83.心、軽く
マリクリアのアルテス神殿から神の使徒であると認められたこと。
それは不本意でありながらも、しかし受け入れられた嬉しさや安堵感もあるという、なかなか言葉にできない気持ちにさせられた。
現実問題として、メルドン司祭が認めてくれたとしても、状況は好転しないのだ。隠し事が一つ減ったという意味では心が軽くなりはしたが。
「マルスは今日はいないんだったな」
メルドン司祭との話を終えてマリクリア神殿から出てきた私は、見慣れた専属執事の姿が見えない違和感をつい口に出してしまった。
マルスには今、ヴェスパ湖の神殿の様子を見に行ってもらっている。
セルファスが姿を消してもう七日ほど経った。ヴェスパ湖は現在、領兵団から兵士を派遣してもらって、昼夜を問わず異常がないか監視している。
もし異常があった場合、具体的にいうとセルファスが戻って来たときには、術砲を打ち上げてマリクリアまですぐに連絡がくるようになっている。
緊急の連絡といえば伝通鳥がよく使われる。だが、あらかじめ符号を決めておくならば、強く発光する術砲を打ち上げて、街道の各所に配置されている領兵団の詰所で中継する方式を使えば、驚くほど早く一報を伝えることができる。昔は烽火が使われていたらしいが、術砲が発明されて以降は滅多に使われなくなった。
セルファスがヴェスパ湖に戻ってくるとは正直なところ思っていない。あれほど見事に痕跡を残さなかったということは、おそらくは最初から時機をみて失踪するつもりだったのだろう。
それでも小さな可能性に賭けてヴェスパ湖の監視をしているのは、それだけセルファスが重要な存在になったからだ。あいつに言いたいことは山ほどあるが、それ以上に聞きたいことが多い。
なんとかとっ捕まえて洗いざらい白状させなければならない。そして、実際に見たセルファスの魔法技術を考えれば、捕まえることができるのは恐らく私くらいだろう。
マルスをわざわざ様子見に行かせているのは、魔石の無事を確認するためでもある。
神殿の地下に魔石を安置して地下に続く縦穴に蓋をしたとき、数か所にごく簡単な紋様を彫り込んでおいた。そこに紋様があることを知らなければ、まず気付くことは出来ないものだ。もし何者かが地下室に行こうと穴を掘り、土魔法で元通り穴を塞いだとしても、紋様が消えていれば侵入に気付くことができる。
もちろん、今はセルファスが魔石を持ちだすことをもっとも警戒しているわけだが。
「しかし、あいつは嘘は吐かなかった。少なくとも分かる範囲では」
レイチェル姉上やマルスの眼をもってしても、セルファスが嘘をついているという確証は得られなかった。
だとすれば世界を救うための魔石をどうこうするとは思えない。
ぐるぐると考え事をしながら街の大通りを歩いていると、不意に声を掛けられた。
「にゃにゃ、エヴァン! どこ行くニャ?」
振り向かなくても誰だかすぐにわかるな。
「ミャルか。ああ、ここで働いているんだったか」
いつの間にかアンナの実家である仕立て屋の前に来ていたようだ。
軒先に例の猫耳のカチューシャが並べられている。猫耳のものだけではなく、犬っぽいものや熊っぽいものなど色々な種類のものがあるようだ。牙ウサギの耳は無いのだろうか。
「ミャルはもうここの看板娘ニャ。カチューシャがどんどん売れていくニャ。この調子なら借りた武器の代金もすぐに返せるニャ」
カチューシャが売れれば、その一部がミャルの取り分になる。とはいえ、あの特注品のガントレットの代金分を稼ぐとなるとかなり大変だろうと思っていた。どうも予想よりかなり売れ行きは良いようだ。たしかに街でカチューシャを着けている女性や子供をよく見かけるようになった。
「ずいぶん稼いでるみたいだな。もうその耳を隠す必要はないのか?」
頭に生えている白い猫耳を指差して尋ねると、ミャルは嬉しそうに答える。
「そうニャ。隠すどころか、この耳はカチューシャを売りさばく看板娘ミャル様の大事な商売道具ニャ。これが有ると無いでは大違いニャ。あ、いらっしゃいませニャ。いま流行りの耳付きのカチューシャ見て行ってニャー」
