第三十九話 未来の騎士
「お、あいつらもう行ったのか」
アシュレイ、ピノ、ノワールが出かけた後、ローレンツは一人教会の中に居た。
「今日は三人ともシグルドさんに呼ばれているからね。珍しくピノとノワールも支度が早かったんだよ」
嬉しそうに笑顔を向けながら説明する茜に、ローレンツは「そっか」と短く笑う。
朝食のサンドイッチを頬張りながら、皿の上の幾つかを手早く布で包んだ。
そして獣化しても落ちないよう、背負える鞄に全てを詰め込んだ。
「茜、今日も美味かった!ごちそーさん、俺も行くわ。トトは留守番頼むな! 茜、ラファエルさん、行ってきます!」
玄関の扉を開けると、ローレンツの身体はぐにゃりと空気に溶けるように真っ白な狼の姿へと変わった。
そして、そのまま走り去る。
「ローレンツ、はやーい! いってらっしゃーい!」
見送るトトの声に、一度だけ立ち止まり、遠吠えをしてまた勢いよく駆け出した。
転移するための魔道具は国から支給される。
それでもこうして狼の足で駆けるのは、持久力を鍛える事が目的だった。
騎士見習いになってまだ数年。この道を目指すには僅かに出遅れている。
だからこそ、移動の時間も己を鍛えることに決めたのだった。
体温と呼吸を安定させるために、走りながら舌を出し短い息を繰り返し吐く。
厳しい訓練のおかげか、全ての脚の筋肉は程よく盛り上がってきた。
(あいつを守るために鍛えないとな)
エカテリーナの後ろに立つと約束したのだから。
ローレンツは黙々と走り続けた。
城へ辿り着くと、獣から人へ素早く戻った。
そんなローレンツの姿を、顔見知りの門兵が腕を上げ声をかける。
「よう、ローレンツ、今朝も走ってきたのか! いい加減体力だけなら騎士団でも上位に入るんじゃないか?」
その言葉に、ローレンツはにかっと歯を見せて笑った。
「いや、まだまだだよ。俺には足りないものだらけだからな!」
鞄から水と手拭いを取り出し、喉を潤しつつも布を湿らせ顔を拭いた。
調息し、訓練所へと向かう。
「頑張れよ!」
その声に拳をあげて答えた。
+ + +
城の五階にある王の執務室からは様々な景色が見える。
書類仕事の合間に窓から外を眺めると、騎士団の訓練も見ることができる。
騎士団長が任務の報告に来ていたこともあって、エカテリーナは尋ねた。
「ねぇ騎士団長? 貴方からみて目をかけたくなる見習いはいるかしら」
爬虫類の特徴を合わせ持つリザードマンの騎士団は、女王の質問に短く答えた。
「……見習い騎士の試験の時、生意気にも『女王の護衛騎士になる』と宣言した生意気な白狼が気になりますな」
その言葉にエカテリーナは扇子を広げ、口元を隠した。
義妹の影響なのか、家族に甘い自覚はある。
あの元気すぎる甥っ子が、幼い日の宣言通りこの場所を目指して努力し続けている事を知ると、思わず口元が緩む。
それでもあの白狼との関係を知るものは宰相しかいない。
だからこそ。
「私の護衛騎士が目標だなんて、生意気で可愛いわね」
「あの者はいつか貴女の後ろを守るに足る存在になるでしょう」
エカテリーナはその言葉を静かに受け止めた。
堅物すぎる騎士団長が認めているのだから、諦めなければいずれ叶うかもしれない。
騎士団長は報告書を置き、丁寧に頭を下げて退室した。
エカテリーナの視線はまた、窓の外に向けられる。
(せいぜい頑張りなさい)
必死に剣を振るい続ける、白い耳を持つその見習いの姿を目で追った。
胸元の無骨な石の首飾りを握りしめ、エカテリーナは笑う。
「あの子はどこかお前に似ているのよ。会わせてあげたかったわ……市橋」
その言葉に答える者はいない。
それでも、時折こうして話しかけてしまう自分がいた。
弱さを自覚し、自嘲気味に笑う。
「久しぶりに貴方に会いに行こうかしら」
エカテリーナは扇子を広げ転移の魔法陣を描いた。
行き先は、今は使われていない、かつて自分が暮らした塔だった。
薔薇の庭園の中央を選び、エカテリーナは転移した。
庭園も塔も、侍従が手入れをし続けているから美しさは変わらなかった。
エカテリーナは迷う事なく、庭園と塔の境にある僅かな隙間に潜り込んだ。
子どもの頃見つけた隠れ家のような場所。
腰を下ろし、塔に背中を預ける。
ドレスの汚れは魔法でどうとでもなる。
一人で薔薇を眺めるには丁度いい場所だった。
そんな場所に、一本だけ野薔薇の植えてあった。
その根本には、土が盛り上がっている。
即位前夜、泣きながら埋めた市橋の欠片。
誰にも教えたく無いエカテリーナの秘密の場所だ。
まだ沢山の薔薇に囲まれたただ一つの野薔薇。
それに向かって、穏やかな声で話しかける。
「……来たわよ、市橋」
あの日、この庭園にある薔薇と同じ苗木を選びたくなかった。
でも、自分の象徴である薔薇にしたくて、生命力があり逞しさを併せ持つ野薔薇を選んだ。
(貴方は綺麗なだけの薔薇より、野薔薇が似合うと思ったの)
たった九年で茎はしっかりと伸び、市橋の欠片が眠る場所すら覆い隠そうとしている。
その成長を見てエカテリーナは笑う。
「……そうやって貴方の記憶を心の底に隠して、強く生きろとでも言うつもり?」
当然ながら、薔薇は答えない。
「貴方のように、私の騎士になりたいという甥っ子がいるの。……その子が怪我をしないよう、見守ってくれるかしら」
返事はなくても、エカテリーナには市橋の答えが分かる気がした。
(きっと貴方が生きていたら当然のように守るんでしょうね)
二人が背中を合わせ、自分を守る姿を想像してしまい、エカテリーナは笑う。
「二人並んで私の両脇に立つ……そんな未来も素敵だったじゃない」
エカテリーナは胸の石を両手で祈るように握った。
そして野薔薇に笑顔を向ける。
扇子で隠す事のない、自然のままの笑顔。
「どう? 市橋。私はちゃんと笑っているわよ」
それだけ言うと、エカテリーナは執務室へと転移した。
執務室ではシグルドが書類を纏めていた。
魔力の流れでどこに転移したかを気づいているはずなのに、何も言わずに黙々と仕事を終わらせて行く。
甥であり、シグルドの後継者であるアシュレイも、テキパキと必要な書類を仕分けしていた。
「……頼もしい臣下がいると、私は好きに動けるわね」
その呟きにシグルドは「ほどほどにな」と笑った。
机に座るエカテリーナの前に、アシュレイが微笑みながら紅茶を置いてくれる。
その味は、エカテリーナが好んで飲む野薔薇のお茶だった。




