73.世界の命運を握る石
必要な術式を付与するとあっさりとセルファスは言ったが、そんなに簡単なものなのだろうか。
セルファスが異常なほど高い付与魔術の力を持っていることは分かっているが、しかしそれでも世界に影響を及ぼそうかという神託の話だ。
「いや、ちょっと待てセルファス。何も持っていないようだが、さすがに術符とか使わなくていいのか?」
術符とは、魔法を発動させる際に魔力を組み立てるための術式をあらかじめ紙や布に書いておいたものだ。
普通、魔法を使う場合は呪文を詠唱するため術符などは使わない。それは詠唱の中に術式を組み込んでいるからだ。
詠唱する呪文の文言に律動、抑揚を加えて、それに合わせ決まった量と密度の魔力を乗せる。この決まった型を覚えることが初級魔法使いへの第一歩となる。
多くの種類の魔法が使えるという事は、つまりこの型をより多く身に付けたということだと言える。
「大丈夫ですよぉ、私はこの日のために厳しい修行をしてきたんですからぁ」
嘘くさい、と思いつつマルスに視線を送り、言葉の真偽を確かめる。
「明確に嘘とは申せませんが、誇張はしていると思います」
「だそうだが、セルファス?」
「いやいや、嘘じゃないですよぉ。修行したのは本当ですからぁ」
いつになく必死に主張するセルファス。地下室は狭いので大仰な身振り手振りは控えてもらえるかな。
まあセルファスの抗議はどうでもいい。せいぜい修行の成果とやらを見せてもらうとするか。
悔しいが付与魔術という分野において、セルファスは私より高い技術を持っているからな。魔石への付与でその高等技術の片鱗でも見えるだろうか。
「とりあえず魔石だな。マルス、出してくれ」
「はい、少々お待ちを」
マルスがいつも持っている手提げの革鞄から、さらに三つの小さな袋を取り出す。
そして丁寧な手つきで袋から大きな魔石を出して台座の上に並べていく。
一つ目はセルファスが最初から持っていた出処がはっきりしない少し角ばった魔石。
二つ目はドラゴンのタマが長老とやらのところから盗んできたという丸っこい魔石。
三つめは帝都の裏オークションを吹き飛ばしたどさくさに持ちだした細長い魔石。
改めて考えると、どれもこれもまともな入手経路ではないな。
目的のために手段を選ばないというのはこういうことを言うんだろうか?
「こうして並べてみると壮観ですねぇ。ではさっそく付与を……」
「待て、セルファス」
さっそく付与を始めようとするセルファスを制止する。
「え、どうしたんですかぁ?」
「これは仮にも神に祈りを届けるためのもの、つまり祭具のようなものだろう? 何の飾りもない台座にただ転がしておくというのも気が引ける」
そう言ってマルスに目くばせをする。するとマルスは鞄の中からろうそくの燭台のようなものを取り出した。魔法の光に照らされて黄金に輝いている。
「おやぁ、これは燭台のようですが?」
「お察しの通り、うちの屋敷の倉庫で眠っていた燭台だ。少し加工してろうそくを立てるところに魔石を置けるようにしたものだ。残念ながら金箔を貼り付けただけで、中身は銀製だがな」
マルスが台座の上に三つ又の燭台を置き、私が魔石を燭台に乗せていく。
うん、少しは神々しくなったかな。
やたら硬い壁に囲まれた地下室に置かれ、誰の目に触れるわけではないが、神に対する畏敬の念というものは無視しがたいものだ。
「意外ですねぇ、エヴァン様は神に対する畏れなどは持ち合わせていないと思ってましたよぉ」
「偽神官に言われたくはないな! お前の正直さは美徳じゃないからな!」
こんな活力と明朗さをどこかに置き忘れてきたような奴に言われるとさすがの私も腹が立つ。
いやいや、落ち着け私。
この狭い地下室は今、世界の命運を握っている、はずだ。
祈りの力を神に届ける三つの魔石。
いまだにどこか絵空事のように感じてしまう気持ちもあるが、ある意味では神話的な出来事に参加しているともいえる。こんな場面に立ち会うことはもう二度とないだろうな。
「さあ、セルファス。後は任せていいんだな?」
「ええ、もちろんです。エヴァン様たちの苦労を無駄にしないように頑張りますよぉ」
いつもの通り気の抜けた口調で返事すると、セルファスは魔力を集中させ始める。
「おい、その言い方だと失敗する可能性があるように思えるんだが……」
私の文句に返事をせずセルファスは魔石に右手をかざして魔力を練っている。
そして、その右手の前に術式を表した紋様が現れ……なんだ、あの紋様は?
