第三十三話 結婚①
教会の前は、朝から少し騒がしかった。
町の人たちが花を飾り、その子どもたちは落ち着きなく走り回っている。
林檎の木の下には長いテーブルがいくつも並べられ、焼き上がったばかりのパイの匂いが漂っていた。
ネレイナは珍しく緊張しているのか、何度も同じ場所を行き来している。
「あんまり動くとドレスと化粧が崩れちゃうよ?」
私はネレイナの髪の毛を手櫛で直す。
「緊張してる?」
そう言うと、ネレイナはぷくりと頬を膨らませた。
「落ち着いてるもん」
そう言いながら、まったく落ち着いていない尻尾がぶんぶんと大きく揺れている。
そんなネレイナに朝から付きっきりのトトが、小さく笑った。
「お姉ちゃん、尻尾ぶんぶんだよ?」
ネレイナはその言葉に一瞬だけ尻尾を止めたが、すぐにまた左右に揺れ始めた。
私はそんなネレイナを落ち着かせるために、椅子へと促す。
何度も浅いため息を繰り返すネレイナの口に、アップルパイの切れ端を放り込んだ。
「味はどう?」
「おいひい」
ネレイナは朝からほとんど何も食べていなかった。
緊張をほぐすために、招待した人たちへの料理を少しずつ味見してもらうことにした。
化粧が落ちないよう、小さく切って少しずつ食べさせる。
トトに離乳食をあげていた頃を思い出した。
(ネレイナにはしてあげられなかったなぁ)
出会った頃のネレイナは、まだ八歳なのに最初からしっかりしていた気がする。
あんなに弱っていて「死にたくない」と言った小さな女の子は、こんなにも綺麗で可愛くて、立派な大人になった。
(親バカってこういう事なんだろうな)
褒める言葉しか思い浮かばない。
元気すぎたし、ミミズもいっぱい投げられた。
それでも、私はネレイナが愛しい。
「ネレイナ……」
私は思わず口から感情が溢れた。
「生きていてくれてありがとう、健康に育ってくれてありがとう! ……私の大事な娘になってくれてありがとうーっ!!」
ちゃんと落ち着いて伝えたかったのに、途中から全部鼻濁音だった。
涙が止まらなくなっていたし、なんなら涙だけじゃなく、鼻からも色々溢れそうだったけど、そこは頑張って啜った。
そんな私を見たネレイナは、一瞬驚いた顔をした後、くしゃりと顔を歪めた。
「茜ぇ……」
私の胸に顔を埋めて抱きついていたネレイナ。
今ではネレイナの胸に私の顔が埋まる。
……物理的にも。
身長どころか、色々な部分で大差をつけて成長したネレイナが誇らしくもある。
二人してべそべそと泣き続ける私たちをみて、トトが「二人とも、そっくりなんだから」と笑った。
「当たり前でしょ、親子なんだもん!」
私は、自信を持って言える。
この子たちが私を親だと言ってくれた言葉に、胸を張りたい。
「茜……。お、お母さんありがとうぅぅ……」
「その言葉はダメぇぇーー!!」
号泣だった。
(嫁にやらん! って言いたくなる気持ちがわかる)
「私の大事な娘だもん、子どもたちを誰にもあげたくないっ!」
私はネレイナを力一杯抱きしめた。
そんな私に、ネレイナは泣きながら笑う。
「ダメだよ! 巣立ちして新しい群れを作るのは大切なんだから」
……こんな時だけ獣人っぽさを出してくるのやめてほしい。
トトも、ネレイナの言葉にうんうんと頷いてる。
みんな、いつかは誰かを選んで離れてしまうのかな。
私は笑顔で見届ける自信がなかった。
「トトもいつか結婚する?」
私は九歳のトトに尋ねた。
「僕は雄だからねー。お姉ちゃんほど急がないかな」
その言葉に私はトトも抱きしめた。
「急がなくていい! じっくりしっかり考えてね」
「うん、そしたら茜を独り占めだね!」
そんな可愛い言葉を言われたら、いくらでも独占させてあげたくなる。
私は、トトが『口から中身出ちゃう!』と悲鳴を上げるまで抱きしめ続けた。
そんなやり取りをしていると、教会の扉が叩かれた。
私が扉を開けると、ラファエルさんが立っていた。
長い黒髪が朝の光に静かに揺れる。
その姿を見たネレイナは、少し背筋を伸ばした。
「お父さん! もう始まる?」
ラファエルさんは短く頷き、ネレイナの隣に立つ。
「行くぞ」
ネレイナは迷いなくその腕を取った。
教会の先には、穏やかに笑顔を浮かべたクラウスさんが立っている。
ネレイナに合わせた白い衣装が、2メートルの長身に良く似合う。
遠目から見ても、その大きな体に力が入り、緊張しているのがわかる。
ラファエルさんは町のみんなが見守る中をゆっくりと歩き、ネレイナと共に彼の前で立ち止まった。
ネレイナを新郎であるクラウスに委ねるーーそんな流れだったのに、ラファエルさんは動かない。
しばらく静かな時間が流れた。
(進行を忘れてしまったのかな)
教えようと歩き始めたその時、ラファエルさんはクラウスさんを見つめた。
そして、一言、静かな声で言った。
「大切にしろ」
クラウスさんは最敬礼という言葉を思い出すくらい、深く頭を下げた。
「はい、必ず」
ラファエルさんは小さく頷き、ネレイナの手をそっと離す。
その背中を軽く押し、クラウスさんへと促した。
ネレイナは歩き出し、一瞬だけ振り返った。
ラファエルさんは二人を見つめていた。
その表情はとても穏やかだった。
結婚式の最後。
町の人から誓いの口づけの声が上がる。
私はなんとなく恥ずかしくて、頬がどんどん熱くなる。
(誓いの儀式みたいなものだから、大切なのは分かるんだけどーー)
テレビや漫画でさえ少し気恥ずかしくなるのに、ネレイナとクラウスさんだから尚更そわそわする。
私の隣に戻って立っているラファエルさんが、私に「落ち着け」と声をかける。
クラウスさんの顔がゆっくり近づくのを、ネレイナは尻尾を膨らませて待っている。
ローレンツとピノとノワールは食い入るように笑顔で見守っている。
アシュレイとトトは、顔を逸らしながらも、ちらちらと視線を戻している。
そして、二人はゆっくりと軽い口づけをした。
唇が離れるまで、私は呼吸を忘れていた。
ネレイナが瞳を開け、尻尾をぶんぶんと振り回しながら興奮した声を上げる。
「初めて口くっつけた! 凄かった!」
アシュレイとトトは顔を真っ赤にして背けた。
獣人の三人の子どもたちは、お腹を抱えて笑っている。
私は、あまりにもネレイナらしい感想で思わず笑ってしまった。
そんなネレイナを目の前で見たクラウスさんも、顔を真っ赤にしながら声を上げて笑っている。
ステフさんは笑っていたし、何故かフレイアは感極まったように泣いている。
泣きながらも「妹って呼ばないようにね!」とネレイナに釘を刺しているのが、長年張り合っていたフレイアらしくて、可愛いと思う。
「おめでとう!」
「幸せになってね」
町の人たちの笑い声と拍手が、教会の庭に広がった。




