エピローグ いつもの朝
トトの朝は今日も早かった。
以前は寝坊することもあったが、今ではだいぶ慣れてきたように思う。
まずは鍋で哺乳瓶を煮沸するところから始まる。
二つの哺乳瓶が鍋の中でくつくつと揺れていた。
その横に新たな鍋を準備して、次にパン粥を作り始める。
先日、エカテリーナから新たに四人の孤児を預かった。
ダークエルフの二人の乳児と、竜族の男の子と魔族の女の子。
もちろん皆トトよりも遥かに寿命が長い種族だった。
育てる事に抵抗がなかったわけではないが、それでも子どもたちに少しでもこの場所で過ごさせてあげたいのだとエカテリーナが勧めてくれた。
兄や姉もこの教会から仕事へ行く。
子どもたちを全員でお世話しているが、なかなか茜のようには行かなかった。
簡単な朝食の準備ができる頃、ローレンツが毎朝二人の幼児を小脇に抱えて降りてくる。
その持ち方はどうかと思ったが、子どもたちが楽しそうだから深く考えるのはやめた。
次いでピノとノワールが一人ずつ赤ちゃんを抱いてきてくれる。
そしてしばらくすると、ネレイナが二歳になった姪を連れて手伝いにきてくれる。
それが毎朝の日課になっていた。
「トト、そろそろ結婚しないと大変じゃない?」
ノワールが赤ちゃんにミルクを飲ませてくれる。
のんびり屋だったノワールが、あやすのが一番上手かった。
「ここを守らないといけないから、結婚は考えてないよ」
それでも、自分一人でここを守る自信はなかった。
子育てはこんなにも大変だと言う事を、ここにきて毎日痛感している。
「でも確かに、今はみんなが助けてくれるからどうにかなってるけど、みんなが結婚して教会を離れたら少しだけ不安かな……」
トトが珍しく弱音を吐くと、静かに聞いていたノワールがぴんと尻尾を立てた。
ミルクを飲み終わった赤ちゃんに「げっぷ」をさせながら「よし!」と頷いている。
何事かとみんなの視線がノワールに集まる。
「決めた! ノワールがトトの番になってあげるよ」
「……へ?」
全員の時間が一瞬だけ停止した。
「お、いいんじゃね? トトなら真面目だし、ノワールの性格とも合うしな!」
ローレンツがにかっと歯を見せて笑う。
「よっしゃ、帰ったらみんなで話詰めようぜ! 仕事行ってくるわ」
「……は?」
トトが呆然としている間に、ローレンツは狼の姿で駆けて行ってしまった。
アシュレイは幼児にパン粥を食べさせながら固まっている。
「ノワールと、トト。……まぁ、下手な雄よりいいんじゃない?」
「でしょ? 私がここに残れば一緒にお世話できるからね!」
ピノとノワールは早くも合意している。
そんな時、ネレイナと姪のプリメラが来てくれた。クラウスさんも畑の手伝いに顔を出してくれている。
「ネレイナ! ノワール決めたよ、トトと番になるから」
その言葉に、ネレイナはきょとんとした顔をした。
そして、隣に立つクラウスを見てから、トトへと視線を動かした。
「ノワールなら良いよ! 番は掴み取れ!」
「……えぇ? 姉さん?」
トトは一人混乱している。
孤児を育てる以上、結婚するのは難しいと思っていたし、ましてノワールは自分の姉の一人だと思っていた。
「掴み取る……そっか! 考えるより動かないとね! 私も仕事行ってくる、クロードさん押し倒してくるね!」
「「は!?」」
トトとアシュレイの声が重なる。
アシュレイと自分だけが、この状況に置いていかれている気がした。
「アシュレイ兄さん……どうしよう」
「……とりあえず、父上に相談してくる」
そう言うと、アシュレイはネレイナに幼児を託して転移して行った。
残ったノワールとネレイナはとても楽しそうだった。
義兄のクラウスは呆然とするトトを見て、ぽんと肩に手を置いた。
「強い相手に流されても、ちゃんと幸せにはなれるから……」
経験者のアドバイスだった。
(番とかまだよく分からないけど、ノワールは家族だったから……)
なんとかなるかもしれない、そう自分に言い聞かせることに決めた。
+ + +
城に着いたのはローレンツが一番早かった。
護衛の任務に就く前に、肩慣らしに騎士団と訓練するのが日課だ。
「よう、フレイア! 今日もやるか!」
クラウスの妹、熊獣人のフレイアは第一騎士団長の地位にいた。
獣人として恵まれた能力で、身長よりも大きな大剣を片手で扱う。
対してローレンツはハルバードを使うので、攻撃速度は上だ。
「また? あんたと訓練すると周りに怖がられるのよ……」
かたや女王専属の護衛騎士、かたや騎士団長。
訓練を見学する兵士は少なくない。
ガァンッ!!!!
