78.荒療治
結局、セルファスの足取りは掴めないまま二日が過ぎた。
もちろん私の前に現れて、この事態の釈明をするようなまともな人格の持ち主ではないので、なにを考えて行動を起こしたのかは全くわからない。
ヴェスパ湖から戻ってきたマルスは痛恨の表情を浮かべていた。
「申し訳ありません。やはり監視なり始末なりしておくべきでした……」
恐ろしいことを言っているが、多分本音なのだろう。しかし、可能かどうかは別問題だ。
「そもそもそんなことを私は許可しなかったし、実際のところセルファスを仕留めることができたと思うか?」
「許可があれば善処はしました」
「無理だということだろう、それは。あれほどの魔法使いが逃げに徹したら、いくらお前でもな」
「エヴァン様ならば捕らえられますか?」
仮定の話をしても仕方がないのだが、この問いは魔法が使えないマルスにとっては重要な質問なのだろう。マルスの目がそう言っている。
「以前であれば、できると答えたと思う。しかし、セルファスがこれほどまでに訳の分からない存在だと知った以上、なんとも言えない。だからセルファスの件でマルスの責任は何もない。私があいつを信用しすぎたことが失敗だった」
マルスはうつむいたままだったが、それ以上はなにも言わなかった。
「それよりも問題は、セルファスがどれくらいの範囲に例の神託をバラまいたかだな。少なくともマリクリア周辺の村には夢を見た者はいるらしい。頼むから狭い範囲であってほしいものだ」
二日前に起きた『神の使徒エヴァン・マルシェル』の騒動のせいで、私はマルスと手分けして方々に説明に回ることになった。商業ギルド、建設ギルド、医薬ギルド、そして各種の組合、町の顔役、噂好きのおばさん、その他諸々。
実際に神託の夢を見たという者は、話した中ではそんなに多くなかったが、内容が内容だけに返答には苦労した。
世界は滅ぶのか?
エヴァン様が救ってくれるのか?
ヴェスパ湖に神殿があるのか?
その神殿に寄付をすればよいのか?
エヴァン様ってそんなに信心深かったんでしたっけ?
若干、失礼な質問もあったがそれはまあいい。とにかく、今回の騒動は一貫して魔法による精神干渉だと説明し、動機は不明だが悪質な嫌がらせということで一応は納得してもらった。
マリクリア大学へ説明に行った時だけは、『うちの探知の魔道具はそんな大規模な魔力は検知しておりません』『やはり何らかの神の意思が……?』みたいなことを言い出しやがったので、すぐに予算増額の話題に切り替えて煙に巻いておいた。やはり研究者には明日の世界より今日の予算だな。あと四六時中延々と魔力を探知するような研究は嫌いだ。
冒険者ギルドのグラントとリッツだけには本当の事を話せる。
二人には今回の騒動について分かっていることは全て伝えた上で、情報の操作を依頼するつもりだった。
「面倒なことを頼んで申し訳ないとは思っているが、この騒動が広範囲に伝わるのはまずいんだ。中央政府と神教団が乗りこんできて、神殿はともかく魔石のことが露見すればただでは済まない」
そこまで言ったとき、グラントとリッツが黙り込んで私をじっと見つめていることに気付いた。
「どうした、親父さん、リッツ。確かに流れはよくないが、まだ最悪の事態までは……」
「坊主、無駄だ」
グラントにいつもの楽天的な雰囲気は無く、私の言葉を斬り捨てるように遮った。
「無駄、だって?」
「坊ちゃん、この騒動が広がることが最悪の事態、っすよね?」
「……そうだ」
まさか、嘘だろ、やめてくれ。
「この神託の夢は帝国全土で同時に確認されているっす。ついさっき帝都の冒険者ギルド本部から知らせが届いたっす。もう情報操作でどうこうできる段階じゃ……」
帝国全土。
「ここまでか、ここまでやるか、ここまでやるのかセルファス……!」
私はソファから立ち上がり、覚束ない足取りで窓辺に立った。
「なんだ、何が目的だ。私はちゃんと言うことを聞いただろ。魔石を集めて、神殿を建てて、これから皆に神殿の存在を知らせて、何も問題なかっただろ……」
「坊主……」
グラントの声もよく聞こえてこない。
感情の昂りを感じるが、同時に落ちていく感覚もある。
右の拳で窓枠を殴りつける。
ドガッという低く響く音。
「お前が世界が滅ぶと言ったから、危ない橋だと分かっていてもやったんだろうが。それとも世界が助かればこんな小さな領地一つどうなってもいいってのか? 最初からそのつもりだったのか?」
何度も拳を打ちつける。その度に鈍い音が響く。
拳が痛むような気がするが、いまはどうでもいい。
このままでは、このままでは……。
「坊主やめろ!」
「坊ちゃん、手が! とにかく落ち着いて……」
打ちつける右手をグラントが掴む。
落ち着く? 落ち着いてどうなる?
