71.唸れ鉄拳
ナギが午前のおやつを屋敷に食べにやってくるのと入れ替わるようにして、私は軍馬に騎乗してマリクリアを出発し、街道を北東に進んだ。目的地はグレン村、そしてその先にあるヴェスパ湖だ。
神殿、じゃない休憩所の外装が出来上がる予定日を見計らって、現場を見に行こうというわけだ。大雨が降ったとか何か不測の事態が起きたとか、そういう場合は預けてある伝通鳥を飛ばして知らせてくれることになっているが、今日まで何も連絡が無かったところをみると工事は順調なのだろう。
親方たちは急いで工事を進めてくれているわけだが、ほぼ野宿で作業をさせておいてずっと休みなしというわけにはいかない。『そんな心配されるほどやわじゃねぇよ』と親方には言われたものだが、半ば無理矢理に五日間の休暇に入ってもらうことになった。
「工事の進捗を確認するだけですから、別に姉上まで来なくても大丈夫だったんですが」
「面白そうだもん、もちろん私も行くわよ」
「ミャルもいくニャ。街もいいけど、やっぱり山とか森とかが落ち着くニャ」
別に声をかけたわけでもないのだが、いつのまにかレイチェル姉上とミャルが同行することになった。ミャルは馬に乗れないのでレイチェル姉上に同乗している。今日はフードをかぶる必要もないので、白い猫の耳が露わになっている。
マルスと併せて今回は四人旅だな。旅というほどの距離でもないが。
もう何度も通ったグレン村までの道だ。何事もなければ日が傾き始める前には到着するだろう。
「ニャ、モンスター発見ニャ」
気を緩めた途端にこれだ。
「え、どこどこ? 私には分からないけど?」
「あそこニャ。森のそばのところ、黒い犬みたいなのが三頭ニャ」
ミャルが百五十メトルほど離れた場所を指差す。正直、私にはモンスターがいるのかどうか分からない。
「あー、いるわね。いい目してるわね、ミャル」
「確かにいますね。おそらくハウンドフォックスでしょう」
レイチェル姉上とマルスには何かが見えたようだが、相変わらずさっぱり見えない。仕方ないので探知の結界を張ってようやくモンスターの存在を確認した。遠いな、なんであんなのが見えるんだ。
「ハウンドフォックスか。こっちに来そうなのか?」
「だんだん近づいてくるニャ」
「獲物と見られたか。馬が狙いか知らんが狩らざるを得ないな」
ハウンドフォックスはそれほど凶暴なモンスターではないが、獲物を執拗に追跡してくる執念深さで有名だ。目をつけられたら長距離を逃げ続けるか、戦うしか選択肢がない。それに凶暴ではないといっても、三頭相手となると駆け出しの冒険者ではとても勝てないだろう。
ともかく追いかけられては休憩もできなくなるので、さっさと退治してしまおう。
「すいません姉上、お願いできますか?」
私が言うのとほぼ同時に姉上とミャルが馬から飛び降りた。
すぐに姉上が腰の魔剣を抜き放つ。よく磨かれているのだろう、日光をキラリと反射した。
「まっかせといて、っていつもなら言うけど、ミャル?」
「ニャニャ、ミャルにまかせろニャ!」
向かってくるハウンドフォックスに対してミャルが先頭に立った。その手には革袋が握られている。そしてミャルは革袋に手を突っ込んで中身を取り出した。
「ミャルの新しい武器、さっそく出番ニャ!」
取り出したのは、一組のガントレットだった。いや、ただのガントレットというには攻撃的すぎる。拳骨の部分には鈍角のトゲがあり、手首から肘の部分にもギザギザとした細かい突起が並んでいる。
これは防御を目的としたものではないな。
「さあさあ、ぶん殴ってやるニャー!」
素早くガントレットを装着したミャルが裂帛の気合を放つ。
一見すれば細身のミャルの両手に装備された、不釣り合いなほど攻撃的な鈍色のガントレット。
これが以前言っていた、女武具職人ブリジット特製の武器か。
「あいつは本当に猫なのか?」
殴る気満々のミャルを見て、つい呟いてしまった。
「まあまあ、猫はネズミや小鳥を殴ったりしますしね」
「それだって自分より大きい相手を殴り飛ばそうとはしないだろうに」
マルスは全く戦う気はないらしく、馬の手綱を握ったまま見物を決め込んでいる。こいつは本当にモンスターの相手をしようとはしないな。
「ミャル! 三方から来るわよ!」
「分かってるニャ!」
さすが狩り上手なモンスターであるハウンドフォックスは、突出した位置に立つミャルに標的を絞ったらしい。
ミャルの正面と左右に分かれて、三頭がほぼ同時にミャルに飛び掛かった。
「ニャ!」
ミャルは素早く前に踏み出して、正面から向かってくるハウンドフォックスの顔面に右の拳を叩き込んだ。
ドゴッという低くて鈍い音が響く。
殴られたハウンドフォックスは真後ろに吹き飛んで地面に叩きつけられる。
しかし、残りの二頭がミャルの後方から食らい付かんと襲い掛かる。
「ニャニャ!」
その動きが分かっていたらしいミャルは、振り向くと同時に姿勢を低くして攻撃を躱し、そしてすれ違い様にハウンドフォックスの横腹に素早く拳を突き込む。
空中で腹を殴られ、キャン!と犬のような悲鳴を上げたハウンドフォックスは着地に失敗して無様に地面に転がった。どうやら見た目よりも重い拳撃だったようだ。
直後、ミャルが跳んだ。そして転がったまま起き上がれないハウンドフォックスの頭部に拳を打ち下ろす。
続けざま、最後に残った一頭に対して一瞬で距離を詰めた。ハウンドフォックスは咄嗟に噛みつこうとするが、ミャルは身体を捻り、強力な横打ちの拳を頭部に叩き込んだ。
時間にすればほんの一呼吸か二呼吸くらいで、三頭のハウンドフォックスは叩きのめされてしまった。
「ざっとこんなもんニャ! このガントレットがあれば思い通りに戦えそうニャ」
ミャルは満足そうにガントレットを掲げて勝ち誇る。その足元には見事に頭を砕かれたモンスターが横たわっていた。
「いい武器が手に入って良かったわね、ミャル」
「レイチェルとアンナのおかげニャ。ありがとニャ。武器の代金は働いて返すニャ」
「別に気にしなくても大丈夫よ」
自分が戦えなかったというのに珍しく機嫌の良さそうなレイチェル姉上が言うと、ミャルも率直に礼を言った。
見るからに費用が掛かってそうな武器だが、ミャルは一体いくら返すつもりなのだろうか?
