75.夜空に咲く花
魔石を神殿に安置してから数日後、マルシェル家の屋敷ではちょっとした出来事があった。
帝都から連れ帰ったクラムとイリスの働き口が決まり、屋敷を出て行くことになったのだ。
ほぼひと月の間、二人は屋敷で過ごしたことになるが、その間クラムは庭仕事や洗濯の手伝い、イリスは主にメイドたちの仕事を手伝っていた。
「一応、お前たち二人は客分として迎えたつもりだったんだがな」
結局、ずっと何かの仕事をしていたクラムとイリスに申し訳ないという気持ちで言ったりもしたのだが、返ってきた言葉は、
「何もせずに飯食って、寝るだけなんて、そっちの方が落ち着かねぇ……、落ち着かないですよ。それに働くことが嫌いなわけでもないんで」
「あたしも、メイドのお姉さんたちに色々教えてもらえてとても楽しいです! それにこんなお屋敷で寝起きできるだけでも夢のようですし、ありがたいと思っています!」
こんな健気な事を言うものだから、思わず目頭が熱くなった。
それはカーテンや柱の裏に隠れているつもりの執事やメイドたちも同じ気持ちだったらしい。感動の涙を流す者までいるな。もはや隠れる意味もないと思うが。
「お前たちを受け入れてくれるところも無事に決まった。クラムは大通りのタイデル商会、イリスは冒険者ギルドのすぐそばの宿屋だ。商会の長のタイデルも、宿屋のジャミンも、私がよく知っている人物だ。いい人たちだから安心しろ」
身寄りのない子供を働かせながら初等学校にも通わせてくれるところはそう多くはなかったが、二人とも受け入れてくれる先が見つかって良かった。受け入れ先がどうしても見つからなければ、この屋敷で住み込みで働いてもらうことも考えたが、なんというかこの屋敷は子供の教育に適さない面も多いからな。働かない当主、やりたい放題の令嬢、そして癖のある使用人たち。ティオが至極まともに育っているのは奇跡に近いな。
二人は少ない荷物を布袋に詰め、屋敷の玄関で皆に挨拶をした。
「ありがとう、ございました。本当に世話に、お世話になりました」
まだ慣れない敬語で挨拶をするクラム。言い方はやや愛想が無いように聞こえるが、これがクラムの精一杯なんだろうと思う。
「帝都でエヴァン様に助けられた恩と頂いた優しさ、一生忘れません。いつかきっと、必ずお返しします!」
イリスは丁寧に挨拶をし、そして深くゆっくりとお辞儀をする。ああ、あの所作もうちの使用人から教わったのかな。イリスは頭が良いからな。きっと学校でもたくさん学んでくれるだろう。
「ナギもそうだが、二人の行くところもこの屋敷からそう遠くない。またすぐに屋敷を抜け出して様子を見に行く」
使用人たちを前にして堂々と脱走宣言をする私だが、こうでも言わないと使用人たちが勝手に様子を見に行きそうだからな。おい、マルス、何を嬉しそうにメモを取っているんだ?
「いや、エヴァン様は屋敷でアンナさんを手伝ってやってください。前はエヴァン様がやってた仕事なんだろ?」
「あ、いや、うん、クラムの言う通りだ、な」
クラムまで私がアンナに仕事を丸投げしていると思っていたのか……! 私も神託の方で頑張っているのに!
