81.崩れる思惑
くくく、買収完了だ。
査察官であるジレイル高司祭は、金貨の山の前に屈した。
これで私や子爵領に平穏が訪れる、というわけではないが、とりあえず大きな窮地は脱したな。
ジレイルに金貨百枚も持っていかれるのは気に食わないが、これで神教団はセルファスの神託について、我々への追及の手を緩めざるをえなくなる。少なくとも時間は稼げるはずだ。
あとはヴェスパ湖にあるセルファスの小屋を潰して、休憩所の地下に安置した魔石を一旦別の場所に移して、ついでにタマも避難させる。
物的証拠を隠滅した後ならば、次の手が打てる。
「では高司祭様、例の神託騒ぎについて当家は何も関係はないということでよろしくお願いいたします。まあ実際問題、本当に関係はないのですが」
「そ、そうだな、巻き込まれたというなら仕方がない。ありのままを上に報告してやろう」
「ご配慮いただき感謝します。それでは、こちらは木箱に詰めて封印をしてからお渡ししましょう。お連れの方に見られても都合が悪いでしょう?」
私は手を二回叩いてドア向こうのマルスを呼んだ。普段はこんな呼び方をしないが、今はやり手の貴族を演じるべき時だ。
「お呼びでしょうか、エヴァン様」
恭しい態度でマルスが応接室に入ってくる。もちろんこのマルスの態度も演技だ。普段通りならば「手を叩いて呼ぶとか私は犬猫ですか。だったら働かずに養ってもらえる権利をください」くらいのことは言うだろうな。
「ああ、マルス、すまないがこの金貨を木箱に詰めておいてくれ。金貨が入っているとは分からないようにな」
「……かしこまりました。音が鳴らないように詰め物もしておきます」
ちらりとテーブルの上の金貨を見て、一瞬動きを止めたが、私が投げた木箱を拾って金貨を入れていく。
……まさか金貨くすねたりしないよな? いや、いくら守銭奴のマルスでもそれはないだろう。ないよな?
私と父上、そしてジレイルが無言でいる中、マルスが金貨を全て木箱に収め終わった。
「それでは高司祭様、話がまとまったということで他の者を戻してもよろしいですか?」
「ああ、構わんぞ」
先程部屋から追い出されたジレイルの部下たちと、アンナも応接室に戻ってくる。
ジレイルの部下たちは自分たちのいないところでどんな話がされたか、気になるところだろう。だがジレイルに問いただすような様子が無いところをみると、おおよそ何があったかは察しているのだろうな。渋い表情をしたままジレイルの後ろに立った。きっとこういうことも初めてのことではないのだと思う。
「高司祭様、もう日が沈む頃合いです。ささやかではございますが晩餐を用意させていただきました。よろしければお連れの皆様もどうぞ」
父上がそういうと、ジレイルは鷹揚に頷く。
「そうだな、そろそろ腹も減ってきたところだ。辺境の味覚というやつを試してみるのもいいだろう。帝都のレストランも有名どころは味を覚えてしまったところだ」
「ははは、高司祭様は美食家なのですな。いや、マリクリアの料理がお口に合うかどうか」
「期待はしておらんから緊張する必要はないぞ、当主殿」
こいつ、さっきまで金貨の山の前で言葉を失っていたくせに、高慢な態度を取り戻してきたな。
聖職者が美食家ってどういうことだ。節制の美徳はどこにいった。
だがこんな奴が中央で威張っていられる、そんな神教団の腐った体制が今は都合がいい。
兄の七光りか何かしらないが、金貨を積まれてころっと買収されるような男が高司祭なら、上役の司教や大司教なども買収できる可能性は十分にある。さすがにジレイルほど簡単ではないだろうが。
強欲な高司祭様がこちらに都合のいい報告を中央に持ち帰って時間を稼いでいるうちに、子爵家の私財を可能な限り金貨や宝石に替える。アンナが試算したところによると、少々無理をすれば金貨一千枚近くは用意できそうだ。その代わりに屋敷から調度品と骨董品が消え去るが、それはこの際どうでもいい。銀食器とか使わないしな。
ちなみに父上の畑だけは売りに出さないことはすでに決めている。涙目で「畑も手放すよ」と言った父上。その姿を見たうえで畑を売り飛ばせるほど私も非道ではない。
あとは冒険者ギルドでリッツに調べてもらっている『稼げる情報』で資金の上積みを試みる。
帝国内に存在する、生息が確認されているが討伐依頼が出ていない強力な魔物を狩りに行く。
そして、その魔物から高級な魔石をいただく。
人間に害を及ぼしていない魔物を狩るのは気が引けるが、こちらも緊急事態なので仕方がない。
討伐依頼が出ている魔物を狩るのは他の冒険者の稼ぎを妨害する事にもなるし、何よりギルドが魔物の動向を監視しているはずなので証拠の隠滅が面倒だしな。
あと、各地の秘境を飛び回って自力で乱獲するとは言えないので、リッツには「タマに魔物を狩らせて魔石を回収する」と説明しておいた。「タマさん可哀想っす」とか言っていたが、私のほうが可哀想じゃないか?