普通は幾何学的な図形や呪法文字やらが浮かび上がるものだが、セルファスのそれは紋様というよりは乱雑な文字の羅列に見えた。文字自体は普通の呪法文字に見えたが、あんな規則性の無い並びでは、何の効果もないはずだ。
しかし、その意味の分からない紋様はすぐに消えた。
「はい、終わりましたよぉ」
そしてセルファスがあっさりと言った。
「なんだと、もう終わったのか? これは世界に影響をもたらすものなのだろう?」
「確かにその通りですが、付与自体はこんなものですよぉ。私はこのためにずっと準備してきたわけですし、ほら、やってみたら意外と簡単だったとかよくある事じゃないですかぁ」
「言っていることはもっともらしいが、お前がもっともらしいことを言うこと自体が怪しい」
「あはは、そこまでいくと理不尽ですねぇ」
理不尽と言いつつヘラヘラとしているセルファス。私を苛つかせる天才か、こいつは。
だがたった今、この男が展開した付与魔術の術式は私の知っているどんな型とも違っていた。
複雑だが規則性の見えない文字の羅列。それに速すぎる付与の完了。
一体何が起こったのか。
「セルファス、さっきの付与の術式は何だ? あんなもの見たことがない」
面倒なので本人に直接聞くことにした。
「ああ、あれはですねぇ、神託の秘術と申しますか、つまり、内緒です」
内緒です、と言ったところで私に向かって片目をつむった。
「よし、マルス、こいつの口を割れ。神託の秘奥義とやらを吐かせろ。心配するな、この地下室は多少の物音は絶対に漏れない」
「エヴァン様がそれでよろしければ異存はありませんが、私欲と私怨が透けておりますよ」
セルファスの仕草のあまりの腹立たしさに、思わずマルスに尋問の命令をしてしまったが、さすがに窘められてしまった。
「いやぁ、いくらエヴァン様でもこの付与のことはお話できないですねぇ。きっと罰が下ってしまいます」
あくまで話せないというセルファス。一応は申し訳なさそうにしているが、また見過ごせないことを言ったな。
「誰が罰を下すと?」
「そりゃあまあ、神様、でしょうねぇ、多分」
「神……。アルテス神か? 神の怒りを買うと?」
「さあどうでしょうか。会ったことありませんしねぇ」
神に会ったことがある人間がいてたまるか。……いないよな? どうなんだろうか。セルファスの言う事は反射的に否定する癖がついている気がする。
「まあ、実のところこの付与魔法をお教えしてもエヴァン様には使えないといいますか……」
「私に使えないだと?」
思わずマルスの方を見てしまうが、マルスは小さく首を振った。
「残念ながら嘘をついている様子はありません」
「そうなのか。それは残念だが、私に使えないとなると……」
魔力量や制御力の問題ではないということか。
「使うには特殊な条件が必要ということか?」
「あー、もうそれでいいですよぉ」
「教える気はないみたいだな」
悔しいが仕方がない。本当に拷……いや尋問するわけにもいかないし、またの機会にするか。マリクリアの大学で付与魔法の文献でも調べてみよう。いや、もしかしたら神聖魔法の系統か? こいつも元神官見習いだしな。
「申し訳ないですねぇ。ともかくこれで神託の神殿の肝要なところは出来上がったことになります。あとは……」
「この神殿が国中に広く知られるようになればいいんだな」
「はい、その通りです」
神託の成就までの一番難しい所を乗り越えたからか、セルファスは機嫌が良さそうだ。こっちはこれから何年もかけて神殿を有名にしつつ、アルテス神教団の目も上手くごまかさなければならない。気が重いことだ。
とはいえ、私にとっても今日の魔石の付与と安置が終われば大きな区切りになる。
アンナに任せきりだった領主代行の仕事にも近い内に戻れるだろうか。私の事務能力が必要かどうかは疑わしいが。
「とりあえず、地上に戻るか。この穴を隠しておかないとな」
「あ、やっぱり埋めちゃうんですねぇ。この三つの魔石が次に人目に触れるのはいつなんでしょうねぇ」
「可能なら二度と地上に出てほしくないな。その時はきっと領地によくない事が起きる気がする」
しゃべりながらセルファスとマルスに浮遊の魔法をかける。ふわりと身体が軽くなったと思ったらすぐに足から地面の感覚がなくなる。そしてほんの二呼吸ほどの間に地上まで戻ってきた。
「さて、すべて埋めるまではしなくとも、蓋はしておかないとな」
神殿の扉を開け、土魔法と操作系魔法を複合して使って、外の土を屋内に運ぶ。また外の地形が変わってしまうが仕方がない。
そして新しい土を強力に圧縮して縦穴に蓋をして、さらに床全体の表面を分解して再度圧縮しなおして一体化させる。これで蓋の痕跡すらなくなり、ただの硬い砂岩の床になった。
「これで親方たちが見ても地下室があるとは思わないだろう。魔石がこの下にあることを知るのは私たち三人だけということだ」
私はセルファスとマルスの表情を順番に窺いながら言った。
それに対して、セルファスはもとよりマルスまで表情に疑問符が浮かんだ。
「なんだその表情は。しかもマルスまで」
「いえ、エヴァン様とセルファス様は当事者ですから分かりますが、私がこの秘密を共有する理由を教えていただけますか?」
意外だな、マルスが私の意図に気が付かないとは。
「やれやれ、説明が要るか。マルス、お前の役目は万が一の時にこの魔石を守ることだ」
「それは何となく察しますが、どうすればよろしいのでしょうか?」
いつもは頼んでもないのに考えを先回りするマルスが、ずいぶんと歯切れが悪いな。これはどうしたことか。
「だから、魔石の存在が露見した時に一時的に別の場所に隠したりとか、そういうのがあるだろ」
「ですから、どうやって?」
「どうやってって……」
神殿の中に沈黙と静寂の時間が流れる。
正確に言うと、神殿の外からタマの甲高い鳴き声がわずかに聞こえる。あれは多分悲鳴だな。いったいどんな目に遭っているんだろうか。
「盗賊やら敵が魔石を手に入れる前に掘り出してだな……」
「この鉄のように固められた地面を私が掘るのですか? 私は魔法が使えませんが、手作業で?」
「……。ガドム老師あたりに頼めば土魔法で何とかしてくれるかも……」
「誰に助けを求めようが、その時点でこの三人の秘密ではなくなりますが、構いませんか?」
「……」
「実際問題、エヴァン様以外で魔石を取り出すことは可能なんでしょうか?」
「オリハルコンのノミとかミスリルのハンマーがあれば、頑張ればできると思う……」
「そんなものが必要な時点で私にできることは無いと思うのですが?」
「……」
こうして、魔石の在り処については、『可能な限り』この三人だけの秘密ということになった。




