第五十話 教会の後継者②
翌朝、トトは城へ向かう前に、兄や姉たちと共にネレイナの家へと向かった。
距離は近いと言うのに、トトの足は重かった。
姉は両親が大好きだったから。
訃報を知ったら、まして家の目と鼻の先で消滅していた事を知ったらどうなるだろう。
一緒に来てくれた兄や姉は「自分たちがついている」とトトの背中に触れてくれた。
扉の前で二度、三度と深呼吸をし、トトは覚悟を決めて顔を上げた。
(それでも、伝えないわけにはいかないから)
扉を叩くと、中からは昨日生まれた姪の泣き声がする。
迎えてくれたのは義兄であるクラウスだった。
「やぁ! いらっしゃい。今日も会いに来てくれたのかい?」
穏やかな笑顔なのに、今から伝える言葉が苦しめてしまうかもしれない。
そう思うと、クラウスの顔を直視できなかった。
それでも、トトは絞り出すような声で「お伝えしなきゃ行けない事があります」とだけ告げた。
クラウスも何かを感じ取ったのか、両耳がぴんと立つ。それでも早朝の訪問者に笑顔を崩さず「どうぞ」とネレイナと姪のいる寝室へと招き入れてくれた。
部屋に入ると、ネレイナは赤ちゃんを腕に抱いていた。
朝日が柔らかく入る、穏やかな室内。
姪っ子は今日も手足を元気に動かしていて、とても可愛い。
「みんな! 見に来てくれたの!?」
ネレイナがぱっと明るい顔を上げた。
「産後すぐお邪魔してごめんね」
アシュレイの言葉に、ネレイナは歯を見せて笑った。
「ほら、アシュレイもおじさんになるんだよ、抱っこしてあげてくれる?」
ネレイナは躊躇う事なく赤ちゃんを手渡した。
アシュレイは優しく受け取ると「出会った頃のトトみたいだ」と笑う。
トトにはその表情が、言葉が、昨日の茜と重なって涙が出そうになった。
かろうじて堪えたが、目元は赤くなる。
ローレンツは、お茶を用意しようとするクラウスを止め、ネレイナの側で同席して欲しいと伝えてくれる。
ピノやノワールは、初めて見る生まれたばかりの赤ちゃんの頬にそっと触れたりしていた。
トトはもう一度深呼吸をし、ネレイナの前にすっと腰を下ろす。
姿勢を正し、正座をした。
真面目な話をする時は正座をする。
これは茜とラファエルが話し合う時に見せていた姿勢だった。
ネレイナは、そんな自分の姿勢を見て表情を固くした。
トトが話し始めるよりも早く、一つの疑問を口にした。
「ねぇ、トト……茜と父さんは一緒じゃないの?」
いつも、三人で顔を出していたからその疑問は当然だろう。
トトの喉が、緊張でごくりと鳴った。
「姉さん、よく聞いて。母さんと父さんは昨夜……消滅した」
部屋がしんと静まり返る。
姪が元気に手足を動かす音だけが室内に響く。
ネレイナの瞳が泳いでいる。
「……え?」
受け止められないのは当然だった。
だからこそ、トトはもう一度ゆっくりと言う。
「姉さんとこの子の命を救って、笑顔で消滅していった」
「……どういう、こと?」
赤ちゃんを腕に抱いたまま、アシュレイが言葉を繋げた。
「僕らも知らなかったけど、茜の回復魔法は茜自身を削るものだったんだって。ラファエルさんが補っていたけど、もう限界だったんだって。茜だけ消えるはずだったんだけど、ラファエルさんが連れ添ったんだ……わざと、魔力枯渇で」
誰も何も言えなかった。
だからこそ、トトは伝えた。
「姉さん、母さんは二人を救えた事に満足していたよ。父さんに後を託そうとしていたけど、父さんは……母さんが大好きだから」
ネレイナの目から涙が溢れる。
産後すぐだから、精神的なショックは与えたくなかったけれど。
「母さんが、最期の場に姉さんを呼ばなかったのは、幸せの涙を流す姉さんに見せたくなかったんだと思う」
ローレンツが静かに涙を流すネレイナの頭を撫でた。
「茜、孫を楽しみにしてたから。兄弟の中でお前だけが唯一叶えてあげられたな……ありがとう」
「ありがとうなんて言わないで! 私が頑張って自分で産めていたら茜は消えなかったってことでしょう!?」
ネレイナの声に驚いたのか、アシュレイの腕の中の赤ちゃんが顔をくしゃりと崩す。
アシュレイは指で優しくあやしながらネレイナに微笑む。
