70.その幼女、堂々退場す
ティオがレイチェル姉上に拉致された一件から、七日ほどが経った。
このところ毎日のようにマリクリアの街に出歩いているが、例の猫耳カチューシャを付けて歩いている者をちらほらと見かけるようになった。アンナの作戦が確実に浸透しつつあるようだ。
何人かに直接話を聞いたが、やはりアンナの実家の仕立て屋で売りだされている物らしい。変な喋り方をする店員がこのカチューシャを付けていて、とても可愛かったので試しに買ってみたらしい。
ちなみに、ティオが猫耳を付けているところはかなり多くの領民に目撃されたらしい。宣伝としてはとても高い成果を上げたな。そのかわりにティオの尊厳が犠牲になったが。
あとこれも街の住人に直接聞いた話だが、レイチェル姉上が金髪猫耳美少年を抱えてマリクリアの街を疾走する姿は、一部の御婦人方の間でとても評判になっているという。あの速さで疾走というか爆走する姉上をよく観察できたものだな。やはり我が領民はとてもよく訓練されている。ティオにとってはますますの災難だがな。
「さて、そろそろ現場の方に行かないとな。マルス、ヴェスパ湖に向かって出発の予定は明日だったな?」
「はい、その通りです。朝のうちに出発ですね」
すぐそばに控えるマルスに確認すると、手帳を取り出すまでもなく返答した。
ヴェスパ湖の休憩所という名の神殿建築が予定通りならば、そろそろ壁や屋根などの外装部分が出来上がるころだ。外装が出来上がったら一旦工事を止めて、親方たちに休暇を与えるという予定になっている。
「神託の成就も間もなく、か。神殿の存在を広く知らしめるという面倒な仕事が残っているが、それでもここまでくれば峠は越えたと言えるかな」
独り言のつもりでつぶやいてしまったが、マルスにはしっかり聞こえていた。
「あまり面倒そうな態度を取っていると天罰が下りますよ」
「天罰とはな。誰よりもそんなものを信じていないお前が言うか」
「おや、これは痛い所を突かれましたな」
「心にも無いことを」
軽口を言い合っては笑う私とマルス。魔石集めが終わってからというもの、少しばかり周囲の空気が弛緩しているように感じる。悪い事ではないと思うが。
「エヴァン坊ちゃん、無駄話してないでちゃんと釜を温めてくださいよ!」
突然、叱責の声が飛んできた。
「ああ、ブロムス。魔力は切らしていないから大丈夫だ」
私はいま、マリクリアの街の西地区にある染物屋の工房にいる。
主のブロムスに頼まれて、染め釜の温度を調節している最中だ。年に数回、大量の染め物をするときには、私がこうやって手伝いに来るのだ。
熱風の魔法を染め釜の周りに巡らせて、ゆっくりと染色液の温度を上げていく。少量ならともかく、人の背丈程もあるようなこの大釜となると火を焚いて温度を調整するのが大変らしい。
もっとも、私自身も今現在の染色液の温度など分からない。ブロムスが釜の横で染色液を凝視しているが、ボコボコと出てくる気泡の大きさや湯気の出方などで温度を判断するらしい。鍛えられた職人の目は魔法などよりずっと不可解だ。私は言われた通りに加熱するだけなので気楽なものだな。
「この場の誰も気にも留めてませんが、これだけ大きな釜の中身を熱くするというのは相当な魔力がいるのでは?」
「それはそうだが、まあ熟練の魔法使いなら出来てもおかしくはない、と思う」
「エヴァン様はその熟練の魔法使いということでよろしいのですか? そのお歳で」
「私はちょっと魔法が得意な普通の貴族だ。南のグランデル候のような高名な魔法使いもいるのだから、別に不思議ではないだろう?」
貴族の中には魔法の力を代々受け継ぐものも多い。貴族が魔法を使えなければならないというわけではないが、昔の戦乱の時代の名残ということらしい。まあ領民に魔法という力を示すことができるのは統治者として有利ではあるな。
「その魔法力の使い道が染物屋の手伝いというのは、エヴァン様らしいですね」
「何か言いたいことがありそうだな?」
「いえいえ、そんなことはありませんとも」
また何か嫌味の一つでも言ってくるかと思ったが、それより先にブロムスが口を挟む。
「おーい、マルスさん! 暇そうにしてるんなら、こっちで生地をかき混ぜるの手伝って……、あれ?」
「マルスならもういないぞ。金にならない仕事の気配を感じたらしい」
はた目には、ブロムスに声をかけられた瞬間にマルスの姿が掻き消えたように見えただろう。
体の動きと気配の位置をずらして姿を隠す技らしいが、隠密の奥義をこんな所で使うんじゃない。
「かーっ、相変わらず神出鬼没というか何というか、変わった執事さんだな」
「なんというか、すまんとしか言えないな」
「まあエヴァン坊ちゃんがいてくれればうちは構いませんがね。このまま釜の加熱お願いしますよ」
「ああ、分かってる。急がず怠けず、だろ?」
「さすが坊ちゃんは飲み込みが早い。うちの職人になってくれたらずいぶん稼げるぜ」
ブロムスはおだててくるが、もちろん冗談だ。別に自慢ではないが、私はやたらと歴史の長い貴族家の嫡男だからな。
「ちなみに職人になるとどれくらいの給金が出るんだ?」
「え、そうだな、エヴァン坊ちゃんみたいに魔法で釜を熱したり冷やしたり自由自在なら、まあ月に金貨一枚払っても惜しくねえな」
ふむ、私の月の小遣いの二倍か。
「私が何か大失態をやらかして、ティオが跡継ぎになったら世話になるかもしれん」
