第二十五話 初めてのおつかい②
ラファエルさんに「届けろ」と言われただけなのに、胸が少しだけ高鳴っていた。
鳥籠を胸に抱き、揺らさないように馬車に乗り込む。
御者のいない、二頭立ての馬車。
馬だけでどうやって行くのかと首をひねっていたら、縁に薄い魔法陣が刻まれていて、合図一つで動くのだと教えてくれた。
教会への移動手段だった荷馬車とは違う、物語に出てくるような綺麗な馬車だ。
石造りの塔がゆっくりと離れていく。
比べ物にならないくらいクッションが柔らかかった。
(初めてのお使いだ……)
一人で塔を出るなんて想像もしていなかったから、ちょっとだけ緊張して息を吐いた。
それでも、初めて与えられた役目に笑みがこぼれた。
馬車の窓から城をみる。
ここも城内とはいえ、本城とそれぞれの塔は距離があるらしく、籠を抱えて歩いて行こうとした私を、ラファエルさんが呆れた顔で止めた。
「お遣いなのに、まさか馬車で移動するなんて思わないもん」
つい思い出したその表情にこっそりと文句を言った。
籠の鳥が首を傾げて聞いていたから「覚えないでね」とだけ言い聞かせてみた。
鳥が小さく「ピイッ」と鳴いたから、大丈夫だと信じることにした。
門を抜け城壁を沿うように馬車は走る。
幾つの門を抜けただろう、目の前に緑の生垣と薔薇のアーチが飛び込んだ。
そこをくぐると、視線いっぱいに薔薇が広がった。
「……わぁ」
思わず声が出た。
その先に見える白銀の塔。
まるで美術館にある「高そうな絵」みたいだ。
そう思っていると、馬車は自然とそこで止まり、扉がひとりでに開く。
(ここで降りればいいのかな?)
思わず馬を見ると、首がくいと動き、鼻先を庭園へと向けた。
賢い。
馬の言わんとすることが伝わったから、私は鳥籠を胸に薔薇の庭園へと歩き出した。
一面に広がる薔薇は真っ赤なのに、その香りは鼻を優しくくすぐる。
庭に置かれた像や、塔の門へと広がる光景に、足が止まる。
(お花のテーマパーク?)
花の有名な公園に遊びに行ったことはあるが、ここはそんなレベルじゃない。
ここまで華やかに整えられた場所は見たことがない。
「……すご……写真撮りたい…!」
思わず声が漏れた。
+ + +
エカテリーナは窓から庭園を見ていた。
侍従から馬車の到着を告げられ、静かに弟の道具を観察した。
茜の傍に、二人ほど隠匿して待機させている。
茜はその気配に気づくことなく、エカテリーナの庭園を楽しんでいる。
無邪気に薔薇を見つめ、見惚れているその様子にエカテリーナは思った。
(……隠す気もないのね)
(この子は駒にならない)
茜が一輪の薔薇に手を伸ばした。
侍従たちの気配に緊張が走った、が、エカテリーナは「構わないわ」と制止した。
エカテリーナは書類の束を抱え、整理していた市橋に向かい声をかけた。
「市橋、お前の仲間が鳥を持ってきたわ」
市橋は顔を上げ、エカテリーナを見た。
「弟からの返事が、あの子のようね」
市橋はハッとした表情でエカテリーナを見つめた。
(さすが、私の道具)
何をすればいいか理解したその貌に向け、エカテリーナは胸元に挿していた扇子を取り出して、彼に向けて「行きなさい」と指示を出した。
自分に踵を返して同胞に向けて駆け出すその背中に、エカテリーナは僅かに唇を尖らせた。
しばらく一人眼下を眺めていると、市橋が塔から現れた。
市橋が声をかけたのか、茜が庭を抜けてくる。
庭園に巡らされた魔力越しに、会話は全て届いていた。
「……無事か」
市橋の低い声。
問いではない、確認。
エカテリーナの目は僅かに弧を描いた。
市橋はあの短時間で状況は読んだのだろう。
あの弟が、この子を壊していない事を。
茜は笑顔で「はい!」と答えた。
続けて「鳥さん、返しに来ましたよ!」と誇らしげに籠を手渡している。
市橋は苦笑しながら受けとった。
エカテリーナも、今自分は市橋と同じ表情をしているだろうと思った。
(……鳥の意味を知らないのね)
だから、真っすぐなのねーーと。
「あ」と茜は短く声を上げた。