「ああ、ところで夕食の後の話だが……」
食堂に移動しようかというところで、ジレイルが私と父上に話しかけてきた。
これは、あれか? あれの要求か?
「高司祭様、夜のお話でしょうか?」
夜の接待。つまり女を用意しろということか?
「おお、そうだ。話が早いな。儂は杓子定規な堅物ではないからな。そういう遊びも嗜んでおるのだ」
聖職者が女遊びをしていると自慢げにいわれてもな。普段なら黙殺するだけだが、残念ながら今はまだジレイルの機嫌を損ねるわけにはいかない。そして、こんなこともあろうと準備もしてある。
「さすが高司祭様。市井の者への興味は神の教えにきっと通じるのでしょう。実はマリクリアでも美姫揃いで有名な店を貸切っております。必ずやお気に入りいただけるかと」
査察官が金だけでは満足しなければ、次は色香で堕とす計画。
ジレイルはすでに金の力に陥落しているが、ここはさらに弱みを握っておきたいところ。
マリクリア最大の娼館『月と蝶』の経営者であるネルシィに頼み込んで、どんな堅物でも骨抜きにするという極上接待コースを用意してもらった。
ネルシィの「エヴァン様も一度体験してみて下さいな」という熱心なお誘いを受けたが、遊女はだいたいみんな昔からの知り合いなので遠慮しておいた。私の昔の悪事を肴にした飲み会になるだけだからな。
ちなみに、この話を聞いたリッツはものすごく羨ましそうだったが、一晩遊ぶのに金貨三枚でも足りないと知ると分かりやすくがっかりしていた。
さて、お偉い高司祭様がどんな遊びをするのか、あとでネルシィ達に一部始終を聞き取りさせてもらうぞ。人に言えないような恥ずかしい性癖でもあれば、あとで脅迫もできて実に都合がいい。
だが、ジレイルの返答は意外なものだった。
「店? 娼館か。そういうのは飽きてしまったのでな、不要だ」
「お気に召しませんか? ではどのような享楽を?」
ネルシィの店がダメとなると予定が狂うな。
すぐに用意ができる他の店となると、ヴィンスの地下賭博場か、イーサンの酒場か、ゼッタフの魔曲舞台くらいしかないぞ。
「商売女は飽きた。最近は純朴なのが好みでな。ちょうどそこのメイドのような娘がいい。三日ほど滞在してやるから、夜はそのメイドを儂につけろ」
……なに? 今、何て言った?
