82.今ここにある信仰
駄目で元々、とりあえず帝都のアルテス神教団本部へは伝通鳥で弁明書を送った。
なにせ査察官のジレイル高司祭の品性が低すぎた。まさかアンナやレイチェル姉上を夜伽に差し出せと言うとは思わなかった。
セルファスの神託のせいで弱い立場に追いやられてはいるが、貴族相手にあそこまで要求できる自信は凄い。自分の兄が神教団の幹部であるということだけで、今までどれほど横暴に振る舞ってきたんだろうか。
気絶したジレイルはマリクリア神殿に連れて帰られ、神聖魔法による治療を受けたようだ。そして治療が終わるなり大急ぎで帝都に帰って行ったらしい。もちろん浮遊馬車を使っているので、帝都まで最速で五日というところか。
「ジレイルがマルシェル家で暴行を受けたと中央に報告するなら、伝通鳥は使わなかったのですか?」
ジレイルが帝都へ向けて出発したあとに、マルシェル屋敷を訪れたメルドン司祭に私は尋ねた。
「ああ、もちろん伝通鳥を出せと言われましたよ。しかし、『今は出払っている』と言って断ってやりました。もちろん嘘ですが」
メルドン司祭はジレイルに伝通鳥を使わせなかったらしい。
「そんなことをして大丈夫なのですか?」
「いいんですよ、あのような聖職者の風上にも置けないような豚に便宜を図る気はないので。とはいえ、明後日にはジレイルに都合の良い事情が書かれた報告書を、神教団本部に送らなければなりません。あまり時間を稼げず申し訳ない」
「とんでもない。司祭様に頂いた時間は有効に使わせていただきます。帝都屋敷のオランドに少しでも当家の有利になる工作を指示します」
神教団本部の高司祭、つまりメルドン司祭にとっては上司にあたるジレイルに嘘をついてまで二日間ほどの時間を作ってくれた。
この間にオランドに帝都で情報の操作をしてもらう。とは言っても市中に噂を流すことくらいしかできないかもしれないが。
「ジレイルが中央に送る報告というのはどんな内容か分かりませんか?」
悪し様に書かれるのは分かりきっているのだが、金貨百枚で買収しようとしたことなどが書かれていては少し面倒なことになる。
私の心配を知ってか知らずか、メルドン司祭の口は軽かった。
「ええ、もちろん知っています。アラニア様に蹴られて折れた鼻を神聖魔法で治療している時に、激怒するあの豚の言葉を報告書に代筆したのは私ですから」
自分でいいながら「そういえば豚なら蹴られたくらいで鼻が折れませんよね」とか言って自分で笑っている。よほどジレイルのことが嫌いなんだな。
「報告書の内容は大まかに言うと、『マルシェル家はアルテス神教団の権威を脅かす企みがあると確信した。査察官へ暴力を振るったことがその証拠だ』というところです。己の恥知らずな要求を棚に上げて言いたい放題ですね」
思った通り、酷い報告を上げようとしているな、あのクレイホッグもどきめ。
「神教団の中央はこの報告を真に受けますかね?」
「真には受けませんよ、間違いなく」
メルドン司祭ははっきりと言い切った。
「ジレイルは神教団の大幹部であるザッカルド大司教の弟です。兄はもちろん、他の幹部達もジレイルの素行は知っています。傲慢で強権的、兄の威を借る卑劣な性格。普通に考えると今回のような件で査察官を任されるような者ではないはずなんです」
さすがは元は中央の司祭を務めていただけのことはある。教団の上層部の事情に明るいな。
「そ、そうですか。ならば最悪の状況ではない、か……」
私が展望に多少の希望を持ったとき、メルドン司祭は語気を強めた。
「エヴァン様、しっかりして下さい。状況はなにも良くなってはいないんです。おそらくですがジレイルはマルシェル家の調査の過程で、なんらかの諍いを起こすと見込まれたのではないですか? そして、過程を無視してマルシェル家を神敵に仕立て上げようとしているとすれば? 今まさにエヴァン様たちはそういう立場に追い込まれています」
気を緩めてしまいそうになっていた私に、メルドン司祭は神教団の意図を推測してくれた。
確かに、査察の目的が最初からマルシェル家に罪を着せるためのものなら、ジレイルは見事に目的を果たしたわけだ。本人にそういう目的意識があったかどうかは別にして。
「ということは、結果的に私も父上も、まんまと乗せられてしまったということか……!」
「残念ながらそういうことになってしまうかと……」
私の落ち度だ。
中央からやってくる査察官を買収するという策が裏目に出た。資金に余裕ができて油断もあったと思う。神教団の敵意にまで気が回らなかった。
なんて間の抜けたことだ。
「メルドン司祭、やはり私は駄目な貴族のようです。領地を守るどころか、ただただ危険に晒してしまっている。皆に申し訳が立たない」
ドラゴンを手懐けても、一瞬で建物を粉砕できても、それでは領地領民を守ることはできない。
破壊の力はどこまで行っても破壊にしか使えない。
そして、今は何を破壊したところで状況は好転しない。
「エヴァン様、確認したいことがあるのですがよろしいですか?」
落ち込む私とは対照的に落ち着いた様子のメルドン司祭。
確認したいこと? なんの話だろうか。
「ひと月ほど前でしたか、私に『神殿を建てたい』と相談にいらっしゃいましたね。その時に『天使の夢を見た』とおっしゃっていたのを覚えています。あれは本当の事ですか?」
