぶるりと震えるような酸味しか感じられなかった。
エカテリーナも食べさせられたのか、市橋を扇子で叩いていた。
(あの妹がーー)
シグルドくくっと声を押し殺して笑う。
ラファエルも茜に渡されたものを静かに食べている。
「まずくはない」
そう言いながら、僅かに視線を伏せた。
シグルドからは、ほぼ噛まずに飲み込んだことが喉の動きで見えていた。
(見えているか?)
返事はないと、知りながら。
シグルドは、隣の椅子にそっと視線を落とした。
食事会も終わりかけていた、その時、茜がポツリと聞いた。
「横山さん、最後は苦しかったかな」
全員の視線がシグルドに集まる。
シグルドの見た綾香を伝える。
「綾香は俺の胸ぐらを掴んで、勝ち誇って笑っていた」
「あいつが、胸ぐら?」
その言葉が信じられないとでもいうように、市橋が瞠目した。
茜も目を丸くしている。
「シグルドさんに勝ったんですか?」
茜が首を傾げる。
「あぁ、勝ち誇るだろうな。……あいつは、俺の中に残していった」
シグルドは自分の左胸に指先で触れた。
エカテリーナが扇子を開き、口元を隠した。
「兄様……」
そう言いながら、こちらを睨む。心なしか少し呆れた表情をしている。
「兄の惚気を聞いてあげる優しさは持ち合わせてないの。お先に失礼するわ! 行くわよ、市橋」
エカテリーナがシグルドの隣の椅子をチラと見て、馬車の待つ扉まで降りて行った。
市橋がその背を追う。
「じゃあな、シグルド」
立場を考えるなら不敬、だが、不思議と嫌な気持ちではない。
シグルドは短く「あぁ」と頷いた。
席を立つ機会を見失っている弟に助け舟をだす。
「さて、遅くまですまなかったな」
シグルドは食事会の終わりを静かに締める。
ただ、これだけは伝えておきたかった。
ラファエルの瞳を、シグルドは見つめた。
「お前も気づいていると思うが、そいつらは不調を隠す。気をつけて見てやれ」
ラファエルはおそらくすぐ理解したのだろう。
「……心得ておきます」
そっと頭を下げた。
茜がまた、少し泣いている。
シグルドはテーブルの上から、赤い実を取る。
茜の前に差し出した。
「食え」
「え……?」
茜はシグルドの行動に驚いた表情を見せる。
「お前たちには美味しいと感じるのだろう?」
シグルドは茜の口に押し込んだ。
茜は泣きながら口を動かす。
小動物のようだ、とシグルドは思った。
「……甘酸っぱい苺みたい」
茜の顔に、少しの笑顔が戻る
シグルドは、ぽん、と茜の頭に手を乗せた。
ぎこちなく頭を撫でる。
茜は一瞬目を丸くしたが、嬉しそうに笑った。
隣に立つラファエルの無言の視線にシグルドは苦笑する。
そして、ラファエルの頭にも軽く手を置いた。
「さて、夜はもう遅い。気を付けて帰るがいい」
シグルドは侍従を呼び、二人を送らせた。
全員が帰った食堂で、一人静かに酒を嗜む。
桜色の椅子に向け、シグルドは一人呟いた。
「同胞との時間はどうだった?」
返事はない。
皿に残っていた赤い実を摘まみ、口へと運ぶ。
「やはり、酸味が強い」
そう呟き、酒で流し込む。
無意識に、胸元のそれへと手が伸びていた。
まだ、温もりが残っている気がした。