訓練場に槍と大剣が激しくぶつかり合う。
ローレンツの武器は、持ち手まで黒鉄で作られており、長さだけでなく重さもあり扱える者は少ない。
激しいぶつかり合いの中、二人は会話をしていた。
「そういや、ノワールがトトの番になるってよ!」
「はぁ? 突然すぎない?」
大剣が振り下ろされ、ローレンツは素早く避ける。
「ちっ、一回くらい当たりなさいよ! ……ところであんたは番探さないの?」
フレイアは顔めがけて振り下ろされるハルバードの先を大剣で受けた。
「俺は女王を守るって決めたから、誰とも番にならねーよっ!!」
ローレンツの首の横を大剣が掠めた。
見学する者たちは、真剣を使い実践さながらの戦いをする二人の姿に震えあがる。
そんな事を気にも留めず、二人は訓練を続けた。
大剣を振るう分、フレイアの息は上がる。
「……奇遇ね! 私もこの国に蔓延る奴隷商を叩き潰すまで、誰とも番の予定なんてないのよねっっ!!」
言葉と共に、ローレンツに向けて大剣を振り下ろす。
しかし、寸前で受けられてしまった。
二人は互い顔を見合わせ、頷く。
「……朝からこれはしんどいわ、今日はこんなところね!」
「なかなかいい運動になったな! ありがとよ!」
ローレンツは汗を拭きながら笑った。
「まぁ、雌は強いし、いつかお前も誰かを押し倒すかもな!」
「……」
ゴスッ!!!
珍しく、油断していたローレンツの脇腹に蹴りが決まった。
フレイアの顔は、真顔だった。
今日は騎士団長の勝利で終わることとなった。
+ + +
宰相の執務室に居たのは、シグルドとクロードだった。
クロードは表向きは事務官として宰相補佐の仕事を見守りながら、ピノ含む王家の影となる者たちを動かしている。
ピノ自身、表向きは武官だが、影としての素質はなかなかの腕だった。
「ピノはなかなか筋がいい」
クロードは目を細めた。
「弟の自慢の娘の一人だからな」
シグルドは当然だと言わんばかりに頷いた。
その様子をみたクロードは呆れたように笑った。
「お前も立派な伯父馬鹿になったものだな」
クロードを師と仰いでいた頃のシグルドは、感情を出さない無愛想な子どもだった。
そんなシグルドの口から、まさかこんな発言が飛び出す日が来るとは思っていなかった。
「お前も人と向き合えば分かる」
その時、転移魔法の気配がした。
アシュレイとピノと……ノワールの姿は無かった。
クロードが「どうした」と声をかけたのは、ピノが勢いよくクロードに飛び付いたのと同時だった。
シグルドさえ予測していなかった素早い動き。
クロードは珍しく瞠目していた。
「クロード!! 私、決めたの! 生きてる間は幸せにする、だから数十年分私にちょうだい!」
「…………は?」
ピノはクロードに抱きついたまま宣言した。
クロードは処理が追いつかないのか、動きを止めている。
状況的には195cmのクロードの首に、163cmのピノがぶら下がったカタチだが……。
そんな二人を見て、諦めたようにアシュレイは「ははっ……」と乾いた声で笑う。
シグルドはそんなアシュレイに尋ねた。
「これは……一体?」
「はい、まず今朝ノワールがトトと番になる事を決めました。ネレイナに応援されたピノはクロードさんを掴み取るために押し倒すんだそうです……どうしましょう、父上」