私と話しながらも、接客に余念がないミャル。ふと立ち止まった若い女性にさっそく売り込みをかけている。
「ニャニャ、お目が高いニャ。それは今日から売り始めた新作の垂れ耳犬のカチューシャだニャ。作るのが難しいらしいから数が少なくてちょっと高いけど、その分だけすごく目立つニャー」
なかなか堂に入った売り口上で、見事に高めのカチューシャを売ったミャル。買った女性もさっそく垂れ耳カチューシャを頭につけて嬉しそうにしている。そして、その様子をチラチラと見ながら通り過ぎる人もいる。
「大した売り子ぶりじゃないかミャル。森の中で育ったと言っていたから、商売なんてできないと思っていたが」
正直な感想を伝えると、ミャルはえへんと胸を張る。
「フォルナ族の村はそれなりにたくさん人がいたから、ちょくちょく行商人も来てたニャ。ミャルはその中のお菓子とかを売るおっちゃんの真似をしてるニャ。上手いこと言って色々買わされてしまう不思議なおっちゃんニャ」
どうやらミャルもおやつ代で金欠になる性質のようだ。このあたりもレイチェル姉上と気が合うところなのかもしれないな。
「エヴァンはどうしてるニャ? 最近お屋敷でもあんまり見かけないから忙しいニャ?」
ミャルは未だにうちの屋敷に居候をしている。というか姉上に割り当てられた部屋のうちの一つを貸してもらったらしい。半ば物置になっていたところで、小さな窓があるだけの小さな部屋だったが、ミャルには特に問題なかったようだ。なにせ、食べる、寝る、遊ぶ、ときどき殴るで基本的な生活が構成されているからな。裏オークション会場に捕まっていたときも、本人は特に何も困ってなかったようだし。
「忙しい。理不尽な神託騒ぎのせいでな」
「にゃー、セルファスとかいう人がやらかした件ニャ? でも嘘ついてるわけじゃないニャ? エヴァンは神様のおつかいしてるニャ」
「本当のことだから、広められたら困ることもあるんだ」
「うー、都会の理屈はよく分からないニャ。故郷ではだいたいの揉め事は殴り合いで解決してたニャ」
とんだ蛮族だな、フォルナ族。人間社会でそんなことしてたらたちまち戦争になるぞ。
「豪気すぎるだろ。夫婦喧嘩とかはどうするんだ」
「それこそ殴り合いニャ。広場で決闘して、みんなでどっちが勝つか賭けるニャ」
「私にはフォルナ族の理屈の方がよほど理解不能だ」
私の困惑した顔を見て、ミャルは軽快に笑う。
「ニャハハ、まあ困ったらミャルに相談するニャ。大抵のものは殴り飛ばしてあげるニャ」
そんな状況にならないために色々と動き回っているんだがな。
また買い物客がきて接客を始めたミャルに短く別れの挨拶をして、私は屋敷に戻ったのだった。
屋敷に戻ると、玄関ホールでアンナが商人と思われる数人の男たちと何やら話していた。
周囲には家具やら絵画やら魔道具やらが雑然と置かれている。
「ただいま、アンナ。忙しそうだな」
「あ、エヴァン様、お帰りなさいませ」
私が帰宅を告げると、アンナが明るく返事をしてくれた。これが心の清涼剤というやつか。
「調度品の処分か?」
「はい、緊急の出費に備えなければならないので」
今まさにその緊急事態なわけだが、アンナはニコニコとしている。
おそらくは商人たちに余計な詮索をさせないためだろう。セルファスの神託のせいで我がマルシェル家の立場は非常に危うくなっている。
マリクリアにいるとあまりそうは感じないが、中央、つまり帝国政府やアルテス神教団本部の視点で考えれば、マルシェル家、というか私は突然現れた異物だろう。
異物は排除しようとするのが人の本能だと思う。
ましてや、醜悪クレイホッグこと査察官ジレイルを文字通り叩き出したからな。
伝通鳥で神教団本部へ送った弁明書には、別の司祭を派遣してくれれば、包み隠すことなく査察に応じると書いておいた。
それがどのような人物になるか、そもそも次の査察官が派遣されてくるかどうかも分からないが。
「そうか。良い値で売れるといいんだがな」
「はい、きっと道具商の皆さんが高値で買って下さると思います」