空いている左手で、グラントの肩を掴んで詰め寄る。
「親父さん、教えてくれ。私はどうしたらいい? どうすれば町を、みんなを守れる?」
よほど酷い表情をしていたのか、グラントは眉間にしわを寄せる。
そして、
「いいから一旦、黙れ!」
いきなり私に頭突きをした。
私より頭一つ身長が高く、体重は二倍くらいありそうなグラントの一撃は重く、痛い。私は悶絶して意識が飛びかけた。
「な、なにを!?」
「起きちまったことに狼狽えてんじゃねぇ! いつもの冷静さとふてぶてしさはどこに行きやがった! 中央だの神教団だのにビビってんじゃねぇぞ! こういう時こそ考えを巡らせて悪知恵でも、無茶でも無謀でも、次の一手を考えるのがエヴァン・マルシェルだろうが!」
久々に聞いた親父さんの怒鳴り声。そして、とても貴族に対するものとは思えない説教に、私は目が覚めた気がした。
「リッツ! さっさと手当てだ!」
「はいっす!」
どこからともなく薬袋を取り出したリッツが、消毒の火酒を私の擦り剥けた拳に振りかけ、手際よく包帯を巻いていく。
「すまない、手間をかける」
「擦り傷の手当てくらいお安い御用っすよ。骨は大丈夫そうっすね」
「ああ、正直、頭の方が痛い」
「良い薬だったろ?」
グラントがにやりと笑って自分の額を得意げに指差す。
「そうだな、よく効いた。頭を真っ白にしてもらったおかげでな」
まだ少しクラクラとするが、考える力は戻ってきたような気がする。
しかし、その薬はあまり使わないほうがいいと思うぞ。手加減無しだからな。
私はソファに座り直して、今後のことを考える。セルファスがどうやって帝国全土に神託を飛ばしたか、そのことは今は考えない。多分考えても答えが出ない。
「状況はとにかく最悪だ。詰んでると言ってもいい。だが方向は読める。問題は必ず帝都からやってくる」
マルシェル子爵領内は問題ない。私が説明に回れば済むからな。
近隣の他領もまあ大丈夫だ。金も権威も影響力も無い領地にさして興味も持っていないだろう。この騒ぎについてもとりあえず様子見というところか。いっそ無視してくれれば最高なんだがな。
「まず動くのは間違いなく神教団本部。セルファスの神託の内容そのものを疑う、というか、彼らは立場上、神託の内容を否定するしかない」
「おう、坊主の調子が戻ったな」
「坊ちゃんはやっぱりこうでないと、っすね」
誰に聞かせるでもない独り言を呟く私を、グラントとリッツが楽しそうに評する。
「しかし神教団には武力が足りない。子飼いの神聖騎士団は儀礼重視で辺境まで派遣してどうこうするものじゃない。あり得ないが、私が神託を肯定した場合に神教団だけではマルシェル家を潰せない。武力的にも、政治的にも」
もっと考えろ。次に何が起きるか予測するんだ。そのために必要な手掛かりを私は持っているはずだ。いま、この国で起こっていることを一番正確に把握しているのは、セルファス以外では私のはずだ。
「神教団の頼る先は、やはり皇族か。神に選ばれた皇帝、という建前を守るためにマルシェル家を取りつぶしにかかる? いや、それは私が神託の内容に心当たりがないとしらを切ればとりあえず回避できる。となれば神教団は帝国にバラまかれたセルファスの神託を否定しつつもそれ以上の追及ができなくなる。それは絶対に避けたいはずだ。それなら神教団が打つ手は一つ、調査というか査察しかない。査察の結果で今後の動向を決めることになる。神教団は上層部の合議で動く組織だったはずだ。査察の結果を完璧に無視できる組織じゃない。そこに賭ける、か」