アシュレイが珍しく混乱している。
シグルドも静かに観察していると、室内に真紅の派手な魔法陣が現れた。
「聞いたわよ、お前たち! いいじゃない。悩む必要はないわね。いくらでも結婚すればいいわ! 生きている間に幸せを掴み取りなさい!」
エカテリーナの発言に、ピノは力強く頷いた。
「うん、掴む!! 別れが来る事を知ったから、後悔したくないの」
その言葉に、部屋の誰もが沈黙した。
この部屋で一番短命な獣人であるピノの言葉。
そして、全員が別れを知っているからこそ。
「最初はただの師匠だったの、でも、褒めてくれたり応援してくれたり……気づいたら押し倒したくなったの! 責任とる!」
「そういう台詞は、こんな場所で簡単に言うものではない……」
クロードの顔は冷静さを装っているが、耳の先は真っ赤になっている。
もしや、と思いシグルドは訊く。
「クロード、お前もしや……」
「それ以上言うな……」
二人のやり取りを見てエカテリーナは笑った。
「ふふ、いいじゃない。歳の差はあるけど種族の差だもの、関係ないわね! 私は伯母として姪たちの勢いを応援するわ」
その言葉にピノは笑顔を見せた。
「……とりあえずはそれぞれの意思を確認し、問題が無ければその後で計画実行に向けて動くか。忙しくなるぞ、アシュレイ」
「……うちの女性陣、なんでこんなに逞しいんですかね、父上」
「考えるな、そういうものだと受け入れろ」
シグルドは、この光景を見て口角を上げた。
そして、年内の予定表を取り出し、アシュレイと共に会議を始めるのだった。
+ + +
「姉さん! プリメラも眠そうだよ」
トトは何度目かのミルクを飲ませながら言う。
ネレイナは先にウトウトしていた幼児たちを寝かしつけていた。
その声が聞こえたのか、クラウスが畑仕事を終えて戻ってきてくれた。
「トト、ありがとう。寝かしつけは僕がやるよ」
クラウスは獣化して、プリメラと、ミルクを飲み終えた乳児二人をお腹に乗せる。
大きな熊の上は寝心地がいいのか、三人とも寝付くのが早かった。
子どもたちをネレイナとクラウスに任せ、ノワールと共に墓参りへと向かう。
両親が消えたのは林檎の樹の下だったが、カタチだけでも、と墓石を建てた。
じゃこ婆ちゃんの隣に建つ、中身のない墓。
それでも、皆この場所に来ては日々の報告をした。
ノワールが二つの墓に花を添える。
そして手を合わせ、当然宣言した。
「トトを幸せにするからね!」
「……姉さん、それ本気?」
「今日から姉さん禁止ね!」
「えー……じゃあ、ノワール?」
トトに名前を呼ばれたノワールは尻尾をぴんと立てた。
「そう、番にするって決めたから! 今日からお姉ちゃん辞めるの」
真っ直ぐに自分を見つめるノワールの笑顔に、トトの胸が一瞬だけ跳ねた。
新たな関係の始まりは勢いに流されるのかもしれない。
それでも。
(二人みたいになれるかな)
トトは両親に向かって問いかけた。
「えー!? みんな結婚しちゃうんだって!! どうしようっ、ラファエルさんっ」
「……お前たちが幸せならばいい」
そんな声が聞こえた気がして、トトは思わず吹き出した。
林檎の樹には、赤く色付いた林檎が収穫の時を待っていた。
いつものように、少し慌ただしく、それでも穏やかな一日だった。
「了」