周囲にきょろきょろと視線を送ったあと、少しだけ声量を抑えて市橋に訊く。
「あの、私たちって道具ですよね? 前みたいに話していいんですかね?」と。
市橋は少しだけ驚いた顔をして、「大丈夫だろう」と口角を上げた。
その様子にエカテリーナは眉根を上げた。
(この子、思ったよりは軽くない)
弟の道具は無知ではない。だが計算されているとも思えない。
自分の立場を理解している、と。
それなのにあの笑顔。
エカテリーナは理解した。
(あの子は壊されていない)
「なるほどね……」
弟は無茶をし始めたが、愚かではないーー。
「瑠璃色の鳥って初めて見ました! 可愛いですよね、賢いですよね」
茜は市橋に鳥の素晴らしさを熱弁し始めた。
それを受けている市橋は複雑そうな表情を隠しきれていない。
上から二人を眺めていたエカテリーナは、思った。
私の市橋は理性的で、理解力があって、扱いやすい。
茜は、無防備で、真っ直ぐで、計算不能……。
(私の道具がこの子でなくて良かった……)
でも、と思考を続けた。
(あの子には、これが必要だったのね)
ふっと目元を緩めた。
「ーーさて、鳥を迎えにいかなきゃね」
エカテリーナは上がりそうになる口角を扇子で隠し、庭園へと降りていった。
侍従をその場で待てせて庭園へ出る。
エカテリーナは久しぶりに深呼吸した。
新鮮な薔薇の香りを胸に吸い込むと、僅かな安らぎを感じることができる気がした。
視界の端に二人の姿が映った。
「ラファエルさんのお姉さんですよね?」
エカテリーナは口元を扇子で隠し、思わず「あら」と視線を動かした。
(この子にとって、私は『弟の姉』としか見ていないのね)
王族としてではなく、家族として。
茜は素直なのか、それともーー。
茜の向ける真っすぐな視線と穏やかな笑顔。
自分の庭で居心地の悪さを感じるなんて、とエカテリーナは苦笑した。
(……あの子を、そんな目で見るのね)と。
茜は再び「あ」と声を出す。
背筋をぴんと伸ばし、深く腰を曲げた。
「こんにちは! 宇野茜です。ラファエルさんのお遣いで鳥を返しにきました」
深いお辞儀に、はきはきと聞き取りやすい言葉、純粋に用件だけ明確に伝えるーー。
エカテリーナの扇子で隠れた口元は思わず笑っていた。
多分、この子の時代では正しい挨拶、とでも言うのだろう。
茜の背後で市橋が珍しい表情をして焦りを隠しきれていない。
市橋はもうこの世界の常識を身に着けさせたから、ここまで慌てふためく姿が尚更滑稽に見える。
ここは宮廷。
格式的には間違っている。
なのに――失礼ではない。
(面白いーー)
エカテリーナは市橋に視線を送りながら答えた。
「……そう」
と。
鳥を市橋から受け取る。
こちらに手渡しながら、市橋も深く頭を下げた姿に、エカテリーナの目じりが緩んだ。
挨拶を無事済ませたーーと思っているらしい茜は、また薔薇を眺める。
「わぁ……本当に綺麗ですね!」
くるりと体をエカテリーナに向けた。
「エカテリーナさんに、すごく似合ってます」
エカテリーナは一瞬止まった。
市橋の頭ががくりと下がる。
王族の名前を気軽に呼ぶなんて。
隠れた侍従の気配が騒がしい。
この子の近くにいると、市橋は少しばかり愚かに見えるわ。
その思考を隠しながら。
「本当に綺麗です!」
「……そう?」
一瞬だけ微笑む。
少しの間、視線が薔薇に落ちた。
エカテリーナは手づから一輪摘んだ。
棘は処理せず、そのままに。
それを茜に差し出した。
「弟に渡しなさい」
茜は目を丸くしたが、薔薇の美しさに目を奪われたのだろう。
「わぁ、いいんですか? ありがとうございます」と素直に受け取る。
茜が傷一つない深紅の薔薇を見て「すごいですね……」と呟いた。
エカテリーナは興味から、「好きなの?」と聞く。
「綺麗なものは好きです」と笑って答えた。
エカテリーナの目がわずかに変わる。
(弟は、これを選んだのか)
と。
市橋には茜を馬車まで見送らせた。
エカテリーナは庭園を見渡した。
風が薔薇を揺らしている。
「……本当に、退屈しないわね」
扇子の奥で、ほんの少しだけ笑った。