「というわけで、さっさと魔石取っちゃうニャ。これはミャルがもらってもいいニャ?」
「まあミャルが倒したモンスターだからな。それで構わないぞ」
「やったニャ。さっさと稼いでレイチェルに借金返すニャ」
自分の荷物から小さな短剣を取り出すと、ミャルは慣れた様子でハウンドフォックスの胸を切り開いて親指の半分ほどの大きさの魔石を取り出していった。あの大きさだと九等級といったところか。
魔石とミャルの手を洗う水を魔法で出した後、私はハウンドフォックスの死骸を高熱の青い炎で焼却した。毛皮を剥いで売ればまあまあの値段が付くのだが、今は時間もないし剥ぎ取りができる者もいない。リッツがいればすぐにやってくれただろうがな。
こうして我々は、ミャルの新しい武器の試し切りならぬ試し殴りをしつつ、予定通りグレン村に到着したのだった。
グレン村に着いてから村長のロルフの家を訪れると、ちょうど大工の親方と出会った。
ヴェスパ湖の休憩所の外装までの建築を終えて、グレン村まで戻ってきたところらしい。
「予定の通り、二階建ての小さな小屋になったぜ。今は板壁に防腐剤を塗っただけだが、レンガやら漆喰やらは後でいいんだよな?」
「ああ、それで問題はない。短い休みだがゆっくりしてくれ」
「へっ、俺は見慣れた女房の顔を眺めるだけだがな。じゃあ、まだやることがあるから失礼するぜ」
そんなことを言いながら、親方はロルフ村長の家を出て行った。
何をすることがあるのかと思っていたのだが、
「親方は村に立ち寄った時に、家や納屋の傷んだところを修理してくれたりするんですよ。他の村でも同じような事をしてるみたいですよ」
「ふふ、口は悪いが親切な人だからな」
あのぶっきらぼうな物言いは照れ隠しかもしれない。
「親方はこの村で一泊するのだろうが、私たちはすぐにヴェスパ湖に向かう」
「え、また泊まっていかれないんですか?」
「ああ、今回も立ち寄っただけなんだ。本当は顔だけ出してすぐに出るつもりだったんだが……」
私は窓の外を指差した。
そこでは、レイチェル姉上とミャルが村長の息子二人と共に蜜ウリにかぶりついていた。
「前に来た時に水玉ベリーを食べ損ねたことを愚痴られてな、ご覧の通り、おやつの時間を作らざるを得なくなった」
「レイチェル様らしいですね。それに新しいお仲間にも子供たちがあんなに懐いて」
「ああ、姉上もミャルも子供のようなものだからな」
ああやって顔を果汁まみれにしている姿を見ていると、あの二人が魔剣使いと殴り屋の猫とはとても思えない。
「一息ついたらすぐに出発する。忙しなくて悪いな」
「いえいえ、来ていただけるだけで嬉しいですよ。ところでエヴァン様、お聞きしたいことがあるんですが……」
ロルフが珍しく言い淀んだ。はてさて、何か気になることでもあるのかな?
「レイチェル様とミャルさんの頭についてるのはいったい何です?」
まあ、やっぱり気になるよな。
「うちのアンナの思い付きでな。ああやって動物の耳が付いたカチューシャが、マリクリアで最新の流行なんだ」
「はあ、あれが、ですか」
ロルフは腑に落ちないという表情だ。
「失礼ですけど、あれは何の役に立つんです?」
「……かわいい?」
「私に聞かれましても……」
猫耳カチューシャの本当の目的、獣人の偽装の事など言えるはずもなく、ロルフ村長の困惑をただ深めるだけになってしまったのだった。




