第四十七話 新しい命
昼食を食べ終わり、私とラファエルさんとトトの三人でお茶を飲みつつ、のんびりとした時間を過ごしていた。
そんな時、教会の扉を壊しそうな勢いでクラウスさんが飛び込んできた。
普段落ち着いているクラウスさんだが、その表情は真っ青に近い。
駆け込んできたまま、ぜえぜえと荒く息を吐いている。それでもどうにか大きく深呼吸をすると「茜さん、ラファエルさん! きました!!」と大きな声で叫んだ。
出産予定日を過ぎても生まれる気配が無かったネレイナに、ようやく陣痛が来た、と。
その言葉にほぼ三人同時に席を立つ。
そして、走れば一分もかからない場所にある二人の家へと駆け出した。
(ようやく会える!)
私の胸が弾む。
もちろん動物以外のお産に立ち会うのは初めてだけど、私にとっては初めてとなる孫の誕生なのだから。
私たちが家へ駆け込むと、寝室からはネレイナの苦しそうな呻き声が聞こえていた。
「ネレイナ! どんな状況?」
私は彼らの寝室に遠慮なくお邪魔する。
「うぅ、茜ぇ……死にそう……」
私の顔を見たネレイナの目に、涙が滲んだ。
その額には汗が粒になっている。
私はその汗を丁寧に拭き取り、ネレイナの手をしっかりと握る。
この世界に来て、一度だけ牛のお産を見た。
確か、陣痛の波と波の間は少しだけ楽になるらしい。
「痛みが和らぐようにちょっとだけ回復するね」
私は繋いだ手からそっと回復魔法をかける。
陣痛は傷や病じゃないから治せないけど、少しでも体力回復させてあげたかった。
「ありがと、少し楽になった」
ふう、と一度長い息を吐く。
ネレイナが見せたことがない眉間の皺。
そこから苦しさが伝わる。
次の陣痛までの僅かな間に、ネレイナは少しだけ水を飲んだ。
「ネレイナ、僕にできることはある?」
クラウスさんがおろおろしながらネレイナに寄り添っている。
獣人の中で最強に近い熊獣人のクラウスさんがこんな風に身体を小さくしていると、なんだか可愛く思える。
出会った頃のクラウスさんを思い出す。
「心配性だなぁ、大丈夫だよ。私たちの群れの新しい命なんだから、頑張るよ」
落ち着いた声でクラウスさんに微笑むネレイナは、もう33歳になっていた。
17歳で結婚し、ずっと望んでいた命。
獣人としての種族の差なのか、二人はなかなか赤ちゃんに恵まれなかった。
何度も泣きながら相談してきたネレイナに、私はちゃんとしたアドバイスが出来なかった。
「きっと、大丈夫」
そんな漠然とした言葉を送り続けた。
私自身、新しい命を授かることが出来ない。
不妊に対する知識もない。
そんな私に言えるアドバイスなんて見つけられなかった。
ただ、共に祈り続けた。
そんな苦しみをネレイナとクラウスさんは二人で乗り越えた。
そして、ようやくーー。
「また……きた……」
ネレイナの息が再び浅くなる。
いきみを逃して、お腹の赤ちゃんが外に出たいと願う瞬間を待つ。
ネレイナの耳は、ずっと伏せたまま小刻みに震えている。
私の手を痛いほど掴むネレイナに「頑張れ」と祈るように繰り返した。
生まれるギリギリまで側にいて欲しいというネレイナの願いで、クラウスさんだけでなく、トトとラファエルさんもネレイナの頭元でネレイナに寄り添う。
「こんな時なのに応援しかできない」と震えながら耳を後ろに向けてしまっているトトと、私と反対の手をしっかりと握るクラウスさん。
みんな、呼吸の仕方を忘れそうなほど緊張していたんだと思う。
何度波が来ても、うまくお産が進まない。
「ネレイナ、少し触れるぞ」
私たちを壁際で静かに見守っていたラファエルさんが、何かに気づいたようにネレイナに声をかけた。
陣痛の波が引いた瞬間、ネレイナのお腹に触れ魔力を流したのがわかった。
「……」
ラファエルさんが静かに顔を上げ、無言で私を見た。
共に過ごしてきて、初めて見る苦渋に満ちた貌だった。
「私に出来ることはありますか?」
私はラファエルさんに訊いた。
多分、私にしか出来ない事があるのだと思う。
ラファエルさんは一瞬躊躇うように目を閉じ、ゆっくりと顔を上げた。