「じゃあ、俺たち、行きます」
「エヴァン様、皆さん、本当にありがとうございました」
クラムとイリスが並んで玄関から出て行った。私とマルスも外に出て、門に向かう二人を見送った。
そして、二人が三十歩程離れた門まで歩いた時、クラムがこちらを振り向いて叫んだ。
「エヴァン様ぁー! 俺たちの命を拾ってくれてありがとう! いっぱい稼いで! 兄弟たちもここに呼んで! いつかエヴァン様にもなにかうまいもの奢ってやるから! 待っててくれよ!」
そこら一帯に響くような大声でそんなことを叫んだ。
クラムの大声に驚いた私は、上手く返事が出来ず、ただ手を振って応えるだけだった。クラムはあまり多くを話さなかったが、やはり色々と思うところはあったんだな。
イリスに何か小言を言われながら、二人は門を出てマリクリアの街に消えていった。
確かにこの屋敷から彼らの新しい家までの距離は大したことはない。
しかし、クラムとイリスにとって今日は間違いなく大きな旅立ちの日だった。
……。
「……何だか、よく知っている声がするな、マルス」
「そうですね、だんだん近づいてきますね」
マルスと話しているうちに、声の主が門から入ってきた。
「エヴァン! マルスー! おやつ食べに来たよ!」
焦り顔のクラムと苦笑いしているイリスの服を引っ張りながら、満面の笑みでナギが現れた。
ついさっきあんな台詞で別れたばかりのクラムはものすごく恥ずかしそうだ。
あきらめろ、クラム。ナギのおやつの時間に旅立ったお前が悪い。
さらに数日後の昼下がり、神殿の建設を頼んでいた大工の親方たちがマリクリアに帰ってきたので、屋敷の執務室で報告を受ける。
普通であれば、親方だけに来てもらうのだが、今回は五人の若い衆にも来てもらった。こういう場所は慣れていないのだろう、若い衆は周りをキョロキョロと見回して落ち着かなさそうだ。
「それじゃ特に問題はないということだな?」
「おお、神殿としてはどうかわからんが、休憩所としてはちゃんと仕上げてきたぜ」
というからには、注文通りの休憩所ができたようだ。
「ありがとう、親方。作っている途中でセルファスに何か言われなかったか?」
「あの眠そうな顔の兄ちゃんか。別に大したことは言わなかったけどな。ああ、一つだけ要望があったな」
セルファスが何か要求したのか? あいつ、別になんのこだわりも無さそうにしていたのに。こちらの目論見に反するような余計な事をしてなければいいんだが。
「それはどういう要望だったんだ?」
「休憩所の屋根にアルテス神の聖印を付けられないかってよ」
見事に余計な事だった。あえて休憩所にしか見えないように建てているものに、わざわざアルテス神教団を刺激するようなものを付けてどうする気だ。
「いや、ちゃんと断っといたぜ。時間もねぇし、そもそも材木から聖印を削り出すってのは俺たちの仕事じゃねぇ。職人違いだって言ってよ」
「どういう意図だったんだろうな。なにか聖印を着けたい理由は言っていたか?」
「飾りが無いと寂しいってよ。こちとら百も承知で地味なもの建ててるからよ、その意見自体には賛成だけどな」
見栄えのために聖印を付けようって発想自体が敬虔な聖職者のものではないな。しかも聖印を飾りと言いやがったか。さすが偽神官。
「また近い内にヴェスパ湖に行くから、セルファスにはよく言っておかないとな。まあ何にしても親方、無茶な注文を聞いてくれて感謝している。追加の料金がないなら今支払いをしたいのだが?」
「出張で突貫の仕事だからな。もともと割高だがちゃんと予算内に納めたぜ。つまらねえ理由で足が出ちまうと、あのメイドの嬢ちゃんが怖ぇからな」
知らない間に親方にまで恐れられる存在になってるのか、アンナ。
その時、コンコンとドアがノックされた。
「失礼いたします、エヴァン様。お支払い代金をお持ちしました」
「ああ、入ってくれ」
革袋を盆にのせて執務室に入ってきたのはアンナだ。こちらから声をかける前に入ってくるとは珍しい。いつもより硬い笑顔が顔に貼り付いているところを見ると、絶対にさっきの話を聞いていたな。親方が気まずそうにしてる。
「まずは親方、神殿建築の代金だ。確かめてくれ」
革袋を手渡すと、親方はすぐに中を確認する。
「おう、金貨七枚、確かにもらったぜ。じゃあ、俺たちはこの辺で……」
「あ、ちょっと待ってくれ。まだあるんだ」
