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回復しかできない私は、 魔王継承権三位を選んで穏やかに生きたい  作者: 谷口 由紀
第一章  王城編

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第三十一話  小さな食事会  

※綾香寄り三人称

(この人に選ばれてよかった)


綾香は静かな部屋で、そっと微笑んだ。


仕事を終え、シグルドに与えられた部屋に戻って休む。

与えられた部屋は、執務室の隣。

その反対にはシグルドの自室がある。


用意された部屋には浴室もトイレもある。

綾香の日本での部屋に少し似ていた。


広めの部屋に、薄い桜色のカーテン。

四人で眠れそうな大きさのベッドと、綾香の身体に合う服が何枚も並ぶクローゼット。

白地に桜色の飾り机。


きゅっ。

今日も、そこにある。

シグルドの貌が浮かぶ。


その机を指先でそっと撫でながら、綾香はまた微笑む。


「どんな貌で用意してくれたんだろう」


時間を過ごすうち、気づいたときには机の色が変わっていた。

青銀だったはずの装飾は、いつの間にか桜色になっていた。

今では、部屋の家具はほぼ桜色だ。



親でさえ知らない、綾香の好きな色。



春になると、校門の脇に植えられた桜を眺めるのが好きだった。

使用人が迎えに来るまでの、僅かな自由時間。

夏の緑も、葉が落ちていく秋も、寒々とした冬の枝も、綾香は見続けた。



(魔族は記憶を読めるのかしら? だとしたら)


わざわざ膨大な記憶から自分の好きなものを探し出してくれたのだとしたら。


ーー嬉しい。



きゅっ。


少しだけ強く摘まんだ。

綾香の直せない癖。シグルドが()()()()()()()大事な癖。


親指と人差し指、中指で繰り返す、いつもの動き。


そのたび、綾香はハッとして、また笑顔になる自分に気づく。

理由はわからない。

でも、胸の奥が温かかった。



ふと、卓に置かれた小さな時計に目を向けた。

かつて地球と呼ばれていた同じ惑星だからだろうか、十二進法の時計がありがたい。



「あと一刻」


時計の針は夕方の五時。従者が食事を知らせるのは必ず六時。

綾香は鏡の前で髪を整えた。

腰まで届く黒髪がさらりと背に落ちる。

癖のない絹糸のような髪は、手櫛だけでも綺麗に整った。

そして、相変わらず、左手は胸元。


「また」


ふふ、と声を出して微笑む。

左手はそのままに、右手で前髪を直した。


こんなにも食事の時間が楽しみになるなんて。

綾香の視線が鏡から外れる。


忘れられない家庭の記憶。


八人掛けの大きなテーブル。

並べられた数多くのメニュー。

新鮮な果物や華やかなデザート。


その前に座るのは綾香一人。

壁際で指示を待つ執事や家政婦たちの視線に耐えながら、無言で食べる。


マナーを学べたことには感謝しているが、一人の食卓はあまりに静かだった。

カトラリーの音も、咀嚼音もない、ただ生命を維持するためだけの食事。

綾香は、味を楽しむこともなかった。


ふと、市場での果物を思い出す。

溶かした飴が絡められ、温かいのに固まっていて、ぱりっとして。

齧ると口に酸味と甘さが広がって、気づけば一本食べきっていたーーあの味。


(美味しかったな……)


もう一度食べたい、そう思った。

(その時は、シグルドさんも一緒に行けたらいいのに)


その考えに、思わず顔を赤くした。

また、胸元の石を捻じりながら。




+ + +



従者が呼びに来たのは六時ちょうどのことだった。


扉をノックする音に綾香は椅子から立ち上がる。

扉を開ける前に、手前にある姿見でもう一度前髪を直した。


一つ下の階にある食堂。


そこに足を踏み入れると、六人掛けのテーブルでシグルドが食前酒を嗜む姿が目に飛び込んだ。

シグルドの長い黒髪は片側でゆるく束ねられ、黒の騎士装束に青銀の刺繍。長いマントが椅子の背に流れている。

銀の片眼鏡の奥の視線が、静かに綾香を捉えた。



綾香の実家の食堂より少し狭い。

王族の食卓としては、随分小さい空間だった。

だが、シグルドが生活するこの塔でなら、この大きさを選ぶだろう。


(効率を重んじる人だから)

綾香の手が自然と胸元に触れる。



シグルドはグラスを持ちながら「始めるか」と従者を促した。

彼らは新たに酒を注ぎ、綾香には果実水を、そして、目の前の卓には多すぎる食事を並べて去っていく。


マナーとしては一品ずつ運ばれるのでは……そう尋ねてみたら、シグルドは「時間がかかり過ぎる」と一蹴した。

それでも、王宮での食事会は一品ずつ運ばれるらしい。



テーブルに敷き詰められた食事を前に、綾香はそっと手を合わせ「いただきます」と小さく呟く。


最初にその行動をした時、シグルドに「なんだそれは」と訊かれたが、「いただく命への感謝です」と話すと、不思議そうに目を細めていた。


「祈りに似た姿だな」と。




クリームソースがかかった何かをフォークで押さえ、ナイフを入れる。

綾香はそっと口に運んで静かに咀嚼した。


こくん、と飲み込むと。

「ーー美味しい。これ、何でしょう」


ふわっとしてほぐれる肉に、ホワイトソースが絡んでとても美味しい。


「それは川で取れる魚だ」

と端的に教えてくれる。


言いながらシグルドは側にある肉を皿へ切り分け、綾香の側に置く。


「ありがとうございます。わぁ、これも美味しそう」


気づくと手を伸ばさなくても届く位置に果物までもが取り分けられている。

どれも、綾香の食べやすい量ーー。


気づけばシグルドは食事を終え、食後の酒を嗜んでいた。

綾香が食べ終わるまで、彼は席を立たずにいる。


(効率、よくないのに)


綾香は思わず目じりが下がる。

彼に合わせて急いで食べようとしたこともあったが、その様子を見たシグルドに「無理はするな」と止められた。


それからはなるべく焦らず食事を楽しむことができた。

そしてようやく。


「ご馳走様でした」


再び両手を合わせた。

そして綾香は顔を上げる。


食前と食後の挨拶を、なぜかシグルドは興味深そうな目で見ていることが多い。

綾香にとっては当たり前の行動が、この世界では面白いのかもしれない。


「シグルドさん、今日も一日お疲れ様でした。お食事も美味しかったです」


胸元に軽く手を当てて、感謝を伝える。

シグルドは「あぁ」と短く返事をしたが、視線は綾香の胸元に落ちる。


呆れた顔はしなくなったが、「またか」と目で訴えられている気はする。


綾香は軽く頭を下げる。

「それでは、シグルドさん、おやすみなさい」


食後はそれぞれが自室で過ごす。

綾香もこの生活に慣れてきた。


「明日、七時に」


シグルドさんがそう言って扉が静かに閉まる。


綾香は胸元の石をそっと握る。


(明日、七時)


片手で頬に触れた。

口元がみっともなく緩んでしまわないように。






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