「おいおい、坊主の調子がおかしいぞ。考えが全部口に出てやがる」
「ギルド長の頭突きでおかしなことになったんじゃないっすか?」
さっきと言ってることが違っているグラントとリッツだが、私の考えを否定するわけでもない。
「事の発端はあくまでセルファスの神託だ。おそらくだが中央政府は、神教団が出す査察の結果次第で動きを決めると思う」
つまり、エヴァン・マルシェルひいてはマルシェル子爵家が白か黒か、ということだな。
事実として白でもあり黒でもあるというのが難しいところだ。神殿はもう建ててしまってるしな。
「坊ちゃん、心配なところがあるっす」
「ああ、何か気付いたなら教えてくれ」
リッツが小さく挙手をした。考えに穴があってはまずいので意見はどんどん言ってもらおう。
「帝国全土に神託が広がったことについてはどう言い訳をするっすか? 難しいことはあまりよく分からないっすけど、こういうすごい魔法って上等な魔石を使ったり、大人数で儀式魔法やるもんじゃないんすか?」
なるほど、神託を行った方法について、だな。それについては簡単だ。
「言い訳などしない」
「え、そうなんすか?」
リッツが拍子抜けしたように驚く。だが、そう難しい話ではない。
「私の立場としては、セルファスの神託など青天の霹靂。どうやって帝国中に広めたのかなど知らん。というか実際に分からないんだ。悪意ある何者かの仕業ということにするしかないな」
「それはそうかも知れないっすけど、魔石を持ってるかも知れないって疑われないっすか?」
「そこはどうだろうな。だが魔石が無くとも広範囲に影響を与える魔法は展開できる。術式をあらかじめ組み立てておけば、あとは通常入手可能な魔石、そして大学と高等学校から魔法適性のある者を集めて魔力を供給すれば、おそらく再現可能だ。もっとも、その術式を組み立てるというのが難関だがな」
法に触れるような強力な魔石などマルシェル家『には』ない。
仮に私たちが今回の神託騒動を起こそうと考えても、一等級魔石など必要ないし、そんなものを買う金も無い、本当に。
この辺りの魔法技術の話は中央でもされるだろうし、大きな問題にはならないだろう。なにせ中央にはこの国の魔道の最高峰たる宮廷魔術師団がいる。おそらく私の考えた言い訳と同じような結論に辿り着く。
「とにかくよぉ、中央の神教団から誰かが派遣されてくるってわけだな?」
「私の読み通りなら、だがな」
とはいえ、おそらくこの初手の動きは間違いないと思うが。
「だったらその司祭さんに上手く説明しないといけないっすね。でも堅物が多いから不安っすね」
リッツの言う通り、査察官としてどういう人物が派遣されてくるかが問題だ。あまりにも堅物で真面目一徹というような人物はやりにくい。
「期待はできないが、マルシェル家に悪感情を持っていない人物なら最良。そうでなくとも、ある程度私欲があるくらいの人物ならなんとかできる目はある」
「え、欲のある司祭さんっすか? 面倒だと思うんすけど、一体どうするつもりなんすか?」
「ん? そんなもの決まってるだろ」
今一つ腑に落ちてない表情のリッツに対し、私は毅然とした迷いのない態度で言い切る。
「全力で買収する!」