アンナの笑顔から逃げるかのように親方が席を立とうとするが、引き留めた。
そして今度はマルスが懐から袋を出し、中身をテーブルに並べていく。
それは二十枚ほどの小金貨だった。
「坊ちゃん、これはなんでえ?」
「私からの感謝の気持ち、と、あとは前にも言った神殿を建てたことを他言しないようにというお願いの分だ」
親方はテーブルの上の小金貨をじっと睨み、それから私の方を見た。
「要するに口止め料ってか?」
「そう取ってもらっても構わない。なにせあれは誰が建てたか、いつからあるのか分からない建物ということにしておかないと都合が悪くてな」
「理由は言えないんだったよな?」
「ああ、今は言えない」
親方はしばらく私の目をじっと見たままだったが、「ふん」と息を吐き、ソファにもたれこんだ。
「お気遣いはありがたいがよ、見くびってもらっちゃあ困る。前に誰にも言わねぇって約束したんだから、俺は誰にも言わねぇ。もちろんこいつらもな。そうだな、おめぇら?」
「「うぃーっす!」」
威勢良く返事をする若い衆たち。
「しかし、せっかく用意した特別手当だからな。受け取ってもらえないか?」
「もらうにしても大金すぎらぁ。ああ、どうせならよ、その金で酒を奢ってくれよ。そっちの方が遠慮なく頂けるってもんだ。おめぇらも文句ねぇな?」
「「うぃーーっす!! ゴチになりやす!」」
なんだかよく分からないうちに酒を奢ることになってしまった。親方らしいと言えば親方らしいが。
「分かった、じゃあまた今度に」
「何言ってんだ、今からだよ。今すぐだ」
「えっ? いや、それはさすがに急すぎる……」
「なんでぇ、なにか予定でもあんのか?」
気が付けば、私の両手は若い衆にがっちりと押さえられてしまっていた。なんだこの連携は。これも職人の技か。
「アンナの嬢ちゃんよ。坊ちゃんは今日は忙しいのか?」
あ、親方、アンナに確認するのはずるいぞ。
「いいえ、エヴァン様は大きなお仕事が一つ片付いたところですから、連れ出していただいても構いませんよ」
アンナがいつもの笑顔でそう答えた。
大きな仕事、とは神殿の事だろうな。
「だったら問題ねえな。よし、さっそく行くぞ」
「待て親方。だったらアンナ、一緒に行こう」
「え、私ですか? お邪魔になりませんか?」
「邪魔なものか。アンナが邪魔になるようなことなどないぞ」
「エヴァン様!」
あ、しまった。またアンナが高揚するようなことを言ってしまったかもしれない。
「分かりました! ご一緒いたします! これはもう逢引といっても過言ではありませんね!?」
「んん? いや、この大人数だから、どうなんだろうな?」
こうしてなし崩し的にアンナまで巻き込み、屋敷からほど近い酒場に大人数で押しかけることになった。
そして、まだ明るいうちから酒盛りを始める我々の話が伝わったのか、知らないうちに酒場の客がどんどん増えていった。まあ半分以上はしている顔だが。
「よお坊主、宴会やってるって聞いたから来てやったぞ」
「今日は珍しく暇だったんっすよ」
グラントとリッツが参加するころには酒場の席は半分くらい埋まっていた。
そしてもう少しで満席になるという頃に、
「エヴァアアン! ここにいるわね!」
「御用ニャ。神妙にするニャ」
「え、姉上! それにミャルまで。なんでこんなところに!?」
猫耳カチューシャをつけたレイチェル姉上と元から猫耳のミャルが酒場に現れた。
なぜここが分かったんだろうか。
「面白そうだからここに来る前に術砲撃って知らせておいた」
「親父さん! なんて余計な事を!」
グラントの仕業だった。術砲だってそれなりに費用がかかるのに何考えてんだこの人。
「さあ、珍しくアンナもいるということは探求団が勢揃いしたわね! あ、ミャルももう仲間だからね」
「ニャ、よく分からないけど仲間ニャ!」
「エヴァン! 乾杯の挨拶をしなさい! マルス、私にもお酒持ってきて!」
「かしこまりました。果実酒でよろしいですね?」
マルスが厨房から小ぶりなジョッキを持ってきてレイチェル姉上に渡す。同時にマルスが私に目線を送ってきた。
よし、姉上のジョッキに入っているのは酒ではなく果物のジュースだな。同じものをアンナが受け取っているから間違いない。
「まあ、いい機会か。それじゃあ少しだけ聞いてくれ、みんな」