「あのラファエルさんが危険だと判断したからお腹を切ったんだよね。無事に産める可能性があるなら、きっと二人はその決断をしていない。これは、ネレイナのせいでも赤ちゃんのせいでもないよ」
ピノが姪の手をつつきながら赤い目で笑う。
「こんな可愛い赤ちゃんを救ったんだもん、茜もラファエルさんも満足に決まってる」
「茜、一度決めたら迷わないからね。これは茜の決断なの。お父さんは、さっきトトも言ったけど、茜が大好きだから一緒に逝ったの。きっと、幸せだったよ」
ノワールは、ネレイナをそっと抱きしめた。
「私、茜に全然お母さんって言ってあげてない……」
「それ、俺らみんな思ってる事だからな」
ローレンツは悔しそうに、それでも笑顔でネレイナに言う。
「トトくらいだよね、茜を素直に母さんって呼べたのは」
アシュレイが寂しそうに笑う。
「それでも、僕らは自慢の子どもだったって父さんが伯父さんに言ってたんだって。母さんからの愛情は、目に見えてたから疑うこともないよね」
トトはネレイナの手を握り、真っ直ぐに言う。
「茜は、僕らを愛してくれていたから。お母さんにしてくれてありがとうって……言ってくれたから」
(きっと自分たちが気付かない間に恩を返してる、そう言って、茜なら笑ってくれるから)
ネレイナが落ち着いた時、トトはクラウスに向けて一言伝えた。
「今回は僕たちが泣かせてしまったけど、きっとこの先姉さんを泣かせたら父さんが怒りますからね」
「肝に銘じておく。ただ……娘が泣くのは許してもらえるかな」
クラウスが真面目な顔で言うのが可笑しかった。
「姪が泣くのは赤ちゃんだから許されます、きっと」
悲しみが広がっていた室内に、少しだけ笑いが溢れた。
+ + +
トトが城に来るのは初めてだった。
兄弟の中で自分だけ城と縁のない仕事をしていたから。
ローレンツはネレイナの家から帰宅し、手早く着替えると先に城へと向かった。
城の門は見上げるほど高い。
「緊張して吐きそう……」
思わずトトが弱音を吐く。
その背中をピノとノワールが思い切り叩いた。
「大丈夫! 私たちこう見えて顔が効くから」
「私とピノは文官と武官だけどねー。アシュレイは宰相補佐だし、ローレンツは女王専属の護衛騎士だから!」
「そもそも僕らの伯父と伯母になるわけだから、そこまで緊張しなくていいよ」
アシュレイの言葉で、トトは余計に緊張感が増す。
伯父と伯母としての顔しか見ていない自分が、初めてこの場所での二人を見る。
城がこんなにも大きいとは思ってもみなかった。
緊張で足が踏み出せずにいると、内側から門が開かれた。
そこに居たのは伯父だった。
「伯父さ……宰相様、わざわざお迎えに来ていただかなくても……」
トトは目の前の人物が伯父で、この国宰相であるシグルドだと理解していたが、服装が異なるだけでこんなにも重圧感が増すとは思っていなかった。
青銀の騎士服のような衣装に身を包み、いつもより高そうな片眼鏡を着けているシグルドは、本来ならば気安く話しができる相手では無いのだと思い知らされる。
近寄りがたい距離に悩んでいたら、シグルドはつかつかと歩み寄り、トトの頭を鷲掴みにした。
「宰相様、はやめろ。お前に言われると居心地が悪くなる」
そして、彼はふっと口角を上げる。
門兵たちが「宰相殿の笑顔!?」とざわざわしていたので、多分珍しいものなのかもしれない、そうトトは思った。
おかげで少しだけ緊張がほぐれた。
伯父に城を案内されながら、兄や姉の仕事場を見た。
この場所での服装なんて知らなかった。
ピノも、ノワールも、凛々しい姿をしている。
(知らない人たちみたいだ)
そんな考えに気付いたのか、長兄のアシュレイが笑った。
「僕らはぼくらだよ、見た目以外何も変わらない」
その笑顔を見た他の兵士が「宰相補佐の笑顔!?」とざわついたので、多分彼らにとっては伯父の笑顔のように珍しいものなのだと理解した。
笑顔を向けてもらえる甥であり、弟であることが、少しだけ誇らしかった。
玉座の間の前にある大扉。
その両脇に立つ兵に、シグルドは片手を上げた。
扉が重そうな音を立てて開かれる。
