第四十一話 母と娘
トトとラファエルさんと三での昼食を終え、私は教会に戻ってきた。
いつもより静かな教会は、少しだけ寂しかった。
周りを見渡すと、窓からの光が優しく差し込んで、空間全体を照らしている。
食卓をそっと触れる。
皆で並んで食事をしていたその場所が、今は一か所だけ空いている。
窓から見れば言えば見えるくらい、目と鼻の先に居を構えたネレイナとクラウスさん。
こんなに近くにいるのに、ネレイナがここに居ないことが寂しく思えた。
そんな時、教会の扉が勢いよく開かれた。
「茜、また私の椅子なでてるの? 飽きないねぇ」
そう話すのは毎日この時間に顔を出してくれるネレイナだった。
「そうは言っても寂しいものは寂しいの!」
私はネレイナの胸に飛び込んだ。
155㎝の私にとって、168㎝になったネレイナを胸に抱きしめることはできなくなった。
今では私がネレイナに頭を撫でられてしまう。
「茜は甘えん坊さんだねぇ」
呆れたように笑いながらも、ネレイナは私の思うままに抱きしめさせてくれた。
「それで、今日の夕食は何を作る予定なの?」
ネレイナは結婚してから本格的に料理を学び始めた。
とはいえ、私が教えられる料理も家庭的なものばかりだ。
なんならこの世界ではなじみのない和食を作ることも多かった。
それでも、ネレイナは私の味を覚えたいのだと言ってくれた。
「今日はなんと、さっき収穫したばかりの新玉ねぎがあるから、玉子丼にしようかなって思うの」
私は玉ねぎを掲げて見せた。
すぐに料理に使えるよう、余計な皮は剥いてある。
白くて艶やかな玉ねぎが美味しそうだ。
昔、玉ねぎを使う料理を悩んでいたことがある。
それは犬を飼っていた頃「犬に玉ねぎは食べさせちゃだめ」という祖母の教えがあったからだった。
獣人のみんなに玉ねぎを使っていいものかと悩んでいたら、ネレイナが「茜は玉ねぎ嫌いなの? 美味しいのに」と言ったのをきっかけに、狼獣人は犬ではないし、好き嫌いはあれども基本的には何でも食べて言いことを学んだ。
(あの時はみんなに呆れられたっけ)
「いいねぇ、茜の玉子丼好きっ! ご飯いっぱい用意しないとね!」
ネレイナの尻尾が大きく揺れる。
この世界にもお米文化があってよかった。
稲作の方法は考古学者や研究者が、私たちの時代のものを再現したらしい。
私たちを文化標本として復活させたことは複雑だけど、それでもあの時代のものを当たり前に食べることができるのが有難かった。
私の世界の料理は、教会から町へと広がって、今ではお米のおにぎりも食べやすくて人気のあるメニューになった。
中の具材を色々変えるだけで、子どもたちにも人気の料理だ。
和食が、この世界でも広がっている。
お母さんが私に教えてくれた料理を、こうしてまたネレイナに伝えていけることが嬉しかった。
「茜? なんか嬉しそうだね」
私の顔を見て、ネレイナが笑う。
「うん、嬉しいの。ネレイナがこうして料理を覚えに来てくれるのが」
「茜の料理は美味しいからね!」
多分、私の本当の嬉しさは伝わっていないかもしれない。
それでも、母から娘へと伝えていける喜びを知る事が出来たのは、ネレイナの存在があったからだ。
「最初はよく焦がしてたけどね」
黒いアップルパイを完食してくれたのは、ラファエルさんだけだったな。
思い出して私は笑う。
「アップルパイ、苦かったよね」
「ネレイナは一口しか食べてくれなかったよね」
ネレイナも昔の味を思い出したのか、眉間に皺を寄せている。
失礼な。
そう思いつつも、あの苦さは本当に申し訳なかった。
「今はもう焦げないからね」
そして、二人並んで沢山の玉ねぎを薄切りにしていった。
いつもより涙が出たのは、玉ねぎのせいだけじゃないかもしれない。
私はいつまでこうして食事を作ってあげられるだろうか。
そう思うと、少しだけ胸が痛かった。
私は横目でネレイナをちらと見る。
ネレイナは何も知らず、玉ねぎを切りながら楽しそうに尻尾を揺らしていた。
丼物を作るとき、お母さんは親子鍋を使っていたけど、この世界にはそんな物はない。
丼物自体私は作るけど、町の人も最初は不思議そうに食べていた。
あの時の道具は少ないけど、今は家族の人数も多いから大きめのフライパンで代用してしまう。
出汁も、醤油も、なんなら味噌も全部シグルドさんに協力して作ってもらった。発酵食品や食品を加工するのに魔法が便利なんだと知ったから。
食べ物の事ばかり頼んだせいで「食い意地が張っているのか」って誤解されたけど、和食のためなら私のプライドくらいどうとでもなる。
出汁と醤油とお砂糖……までは分かるのに、みりんの作り方を勉強してなかったせいで再現出来ないのが不満ではある。
(女子高生がみりんの作り方なんて勉強しないもん)
みりんが無いからお母さんの味とは何かが違う。
それでも本物の味を知らない子どもたちは、私の玉子丼を美味しいと言ってくれるから満足だ。
「出来たよ、ネレイナ」
私はクラウスさんとネレイナの分を、深めのお皿に沢山入れてあげた。
ネレイナは嬉しそうに「今晩のメニューも決まった」と喜んでくれた。
「さて、料理も貰ったし、帰ろうかな」
ネレイナが帰ってしまう。
ここが帰る家じゃなくなってしまったのが、毎日寂しい。
「……今日はお泊まりしない?」
私の提案を、ネレイナは「え、無理」とバッサリ切り捨てる。
「クラウスさんも一緒にお泊まりすればいいじゃん?」
ネレイナは呆れたような顔を向ける。
「茜、そろそろ私離れしないと!」
「やだ。結婚したのは嬉しいけど、一緒に居る時間が減るのが寂しいんだもん」
すっかり私から離れることに慣れたネレイナを見て、私の寂しさは増していた。
「もう……心配だからこうやって毎日来てるのに!」
ネレイナは笑いながら、私にくるりと背中を向けた。
「今日は特別ね! ちょっとだけ尻尾触っていいから、元気だして? 明日もまた料理の勉強に来るからさ」
そう言って、尻尾で私の身体をパタパタと撫でた。
私はネレイナの尻尾を抱きしめて、顔を埋める。
ふわふわと柔らかい尻尾と、ネレイナの好きな石鹸の香りに、思う存分包まれた。
ネレイナが「やめてぇ」と耳を伏せ、そんな私をラファエルさんが気付いて引き離すまで、私はネレイナに甘え続けた。




