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辺境貴族エヴァン  作者: 玄紀 匠


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77.戦慄

 満月の夜空に魔法の花を打ち上げた翌日、二日酔いに苦しむ私はアンナの声でようやく目が覚めた。

 だがアンナの声はいつもの朝とは違っていた。


「エヴァン様、おはようございます」

「おはよう。どうしたんだアンナ、少し元気がないな」


 沈んでいるわけではないが、溌剌としているわけでもない。アンナの表情は何かに困っている時のそれに似ていた。


「昨日、アンナはほとんど酒を飲んでいなかったな? なにか悪い夢でも見たか? あ、すまないが、水をくれないか」


 アンナは水差しからコップに水を注いで渡してくれた。深酒で乾いた喉を一杯の水が潤してくれる。頭痛がするのでついでに薬を飲んでおくか。いつ二日酔いになってもいいように、私は寝室に薬を常備している。薬師のレミーア婆さん特製の粉薬だ。二日酔いに効果てきめんだが死ぬほど苦い。

 鼻をつまみながら薬を飲む私を、アンナはじっと見つめてくる。やはり様子がおかしい。


「アンナ?」

「エヴァン様。たしかに夢を見ました。不思議な夢で、はっきりと覚えています」


 記憶に残る不思議な夢。

 そう聞いて、私は反射的にリアから神託を受けた時のことを思い出した。


「夢、か?」

「はい。神官のような服装の人が、ただ話をするだけの夢です。怖い夢とかそういう訳ではありません。でも……」

「でも? どうしたんだ?」


 うつむき加減だったアンナは顔を上げ、私の目を見ていった。


「その人はエヴァン様の名を口にしました。神様が遣わした使徒だと言って。そしてエヴァン様がヴェスパ湖に神殿を建てたとも言っていたんです」

「……ふうん? それが不思議な夢?」

「はい、それで、なんというか、すごく不安になってしまって……」


 まあ確かに見知らぬ男が夢に出てきたら怖いよな。でも所詮は夢だ。神託の探求団の一員として頑張ってくれたアンナだからこそ、の夢ともいえる。


「そうか、最近は神殿建設の資材を調達したり、神託のことで色々手伝ってもらってたからな。領主代行の仕事もあるのに無理させてしまったかもしれない。すまない」

「いえ、そのようなことは……」


 アンナがそこまで言ったとき、寝室のドアがノックされた。

 誰だ? マルスか? マルスだろうな。


「おはようございます、エヴァン様」


 やっぱりマルスだったか。


「どうした? 今日は嫌味を言われるほど寝坊はしてないぞ。二日酔いにはなっているが、いつもと比べればマシ……」

「メルドン司祭様が火急にお目通り願いたいと屋敷にいらしております」


 私の言葉を遮ってマルスがさっさと用件を言う。機嫌でも悪いんだろうか。

 だがメルドン司祭だと? 昨日の夜に父上と一緒に酒場にいたじゃないか。何か大切な物を失くしたとかかな?


「分かった、司祭様を待たせるわけにはいかないな。すぐに着替える」

「お急ぎ下さい」

「……なんだかマルスも元気がなさそうだな。みんな揃って二日酔いというわけでもあるまいし」


 違和感を感じながらも着替えを済ませ、アンナとマルスを伴い応接室に赴く。中に入るとメルドン司祭がバッと立ち上がった。


「司祭様、おはようござ……」

「エヴァン様! 本当に神の使徒様だったんですか!?」


 ろくに挨拶をする間もなく、メルドン司祭が詰め寄ってきた。いや、詰め寄るというよりは何か期待しているような態度だ。キラキラとした眼差しで私を見るのはやめて欲しい。

 いや、そんなことより、今なんと言った? 神の使徒だと?


「司祭、落ち着いて下さい! 一体どうしたんです?」


 なんとかメルドン司祭を落ち着かせてソファに座ってもらった。


「エヴァン様、まずは今朝あった事をお伝えします。私も含めてマリクリア神殿の神職を務める者全員が同じ夢を見ました。内容は、神の使徒エヴァン・マルシェルがヴェスパ湖に神殿を建てた。そして人々の祈りが神殿に集まるとき世界は神の祝福を得る、と」


 私は全身から血の気が引く音を聞いた気がした。

 そして、私の座るソファの後ろに控えていたアンナが「あっ」と声を上げる。


「エヴァン様……、私の見た夢と全く同じです……」

「な……んだと……?」


 おちつけおちつけおちつけ……!

 どういうことだ? なぜマリクリアの聖職者とアンナが同じ夢を見る?

 魔法による精神干渉か? いや、そんな広範囲に魔力を飛ばしていれば私が気付かないはずがない。いくら酔っぱらっていたとしてもだ。


「メルドン司祭! 大事な確認です。同じ夢を見たというのは神殿にいる皆さんだけですね?」

「え、ああ、それがですね」


 メルドン司祭が言いかけた時、応接室のドアが勢いよく開き、一人のメイドが入ってきた。


「エヴァン様!」

「何をしている! 来客中だぞ!」


 客がいるというのにノックも無しにドアを開けるなどあってはならない。今日は一体どうしたのだ。


「そ、それが、町の者たちがエヴァン様にお目通りを願い出ております。それも少なく見ても門の前に百人は集まっており……」

「な、なに!? 何かの抗議か?」


 昨日の夜中に調子に乗って何回も魔法を打ち上げたからな。前の時みたいに文句を言いに来たのか。


「いえ、神に選ばれた英雄にお祝いを述べたいと言っております」


 なんだ? 何が起きている?