「胎児が大き過ぎる。自然に産むことは危険だ。ーーそして、逆子だ」
「……え?」
ネレイナの身体がびくりと大きく震えた。
クラウスさんは「……僕が熊獣人だからネレイナを苦しめているんですか」と呆然としている。
「茜、もしかして、牛のお産の時みたいに私のお腹も切るの?」
あの日の光景を思い出したのか、ネレイナは俯いている。
「お腹を切ったらネレイナの命はどうなるんですか!?」
帝王切開を経験したことがないクラウスさんは混乱していた。
あの日、この町の人たちもクラウスさんと同じ反応だった。
牛の帝王切開でさえ、みんな不安だった。
でも、今回は他でもないネレイナだ。
「……前のように、帝王切開はラファエルさんにお任せしてもいいですか? 私はネレイナの身体を必ず守ります」
牛の帝王切開を思い出す。
あの日、ちゃんと成功した。
その後も牛たちは母子共に健康だったから。
(大丈夫、私ならできる)
そう覚悟を決めた時、ラファエルさんは「すぐ戻る」と私の腕を掴んで部屋の外へと連れ出した。
無言で私の手を引いていたラファエルさんは、家の外まで来ると向きを変え、勢いよく抱きしめた。
「お前は迷いがなさすぎる」
私を包む腕の力は、痛いほど強い。
「ネレイナと子どもの命を救う事に躊躇いはない。だが、その日が今日だとは思っていなかった」
私を覆い隠すラファエルさんの身体が震えている。
絞り出すような苦しそうな声も、この震えの意味も、ちゃんと理解している。
私もラファエルさんの大きな身体を、背伸びをして力一杯抱きしめた。
「わがままでごめんなさい。……私はネレイナのお母さんですから」
私は顔を上げると、笑顔でラファエルさんを見上げた。
苦しそうな貌が、何かを言いたげな唇が、ぴくりと動きかける。
それでも、ラファエルさんは何も言わず泣きそうな顔で微笑んでくれた。
「俺たちの、自慢の娘だからな」
そして、一度だけ深い口付けをした。
お互いに、もう心は決まっていた。
部屋へ戻ると、クラウスさんがネレイナを抱きしめて待っていた。
トトはそんな二人を不安そうに見つめている。
ネレイナは、私たちを真っ直ぐに見つめて言った。
「茜、私と赤ちゃんを助けてくれる?」
その言葉に、私はしっかりとネレイナの手を握り笑顔で答えた。
「当たり前だよ! 私を誰だと思ってるの?」
「え……? 茜は茜だよ?」
「違うの! 私はネレイナのお母さんなの! お母さんは強いんだから。孫のためにも頑張るからね」
私は満面の笑みで答える。
ネレイナが少しでも安心できるように。
そこから先は早かった。
麻酔の草は、いつも生えているからトトが急いで取りに行ってくれた。
クラウスさんはその草を受け取ると、細かく刻んでネレイナが噛みやすい状態にしてくれた。
ラファエルさんは、ネレイナのお腹と小刀をしっかりと消毒している。
私は、緊張で身体を硬くするネレイナの頭を撫で続けた。
両耳をわしゃわしゃと撫でる。
「茜は私の耳が好きだねぇ」
陣痛の合間にネレイナは笑う。
私はそんな耳に口付けた。
「大好きだよ! ……私を信じて。必ず助けるから」
ネレイナは目を細め、しっかりと頷く。
「茜は必ず助けてくれるって、出会った時から知ってるから」
そして、ネレイナは麻酔の草を咀嚼した。
「苦いよう」と眉間に皺を寄せながら、噛む力が無くなるまで噛み続けてくれた。
ラファエルさんがネレイナの腕に触れ、麻酔の効きを確かめる。
クラウスさんとトトは目を逸らさずに、今は眠る寸前のようにぼんやりとしているネレイナを見つめていた。
ラファエルさんが、ネレイナのお腹の位置を確かめ、手に持った小刀の刃は、すっとネレイナのお腹を撫でたように動いた。
次の瞬間、クラウスさんの表情が引き攣った。
トトは目の前の光景を目視できないのか、震えながら目を閉じている。
ラファエルさんは躊躇いなく進めていく。
胎児が入っている薄い膜を慎重に開け、中に眠る命を優しく取り出した。
臍の緒をしっかりと結び、新しい布に赤ちゃんを包んだ。