真紅の絨毯が敷かれ、奥に数段上がった場所がある。
そこに人が三人は並んで座れそうな大きな玉座があった。
玉座には伯母であるエカテリーナが座っている。
その後ろには、黒地に赤の刺繍を施した騎士服姿のローレンツと、一体の石像が立っている。
トトは広間の中央あたりで歩みを止め、ピノとノワールと共に片膝をついた。
シグルドとアシュレイは歩を進め、女王より一段下がった場所にある椅子に腰掛ける。
トトがちらと横目で見ると、玉座の間には数人の護衛の姿があった。
身分による明確な距離。
多分孤児院の後継者である平民の自分は、本来ならばこの場にすら立たないはず。
そう思うと、手に当てた胸が小刻みに震えた。
「お前たちは下がれ」
シグルドの言葉が響いた。
次の瞬間、自分たち以外の兵士全てが消えていた。
「エカテリーナ、僅かな時間だが楽にしろ。ーーお前たちもな」
シグルドの言葉が合図だと言わんばかりにみな姿勢を崩した。
それでも、エカテリーナだけは玉座に座ったまま姿勢を変えない。
隣に立つ石像に目を向け、独り言のような言葉をかけた。
「……トト、弟と茜は苦しんだのかしら」
トトはふとシグルドを見た。
階段を降りながら、自分へと近づいてくる伯父。
その伯父も昨夜同じ事を訊いた。
「二人は、笑顔で共に逝きました。母は誰よりも覚悟が早かったし、父も僕らに託して……」
「ーーそう。苦しんでいないのなら、いいわ」
エカテリーナは微笑んだ。
シグルドはトトの前まで来ると「頼みがある」と頭を下げた。
「お前の見た最期の記憶を映してもいいか?」
(映す、とはどう言う事だろう)
トトは首を傾げた。
「トトの見た、茜とラファエルさんの最期の記憶。その記憶を魔法で壁に映写したい、そう言う事ですよね、父上」
「そうだ」
自分の見た最期の二人の姿。
あの場面をもう一度観る。
トトは周りを見渡した。
兄や姉から感じる不安と期待。
伯父からの真摯な願いと、興味なさそうなふりをしている伯母が、何度もちらちらとこちらに視線を送る姿。
「……いいですよ。僕の記憶で良ければ」
「すまない。だが、お前たちの悲しみもちゃんと受け止める」
そう言うと、シグルドはトトの額に指を当てた。
魔力を送られ、トトの目が青く光った。
そして、その瞳から昨夜見た光景が再生される。
「良くできた紙芝居みたい……」
ノワールの呟きに、全員が頷いた。
何枚も何枚も、声も動きも精密に書かれたように滑らかで、まるで実際にそこにいるかのように動いていた。
ネレイナの出産から、二人の消滅まで。
その全てをもう一度、全員が見届けた。
広間には沈黙が流れた。
誰も、何も言えなかった。
みな沈痛な面持ちだった。
シグルドはトトをまたゆっくりと抱き締めた。
「よく、見届けてくれた」
トトはその胸に顔を埋めた。
兄や姉もかわるがわる頭を撫でる。
そんな、甘やかされすぎる自分に、思わずトトは笑った。
「……もう、大人です。僕はあの教会の後継者ですから」
ふと玉座を見上げると、エカテリーナは扇子で顔を隠している。
横顔は見えないが、見える耳は真っ赤だ。
そして、この場にいる獣人なら気付いている「小さく鼻をすする音」が、エカテリーナの感情を物語る。
「……あの教会を、孤児院を頼むわね」
全ての言葉に、濁音がついたような声。
茜が泣くと、同じような声になっていた。
兄弟みな同じ事を考えたのか、笑いを堪えて耳や尻尾がぴくぴくと動いていた。
その空気に気付いたシグルドが、小さな声で言う。
「あぁ見えて妹は泣き虫だからな」
その言葉で、皆が一斉に吹き出した。
「父上、あぁ見えて、はダメです」
アシュレイは真面目に注意している。
トトはカバンからハンカチを取り出し、玉座へと歩み寄る。
他者からみたら不敬だと言われかねない行動だったが、ここには家族しかいない。
「伯母さん、いつでも来てください。僕が茜の代わりにアップルパイを焼いて待ってますから」
ハンカチを差し出し、ふっと軽く口角を上げた。
「……弟に似たのね」
その呟きの直後、エカテリーナはトトを抱きしめた。
泣きじゃくるその人は、女王ではなく「あぁ見えて泣き虫」の伯母だった。