 今起きていることに理解が追いつかず、無意識にメルドン司祭の顔を見つめてしまった。

 メルドン司祭はやはり目を輝かせたまま言った。


「同じ夢を見たという者が朝からひっきりなしに神殿を訪れております。しかも私が知る限り信仰に篤い者ばかり。これはもう間違いなく神の御意思かと!」


 私は目の前が暗くなる感覚を覚えながら、それでもなんとか気を奮い立たせようとした。


「マリクリア中に同じ夢、だと?」


 まずい、まずいぞ。もしこのことが中央に伝わったら、間違いなくまずい。


「メ、メルドン司祭。もう少し詳しく夢の内容を教えて下さい。例えば、その夢に現れたものはどんな見た目でしたか? 少女の姿でしたか? 自分は天使だとか名乗りましたか?」


 正直、神託の天使であるリアの話はあまりしたくなかったが、今はとにかく情報を集めなければならない。これがリアの仕組んだことであれば……、どうしようもない。私からリアに接触する術はない。


「少女ですか? いえ、大人の男性の姿でした。別に天使だとも名乗らず、ただ一方的に話をするという感じでしたな」


 リアの仕業ではないのか? ……まさか。

 その時、マルスが話に横入りしてメルドン司祭に質問をした。


「お話に割り込み失礼いたします、メルドン司祭様。その男というのは、詰襟で灰色の祭服を着た、艶のない金髪で眠たそうな顔で、不健康そうな顔色をした痩せた男ではありませんでしたか?」

「ずいぶん具体的ですな。お顔はよく見えませんでしたが、他の特徴はほぼその通りかと思います。え、お知り合い?」

「セルファス!! あの偽神官め!」


 私は思わず拳をテーブルに叩きつける。茶を入れたカップが転がって中身がこぼれた。メルドン司祭が慌てるが構ってはいられない。


「メルドン司祭、そいつは天使でも何でもありません。ヴェスパ湖に居ついている自称神官の怪しい魔法使いです」

「ええ? そうなのですか? ではこれは神託ではなく?」

「どうやったかはわかりませんが、魔法による精神干渉です」


 詳しいことは正直わからないが、ここは断言してしまおう。早急に事態を収拾しなければならない。

 メルドン司祭には一旦お引き取りいただくとして、あとは屋敷の前に集まっている者たちだな。これ以上大きな騒ぎにならないようにしなければ。

 あくまで魔法による干渉だということを説明して、そしてその説明を街中に広めてもらわねばならない。

 なんてことをしてくれたんだ、セルファスめ。神殿の存在を早く宣伝するためにこんなことをしたとしか思えないが、あいつにとっては私や領地の事情など関係ないということか? セルファスを仲間だとは正直思っていなかったが、少なくとも利害は一致していると思っていたのに、油断した……!

 その後、屋敷前の領民たちに『夢は神託ではなく魔法によるもの』だと説明してなんとか解散させた。

 皆、ずいぶんと残念そうにしていたが、今の私に彼らの心情を理解する余裕などない。

 とにかく、早く犯人を捕らえて尋問しなければならない。その一心だった。




 集まった領民たちに説明を始める前に、私は緊急用の伝通鳥を持たせたマルスをヴェスパ湖に向かって派遣しておいた。

 北街道沿いの領兵団の詰所で次々と馬を取り替えながら走れば、相当早い時間でヴェスパ湖に辿り着けるだろう。単独ならなおさらだ。

 案の定、マルスからの伝通鳥がマリクリアの屋敷に届いたのは昼を少し過ぎたころだった。期待していたよりもだいぶ早い。

 さっそく伝通鳥から丸められた書簡を取り出す。急ぎなので暗号文ではなく平文だ。

 無事にセルファスを確保できていればいいんだが、なにせ相手はセルファスだからな。

 不安に駆られながらマルスからの報告を読んだ。


『神殿周辺を捜索するも彼の者は行方不明。これより単独で付近の捜索を行う。夜までに発見できなければマリクリアに戻る。尚、神殿には直径一メトルはあろうかというアルテス神教の巨大な聖印が取り付けられている。材質は不明だが金と思われる』


 逃げられたか……。

 こんな騒ぎを起こした以上、姿を隠すとは思っていたが予想通りだ。

 それに金の聖印だと? いったい何を考えてそんなものを付けたんだ? 全く分からん。

 私は机の引き出しを開けて、以前セルファスが付与を与えた短剣を取り出した。セルファスはこの短剣が大陸のどこにあっても自分には位置がわかると言っていた。ならば私が持ち歩いていれば、いつか姿を現すかもしれない。そう考え、とりあえず短剣を腰のベルトに差しておく。姿を見せた瞬間、必ず拘束してやる。

 そう決意を新たにしていると、マルスの報告の書簡の裏にも何か書き付けられているのが分かった。

 伝通鳥に載せられる紙は大して大きくないので、裏まで使ったのだろう。

 そこにはさらに不穏なことが書かれていた。


『彼の者の小屋を調査するも行方捜索の手がかりは発見できず。小屋の奥の部屋に踏み込んだところ、そこは空の倉庫であり、埃が厚く積もっており長期間使われた形跡無し。痕跡無し。彼の者の実在、疑わしきほどに』


 実在疑わしき。

 あのマルスにそんな一文を書かせるほどに存在の痕跡がない?

 そんな馬鹿な話があるか。

 私はセルファスが小屋の奥からティーセットを持ってくるのを見たぞ。私もレイチェル姉上もその茶を飲んだんだ。あれが埃まみれの空の倉庫から出て来ただと?

 結局あいつは、セルファスは、一体何者だったんだ?


「そもそも、人間だった、のか……?」


 その考えに行き着いたとき、私は背筋が凍りついた。そして無意識のうちに、つい先程ベルトに差したばかりの短剣に手をやっていたのだった。

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