「アンナを、夜に……?」
「昼まで相手にすると儂も疲れてしまうからな」
粘りつくような声と視線をアンナに注ぐジレイル。
思わずその視線を追って後ろを振り向くと、表情を無くしながらも青い顔をしたアンナがいた。
怯えている。しかし、マルシェル子爵領が置かれた立場を考えれば、ここでジレイルの機嫌を損ねるわけにはいかない。アンナはきっとそう考えて悲壮な覚悟を決めようとしている。
私は自分の中にある怒りの感情が鼓動を打つのを感じた。
だが、その感情が表に出る前にジレイルは言葉を連ねた。
「しかし、辺境の子爵とはいえ貴族家の行く末がかかっているとなると、もう少し配慮してもらってもよさそうなものだな」
こいつは自分の持っている権力を最大限に生かして甘い汁を吸うことに慣れている。平然と要求を上乗せする態度からそう推し測ることができた。
「先程の領兵の制服を着ていた長女がいただろう。あれは美人だったな。あれも貸してもらおうか。貴族の令嬢なら、まあ一晩だけで勘弁してやろう。軍にいるくらいだから、どうせ嫁ぎ先もないのだろう」
アンナのみならず、レイチェル姉上まで……! こいつはだめだ、許せん……!
魔法で消し炭にしてやると決意したその時、隣に座っていた父上が静かに立った。
「……」
父上は何も言わず、左足をテーブルに乗せた。そして次の瞬間、右足で強烈な前蹴りをジレイルの顔面に叩き込んだ。
「ぐがぁ!」
ソファごと後ろに倒れるジレイル。そのまま気を失ったようだ。
「高司祭様! な、何をする!」
ジレイルの部下たちが慌てるが、父上は悠然としていた。そして静かに言う。
「何をするもなにも、貴族として当たり前の返答をしたまでだ。当家を舐めてかかるのはそちらの勝手だが、マルシェル家は帝国建国時から続く誇り高い家系だ。金が欲しいならくれてやるが、誇りと名誉を踏みにじって無事でいられるとでも思ったか?」
ジレイルほどではなくとも、部下の二人も多分にマルシェル家を見下していたのだろう。凪いだ口調の裏にある父上の激しい怒りを感じて、それ以上は何も言えなくなったようだ。
ただ、「覚悟の上だとは思いますが、問題になりますぞ」とだけ言って、気絶したジレイルを担いで応接室から出て行った。ここにいると危険だと考えたのだろうな。
ジレイルとその部下たちが出て行き、ゆっくり三呼吸ほどたったあと、父上がソファにゆっくりと座った。
そして、
「やっちゃった……」
そういって頭を抱えてしまった。
気持ちはよくわかる。
「やってしまいましたねぇ」
まったく責める気はないが、いま私にできることは父上と一緒に頭を抱えることくらいだ。
「しかし、父上がジレイルを蹴り飛ばしてくれて良かったです。さもなくば私はあいつを魔法で火だるまにしていたでしょうから」
私が冗談を言ったと思ったのか、父上は苦笑いをしてソファにもたれ、天を仰いだ。
「エヴァン様、マリクリア神殿へは……?」
マルスが近寄って私に耳打ちをする。メルドン司祭へ手を打たなくていいのか、ということだな。
「マルス、すぐにメルドン司祭に今回の件を伝えてくれ。私がジレイルを買収しようとしたことも言って構わないから、ありのままにな。お前の足ならジレイル達が神殿に戻るよりかなり早く神殿に着けるだろう」
「はい、お任せください」
そう言うとマルスは颯爽と応接室から出て行った。
「アンナ、大丈夫か?」
とんでもない要求に巻き込まれそうになったアンナは、蒼白だった顔色が多少良くなっていた。
「大丈夫です。このくらいのこと、マルシェル家の大事を思えばどうということはありません」
気丈に振る舞ってはいるがやはり怖かったのだろう、返答した声には張りが無かった。
私は立ち上がり、代わりにアンナをソファに座らせた。隣に座る父上は未だに放心したように無言のままだ。
「父上、とりあえず神教団宛てに弁明書でも書きましょうか?」
さしあたっての次善策を提案してみるが、
「無駄だろうねぇ」
「そうですよねぇ」
そんな思い付きで好転する状況ではないのは明白だった。




