第三十六話 後継者①
朝食を食べ終えたアシュレイは、教会の家族に挨拶をし、外に出た。
早朝の畑に面した街道には行き交う人もおらず、穏やかな風景の中で魔法を使うのは気分がいい。
アシュレイは指先に魔力を込めると、指を筆のように使い、空間に魔法陣を描く仕草をした。
魔法の発動はイメージだ。
その言葉は養父兼宰相のシグルドが指導してくれた言葉なのだが、国で一番の魔力を誇る養父のように、何の動きも詠唱もなく発動などできるはずもない。
悩んだ結果、多少スピードは遅いがこうして魔法のイメージを空間に描く事で落ち着いた。
魔法陣が発動できるようになると、自分の魔力の色が髪と同じ銀色だということを知った。
アシュレイが初めて魔法陣の発動に成功した日、放つ光を見てシグルドは懐かしそうな顔で口角をあげ「お前も銀色か」と言った。
シグルドの魔力は青銀で、銀色のアシュレイとは異なるのだが……。
(誰なんだろう、父上にあんな顔をさせる『銀色』の魔力の持ち主は)
もやもやが顔に出ていたのか、養父は「いつか合わせてやる」と安心させるように笑ってくれたのだった。
「約束、覚えてるのかなぁ」
仕事に追われる養父の姿を想像して、思わず笑う。
忙殺されても仕方ないくらいの仕事量をこなしているのだから、過去の約束などいちいち覚えていないかもしれない。
それでもーー。
「いつか、会えたらいいな」
アシュレイは銀の魔法陣に歩み寄り、扉のように突き抜けた。
感覚としては3歩歩いただけなのに、突き抜けたその先は、もう城の中だった。
+ + +
アシュレイが転移した先は、城内にあるシグルド専用の塔だった。
最初に来た時は、その広さに驚愕した。
一階で教会の全てが入ってしまいそうな広さだ。
そんな塔に、養父は一人で過ごす事が多いと言う。
掃除や食事を作る料理人やメイド、侍従は昼間だけここに来て、夕方には帰宅してしまう。
せいぜいその日の門番が残るくらいか。
アシュレイは養父の部屋の扉をノックした。
返事はない。
(またか……)
アシュレイは短く息を吐き、室内へと足を踏み入れた。
入った途端強い酒の香りがした。
珍しくベッド脇のサイドテーブルに、高そうな酒が三本も空になって置かれている。
シグルドは上半身に何も纏っておらず、うつ伏せで穏やかに眠っている。
養子になったばかりの頃は、養父が見せるのは完璧な姿ばかりだった。
しかし、数年経ってみるとそればかりではない部分がたくさん見えてきた。
「父上、寝室にお酒を持ち込んではいけません! あれほど言ったじゃないですか!」
アシュレイの声に、シグルドはうつ伏せたまま頭を抱えている。
「アシュレイ、声の響きを抑えろ」
「僕は普通に話しています。五月蝿く感じるのであれば、お酒の飲み過ぎです!」
「うう……」
アシュレイはとりあえず空き瓶を片付ける事にした。
成人したものの、お酒というものに興味が持てない。
養父は酌み交わしてみたいらしく、何度も勧めてはくるのだが、この匂いというものが苦手なのだ。
アシュレイはこっそり酒瓶の香りを嗅いでみだが、やはり鼻にくるお酒の独特な香りにむせてしまった。
「まだ飲めそうにないか」
シグルドはそんな自分の様子を眺めていたらしい。
(行動を観察してするなんて悪趣味だ)
アシュレイは言う。
「まだ飲めないじゃなく、多分苦手なんですよ」
「今度お前にも飲めそうな酒のリストを作ってやる、片っ端からためすぞ」
この養父は、そんなつまらない事にも本気で挑んでくるから面白い。
アシュレイはその可笑しな熱量に笑ってしまった。
「そこまで言うなら、多少は期待しておきますね」
「あぁ! 楽しみにしていろ!」
アシュレイは、珍しく笑顔になったシグルドに着替えとタオルを手渡した。
「お父さん、執務が始まる前にシャワーを浴びてきてください。その方が頭がスッキリしますから」
このやり取りも、今では慣れたものだ。
以前は酔っ払ったシグルドにどう声をかけていいかすら分からなかったものだが。
シグルドは身体を起こすと、面倒くさそうに立ち上がった。
上半身は裸だったが、下半身はちゃんと着ている。
その上半身も、魔法を使う宰相にしては、しっかり鍛えられている、
(そりゃあモテるわけだよね)
アシュレイはシグルドを見送った。
一人になったこの部屋で、気を取り直し片付けの続きをはじめる。
基本的には散らかっていないが、今回は珍しく空き瓶が転がっていたせいで片付ける場所が増えていた。
窓を開けて空気の入れ替えをする。
早朝の空気がすっと入ってきて思考を明確にしてくれる。
机を拭く頃には、首からタオルをかけたシグルドが出てきた。
「アシュレイ、明日お前に会わせたい者がいる。ついでにピノとノワールも連れて来い」
突然の提案。
アシュレイはあえて訊いてみた。
「……その人の魔力の色は?」
質問の意図を理解したのか、シグルドは笑って言った。
「お前と同じ、銀色だ」と。
(覚えていてくださった!)
アシュレイは嬉しくなった。
この養父は、誠実だ。
「ピノとノワールも城で働くのですか?」
「文官と武官を目指したいそうだ。だからこそ、学ぶ相手が必要だと思ってな」
期待しておけ、の言葉に最大限の希望を感じた。
なかなかによい一日の始まりだった。