取り出された事に気づいていないのか、産声はまだ聞こえない。
その事が気がかりだったけど、私はネレイナの手を離せずにいた。
そして、ラファエルさんは新たな命をクラウスさんの腕に中そっと委ねると、ネレイナのために丁寧に後処理をしていく。
(まるでお医者様みたい)
ラファエルさんはあの時も「牛や馬なら慣れている」と言っていた。その経験が獣人のお産にどれほど活きるかはわからない。
それでも、私なら、どんな状態であっても命ある限り治せる。
私たち二人が覚悟を決めたから。
お互いへの信頼感で迷いなく突き進むことができる。
「茜」
ラファエルさんが私を呼び、頷く。
ここから先は私の出番だ。
私にしか出来ない大切な役目。
繋いだ手から、ネレイナの全てを包むよう強く回復魔法を流していく。
淡い緑の光がネレイナを覆っていく。
全ての傷口が消えるように。
痛みも残らないように。
私は指先に全ての神経を集めて、回復魔法をネレイナへと流し続ける。
何度も重ねていくうち、傷口は盛り上がり、みるみる修復していった。
そして、ネレイナの顔はどんどん血色が良くなっていった。
そんな時、クラウスさんに抱かれていた赤ちゃんがようやく産声を上げた。
部屋に響く、力強い声だった。
ぼんやりしていたネレイナは少しずつ覚醒していき、その目からは涙が溢れる。
その表情は、穏やかで、幸せそうで、産声の逞しさに笑っている。
「……赤ちゃんなのに太い声だね。クラウスに似たのかな」
クラウスさんは赤ちゃんを腕に抱いた瞬間から、誰よりも先に泣いていた。
「違うよ、ネレイナに似たんだよ。ネレイナに似た逞しい女の子だよ!」
二人のやりとりを聞きながら、回復魔法をやり遂げた。
ネレイナの身体の細部まで完璧に回復を終えた私は、初めて会える赤ちゃんを見た。
「うわぁ、可愛い! 生まれてきてくれてありがとう! まるであの日のトトみたい。みて、耳はクラウスさんに似たんだね」
「僕、茜に会えた時はこんな感じだったの?」
トトは自分の姪っ子を目を細めて見つめる。
「そうだよ、可愛かったんだから」
私は自信満々に答える。
私は生まれたばかりの赤ちゃんの、信じられないくらい小さな手にそっと触れる。
その手は柔らかく、私の指をきゅっと握ってくれた。
「……初めまして」
私は、涙を堪えて笑った。
私がこの子に見せる、最初の笑顔だから。
ラファエルさんは赤ちゃんを見つめ、小さな熊の形の耳を指でそっと撫でながら、目と口元を緩めていた。
「異なる獣人の子は、親のどちらかの種になるからな。この子はクラウスと同じ熊獣人で、見た目はどうやらネレイナに似たな」
ラファエルさんの説明に、私は驚く。
ハーフっていう概念は無いんだな、と。
「ってことは、ネレイナ似の熊獣人……ものすごく強い子になりそう! お疲れ様、ネレイナ」
「次の群れを率いる子になるかなぁ」
赤ちゃんを抱いて気が早すぎる心配をするネレイナに、思わず笑ってしまう。
「ネレイナより強かったら、きっとどんな群れでもボスになれるよ」
私とネレイナは顔を見合わせて笑った。
「おめでとう、ネレイナ、クラウスさん!」
そして、私はネレイナの頭を撫でた。
赤ちゃんを抱いて泣き続けるクラウスさんに向けて「私は疲れちゃったから、後はお願いね」と託す。
(この二人なら大丈夫)
クラウスさんは言葉にならないのか、何度も繰り返し頷いてくれた。
二人は泣きながら幸せそうに笑っている。
これから赤ちゃんと三人の時間が始まるのだから。
私はラファエルさんに「そろそろ行かないと」と小さく伝えた。
ラファエルさんは頷き、クラウスさんとネレイナに「後は頼んだ」と言い、緊張と疲労で立てなくなった私の肩を支えてくれる。
幸せそうに姪っ子を眺めていたトトにも、ラファエルさんは「頼みたい事がある」……そう言って、三人でこの家を後にした。
外は、もう夕暮れ時になっていた。
畑全体がオレンジ色に染まる。
何度も見たこの光景が、今日は涙が出そうなくらい美しかった。