アンナが話を向けると、商人たちは愛想笑いを返してくる。何歳も、下手をすると何十歳も年下のアンナを相手に、どことなくやりにくそうな様子だ。
「どうも、エヴァン様。もちろん適正価格で買い取らせてもらいますよ。ただ、少し量が……」
ここにいる道具商たちは全員顔見知りだが、さすがに処分する調度品が大量で、やや戸惑っているようだ。
「在庫一掃というやつだ。すまないが協力してくれ。多少は仕方ないが、暴利を貪ろうとは思うなよ?」
冗談めかして軽い口調で言うと、商人たちは焦った様子で否定してくる。
「とんでもないですよ、いつもエヴァン様がお小遣い稼ぎで店に持ち込む怪しい魔道具じゃないんですから。アンナさん相手にぼったくりとか恐ろしくて」
「おい、ちょっと待て! いろいろと見過ごせない言葉があったぞ!」
私のときは買い叩いているってことか? たしかにいつも安いとは思っていたが。
「エヴァン様、そんな金策をしていらっしゃったんですか? お小遣いが足りないならそう言ってくださればいいのに」
にこにこ。
「あ、いや、違うんだ、アンナ。あくまで私物の処分であって、アンナの手を煩わせるようなことでもないと思ってな」
「でもお金が必要だったんですよね? ちゃんと使い道を説明してくだされば用意いたします、といつも言っていますよ?」
にっこにこ。
「ま……、魔道具の価値は作った本人が一番よく分かるからな。それで一人で売りに行っていたわけだ。別にへそくりを作ろうとしたわけじゃないぞ」
「ほう、それでは売却の子細をお教えいただけますかな?」
背後から寒々しい声をかけられて、血の気が引く音が聞こえた気がした。
振り返ると、執事長のロベルトがいつもの無表情ですぐそばに立っていた。動揺していたとはいえ、ここまで全く気取られずに私の背後を取るとは、なんて恐ろしい執事だ。
「屋敷の中で油断している人間の虚を衝くなど造作もありませんな」
「なんで私の考えていることが分かるんだ?」
「執事長ですから」
なんの答えにもなっていないが、ロベルトが言うと謎の説得力が生まれる。
「私が作った魔道具を売ろうが売るまいが、ロベルトに断りを入れる必要はないだろう?」
材料だって小遣いの範囲で買いそろえたものだしな。たまに珍しい材料を手に入れるためにモンスター狩りに行っていたのは秘密だが。
「左様ですな。ただし、売却金の使い道に関してはそうはいきません。なにか説明できないことに使われたのですかな?」
飲み歩きと地下賭場で遊ぶのに使ったとは言えない。夕食まで説教が続くことになってしまう。
「領民との交流……」
「ああ、いつもの、で御座いますね。私はてっきり酒代と賭け事に浪費されたのかと邪推してしまいました」
バレてる。これは話を逸らさないといけない。
「ところでロベルト、マルスは戻ってきたか?」
「いえ、まだヴェスパ湖から戻ってはおりません。何か御用でしたら伺いますが?」
「いや構わない。マルスのことだ、そろそろ戻ってくるだろう。戻ってきたら執務室に来るように言ってくれ」
「畏まりました」
よし、なんとかロベルトの追及を躱すことができた。
足早に玄関ホールを後にして、執務室に入ってほっと息をつく。
その時、私は神託や神教団や領地の懸案を、ほんのひと時だが忘れていたことに気付いた。
「ミャルと話しているときもそうだったな。それにアンナの笑顔が怖かったときもだ」
いま思えば、先程のロベルトもへそくりについて深くは追及してこなかった。
もしかしたらロベルトなりに私の気を紛らわせようとしてくれたのかもしれない。だとすればもう少しやり方があるだろうと言ってやりたいところだが。
「結局、私の安息は皆がいてくれてこそ、なんだな」
神教団本部や帝国中央がどういう反応をしてくるか分からない以上、こちらは資金を集めることくらいしかできないが、きっと気を張り詰め過ぎてもいけないのだろう。
「大丈夫、きっとうまく行く」
知ってか知らずか私の心の健やかさを保ってくれる仲間たちに感謝して、少し休むとしよう。
そう考えて、執務室の椅子の上で目を閉じた。