神託の探求団全員がジョッキを持ったところで、私は話し始めた。混雑している店内だが、今は誰も我々に話しかけてこない。
酔っ払いなりにこの場の空気を読んでくれているのだろう。だが、神託の探求団のことは他人に聞かれて良い内容ではない。
言葉を選ばなければ。
その上で、仲間に感謝を伝えなければ。
「すでに知ってる通り私たちの目標はほぼ達成した。残っているのは時間をかけて解決する問題だけだ。これがいつ完了するかは私にも分からないが、まずは大きな難関を越えることができたことを素直に喜びたいと思う。諸君らの献身的な働きに感謝する」
ここまで言って私は仲間たちの顔を見た。そして各々が思っていることを言っていく。
「伝説の冒険者になるためだもん。これくらいはどうということはないわ!」
「自分はできることをしたまでっす。心臓に悪いことばかりだったっすけどね」
「なんかあったらまた助けてやるよ、坊主。次は暴れられるといいがな」
「ミャルは別に何もしてないニャ。でも殴って済むならいつでも助けてやるニャ」
「他ならぬエヴァン様のためでしたらいくらでも頑張れます、全力で!」
「専属執事ですので、いつでも御用命ください。お手当てはいただきますが」
仲間たちの温かく、少しひっかかる言葉に胸を打たれつつ、私は言葉を続ける。
「普段は信心など大して持ち合わせない私だが、今日の乾杯だけはこの言葉を言わせてもらう。皆にアルテス神の慈愛と加護のあらんことを!」
「「慈愛と加護のあらんことを!」」
私に合わせてミャル以外の五人が復唱し、ジョッキを掲げる。ミャルは慌てて「あらんことをニャ!」と言って同じくジョッキを掲げた。
微妙に締まらない乾杯だが、私たちにはこれくらいでちょうどいい。たまたま目が合ったアンナと微笑み合い、私はジョッキの酒を飲みほした。
だいぶ時間が経ち、大工の親方たちに酒を奢るだけだったはずの宴会は、いつの間にか店の外で立ち飲みしてる連中の分まで全部私の奢りということになっていた。
こんなことをしているから私の小遣いはすぐに無くなってしまうのだが、今日は心強いことにアンナが一緒に宴会に参加している。彼女の機嫌が良い間は支払いの心配はない。よし、皆もっと飲め。
「エヴァンの坊ちゃん、いつものあれ、やってくれよ」
いつの間にか参加していた冒険者ギルドのグレッグが絡んできた。
「あれかぁ。あれは前にロベルトに怒られたからなぁ」
渋っていると、すぐ後ろのテーブルから声を掛けられた。
「構わないよ、エヴァン。まだそこまで遅い時間じゃないから許可するよ」
「ち、父上!? なんでここにいるんです!?」
「エヴァン様、良い事があったのなら素直に祝う事もまた神の思し召し」
「メルドン司祭まで!? しかも酔っぱらってませんか!?」
なんで領主と神教団の司祭が一緒に宴会に参加しているんだ? ああ、いや考えても仕方ないな。実際問題、ここにいるんだからしょうがない。
「分かった、歩ける奴は外に出ろ。特大のを見せてやる。アンナ、行くぞ」
「え? あ、エヴァン様、手を……」
私は持っていたジョッキを飲み干し、アンナの手を取って一緒に酒場の外に出た。そして大通りの真ん中に立つと魔力を練り詠唱を始める。
「世界に満ちたるマナよ、我が魂の声に……ええい、めんどくさい、打ち上げるぞ!」
酒が回った呂律で詠唱なんかやってられるか。大して難しい魔法じゃないし、どうせ誰も気にしない。酔っぱらいだらけだからな。
「ひとつ、ふたつ、おまけにみっつ! アンナ、しっかり見てろよ!」
「はい! エヴァン様!」
夜空を指した右の人差し指から、光弾を真っ直ぐに打ち上げた。アンナが私のそばまで来て目を輝かせて夜空を見ている。
高度は、これくらいか。行くぞ。
「拡散!」
掛け声など必要ないが思わず叫んでしまう。
そして同時に打ち上げた光弾が破裂して数百の輝く星となって空に咲いた。
赤、青、黄色の三色の光の花だ。
「エヴァン様、とっても綺麗です!」
「そうだろうアンナ。もっと見たいか?」
「はい、お願いします!」
「よしよし、任せておけ! もっと打ち上げてやる!」
私が新しい光弾を打ち上げるたびに周囲から大きな歓声が上がる。
こんなことで喜んでもらえるならお安い御用だ。
これが平和。これがマリクリアの日常。
そして、
「これが私が守るべきものだ!」
光弾を打ち上げながら大声で叫んだあたりで私の記憶は途絶えた。