メルドン司祭はじっと私の目を見つめて問うてきた。
リアの事か。ここまできて隠すことではないな。
「本当の事です。私は夢の中で天使を名乗る人物から『ヴェスパ湖に神殿を建てろ』と言われました」
さすがに魔石の事は黙っておこう。地下に封じたあの三つの魔石は、存在を知ること自体が危険につながる。
「そうですか」
ふむふむ、と何か考えながら納得したそぶりを見せる司祭。
「では、例の神託の中にあった、『新たな命が生まれなくなる』とか『魂を導くための神殿』だとかの話は本当ですか?」
セルファスの神託の内容についてか。確かにどこを切っても疑わしい、荒唐無稽な内容だからな。信じられないのはよくわかる。
だが、私は知っている。
「私が体験したことを全てお話しすることはできませんが、状況からして本当のことです」
はっきりと言い切ると、メルドン司祭は目を見開いた。私がここまではっきり断言するとは思っていなかったのかも知れないな。
「ということは、『祈りがヴェスパ湖の神殿に集まった時、世界は再び神の祝福を受ける』というのは……?」
「確証がある訳ではありませんが、私は本当の事だと思っています」
一等級魔石を三つ集めて神殿を建てれば世界は救われる。
よくよく考えてみれば、この話には何も物的な根拠などはない。だからこそ私は最初は信じなかったし、信じたくもなかった。
だが、リアの起こしたインク壺の小さな奇跡に始まって、ヴェスパ湖でのセルファスの出会い、いきなり渡された最初の魔石、セルファスの得体のしれない魔法技術、大陸中というあり得ない範囲に届いた神託、そして文字通りなんの痕跡もなく消えたセルファス。
貴族の息子を騙して、小さな神殿をひとつ建設させるだけにしてはむしろ大がかりと言える。
そして、もしセルファスが私の異常な魔力のことを最初から知っていたとすれば、それはきっとリアも知っていたのではないか? だからこそ一等級魔石を集めろなどと無茶な要求をしたのではないか? 私にならそれが可能だと思ったのではないか?
推理はいくらでも出てくるが、残念ながらそれを確かめるすべはない。
だから結局、メルドン司祭には私の感想しか伝えられない。
「なるほど、よくわかりました」
「司祭様には嘘を吐いていたことになります。その点はお詫びのしようも……」
そう言いかけたとき、メルドン司祭は表情をぱっと明るくして言った。
「何をおっしゃいますか、エヴァン様。ということはエヴァン様はやはり正真正銘の神の使徒様だった、ということでしょう。これはとても、とてつもなく喜ばしいことです」
あまりにも無邪気に喜んでいるメルドン司祭をみて、私は逆に不安に襲われる。
神の使徒とやらに選ばれたせいで、とんでもない苦境に立たされているのだが……。
「司祭様、先程も言いましたが根拠も証拠もないのですよ」
浮かれているようにしか見えないメルドン司祭を落ち着かせようと、繰り返して私の主観の話であることを伝える。
すると、司祭は急に落ち着き、真面目な表情になって言った。
「エヴァン様、私はあなたを子供の頃から知っています。昔から姉弟揃って礼拝がお好きではありませんでしたね。たまにいらっしゃったかと思えば神像を壊してしまったり、椅子や机を積み上げて遊んだりしてました。まあ大体はレイチェル様に巻き込まれた結果なのでしょうけど」
唐突に過去の悪事を掘り返されたが私は黙っていた。あと神像の件についてはレイチェル姉上は関係ないのだが、それも訂正したりはしない。
「これまでもエヴァン様の周囲には色々なことがありました。御母君の顔を知らず寂しそうにされていたこと。叔父上や伯母上を事故で亡くされて落ち込んでいたこと。そこから立ち直ってマルシェル家の立派な跡取りになられたこと。なにより領民を心から愛し、また領民たちもエヴァン様を敬愛している様を私は見てきたのです」
メルドン司祭は椅子から立ち上がり、私のそばまでゆっくりと歩いてきた。
「そんなエヴァン様が、世界を救うために手を尽くしていると仰っている。ならば私はエヴァン様を信じます。アルテス神教団本部がなんと言おうと、私はエヴァン様を信じると決めました。そして、私がそう決めたからにはエヴァン様はマリクリア神殿が認めた神の使徒様です。誰にも文句は言わせません」
司祭は跪き、両手で私の左手をとった。そして頭を下げつつ私の手を掲げる。
「アルテス神の御意思により顕現された聖なる使徒に、我が信仰を捧げます」
メルドン司祭が短く、あまりに重い祈りの言葉を述べた。
「司祭様、いくらなんでもそれは軽々ではないですか? 外部からみれば、思い込みが激しいと言われてしまうのでは?」
思わず軽口が口をついて出てしまったが、顔を上げたメルドン司祭は気を悪くするどころか、悪戯っぽくニカッと笑った。
「おや、ご存じありませんでしたか、エヴァン様。自分と、そして時に他人を突き動かしてしまう程の強い思い込みのことを信仰と呼ぶのですよ」
「知りませんでした。そんな言葉があるのですね。聖典の暗記は苦手だったので」
子供の頃、礼拝の度に聖典の一節を覚えさせられたことを思い出していると、メルドン司祭が今度はニヤリと笑う。
「そんな言葉あるわけないでしょう。今、私が考えました」