「ははは、相変わらず面白い冗談を言う坊ちゃんだな」
ブロムスは笑い飛ばしているが、そういう生き方があったかも知れない。
布を染めて、市場やアンナの実家の仕立て屋に品物を卸したりしてな。
ふふ、楽しそうだが現実的ではないな。妄想に浸るのはやめておこう。
その日の午後、屋敷に帰るとメイドや執事たちが何やらそわそわと落ち着かない様子だった。
理由は察しがつく。
「ナギが孤児院に入るだけでなにを浮足立ってるんだか」
そう、今日はついにナギが屋敷を出ていく日。
帝都から帰ってからというもの、ナギは興味の赴くまま屋敷中を駆け回っていた。
廊下を走り、応接室でかくれんぼ、台所でおやつをねだり、中庭で穴を掘り、父上の寝室のベッドで飛び跳ねていた。
ベッドで遊ぶナギを見つけた執事長ロベルトが、眉間にとても深い皺を作りながらも怒りはしなかったという話も聞いた。さすがのロベルトも四歳児が相手だと叱り飛ばすわけにもいかなかったらしい。
おかげでナギは『あの執事長にも負けない奇跡の子供』という称号を手に入れた。できる事なら私もその称号が欲しかった。
「で、当のナギはどこに行ったんだ?」
玄関ホールでいつもより念入りに花を飾っている若い執事に尋ねてみる。
「客室で着替えをしております。何でもレイチェルお嬢様が子供のころに着ていた服を譲るのだとか」
それはなかなか大した餞別だな。今でこそ鎧姿が珍しくない姉上も昔は貴族らしい服を着せられていただろうからな。
そんな話をしているうちに、メイドや執事、屋敷の使用人たちが玄関ホールに集まってきた。そして中央の階段から正面玄関までのカーペット横にずらりと並ぶ。
これはあれだろ、父上が帝都から帰って来た時や、滅多に来ない賓客を出迎えるときの配置だよな? 四歳児の見送りのために何をやってるんだ、お前たちは。
呆れながら様子を眺めていると、階段の上に着飾ったナギが姿を現した。さすがにドレスというわけではないが、上等な生地で作られた若草色のワンピースを着ている。髪は綺麗に梳かれ、花飾りまで付けられている。
「あ、エヴァンー、マルスー」
こちらを見つけたナギが元気に手を振っている。この屋敷に来てからよく笑うようになったな。
小さく手を振り返していると、例の表情が変化しない古参のメイドが私に言った。
「エヴァン様、エスコートをお願いします」
「エスコート? そこまでやるのか。ただの見送りだろう?」
「ただの、ではありません。大切なお見送りなのです」
ナギのやつめ、短い間によくこの屋敷に馴染んだものだ。浮浪児として過酷な環境で生きてきても明るさを失わなかったことも含めて、一種の才能といっていいかもしれない。
「分かった分かった、あの淑女をエスコートすればいいんだな?」
「是非に」
私はいつもより手入れがされた絨毯が敷かれた階段を上がってナギの前に進み出た。
そしてナギに向かって右手を差し出し、手が取られるのを待っていると、
「エヴァン!」
ナギはそう言って笑ったかと思うと、階段の数段下にいる私に向かって飛びついてきた。驚いたが、なんとかよろけずにナギを抱きとめる。おいおい、無茶をするなあ。
「こら、危ないだろ。落ちたらどうする」
「えへへ、エヴァンは落ちないよ。そんな気がする」
「なんだそれは。姉上やマルスみたいなのと一緒にされても困るぞ」
仕方がないのでナギを抱っこしたまま階段を降りる。
並んでいる使用人たちが口々にナギに別れの言葉をかけていく。
「ナギちゃん、元気でね」
「孤児院のマレーネ先生はいい人だから心配ないよ」
「お菓子包んだから、後で食べてね」
「いつでも遊びに来ていいよ」
「通用口はナギちゃんの為に開けておくからね」
おい、最後のは警備上問題があるんじゃないか?
「ナギ、良かったな、みんなが別れを惜しんでくれているぞ」
半分くらいの使用人が涙ぐんでいるな。それに比べて私に抱っこされているナギはずっとニコニコしている。
「あはは、みんな泣かない泣かない。泣ーいたらおなかがすーいてくるー」
よく分からない節を付けてナギが皆を慰める。
そして、正面玄関のドアを開けると、そこには一人の女性が立っていた。年の頃は四十くらい。背が高く、髪を後ろでまとめ、黒っぽく目立たない服装だ。
女性は玄関ホールにずらりと並んだ使用人たちに面食らったようだが、すぐに我に返り私に一礼をする。
「ごきげんよう、若様。子供の迎えに上がりました」
「ああ、マレーネ先生。お待たせしてすいません。この子が例の……」
「ナギ、ですね? 初めまして、孤児院を経営しているマレーネです。先生と呼んでください」
マレーネ先生は、私に抱かれたままのナギに挨拶をした。
それに対してナギは、
「ナギだよ!」
とても短い自己紹介をした。
マレーネ先生の片方の眉がピクリと動く。
「……まあ、いいでしょう。それでは若様、確かにお預かりします」
「よろしくお願いします、先生」
ナギを降ろし、あとの事はマレーネ先生に託す。
二人は並んで街に向かって歩き出すが、ナギは数歩だけ歩いてから、こちらを振り向き大きな声で叫んだ。
「じゃあね、みんな! また、おやつ食べにくるからね!」
こうして、ナギは明るく、そして実に堂々と屋敷を去った。
残されたメイドや執事たちは皆、惜別の涙を流し……。
そして翌日。
「来たよー」
ナギは宣言通りにおやつを食べに屋敷にやって来たのだった。一人で。




