69.参謀テオドール
「なんだティオ、もうクラムと仲良くなったのか?」
マリクリアの御婦人たちの心を奪って離さない、金髪の貴公子ティオことテオドール。
わずか十歳にして、すでに将来の美貌を約束された美少年だ。
ちなみに実の弟ではなく、亡くなった叔父夫婦の子だが、養子としてマルシェル本家にやってきた。その時は大変だったが、まあ昔の事、だな。
しかしレイチェル姉上といい、ティオといい、私の姉弟はことごとく並外れた外見をもっているな。別に悔しいとは言っていない。
「あ、兄さま。姉さまもご一緒なんですね」
「うん、そうよ。今日もティオは可愛いわね」
「そう言われるのはあまり好きではありません……」
いつものように可愛いと言われてふくれて拗ねてしまうティオ。可愛い。
「ティオが誰かの世話を焼いてるのは珍しいな」
この屋敷では子供といえる年齢なのはティオしかいなかった。そもそも同年代の子供と屋敷で一緒にいること自体が滅多にない。
「日差しが強くなりそうなのに、クラムが帽子も被らずに庭仕事をしていたので」
「これくらいどうってことない、です」
「ダメ。他所では知らないけど、ここでは安全が最優先だよ」
ティオはクラムに麦わら帽子を被せると、あご紐まで結んでやっている。
ふふ、クラムは恐縮しているのか顔を真っ赤にしているな。
「ティオ様、クラムの首が締まってますよ」
「え? あ! ご、ごめんクラム!」
マルスの指摘で慌てて紐をほどくと、クラムの顔色が元に戻った。照れてるわけじゃなかったのか。
「死ぬかと思った、思いました」
「きついなら言ってよ、クラム」
「いや、まあ、すいません」
「あとは水筒! 花壇の所に置いとくからね。ちゃんと飲んでよ」
花壇の縁に水筒を置くと、ティオは私の方に向かって歩いてきた。
「どうしたティオ?」
ティオは私の目を見ながら話し始めた。
「最近、兄さまとあまり話す機会が無いので、今言っておこうと思いまして」
「どうした改まって」
何かすごく怖いんだが。
「兄さまは領主代行の任を外れたとは聞きましたが、そのあともずっと忙しそうにしていらっしゃいます。この間まで帝都にも赴いていましたし、道中で荒事もあったと聞いています。僕は将来、兄さまがマルシェル家の当主になった時、参謀として役に立てるように努力しています。何か困りごとがあるなら、僕にも相談してください」
真っ直ぐ見つめる瞳。一片の嘘も感じられない。
「……うん、そうだな。ティオをのけ者にする気はなかったんだが、ちょっと複雑でな。もう少しで状況が落ち着くだろうから、その時にゆっくり説明する」
「約束してもらえますか?」
「ああ、約束だ。厄介ごとに巻き込まれても文句を言うなよ?」
あまりにもティオが真剣なので、ついつい茶化すような言い方をしてしまった。怒るだろうかと思ったが、ティオはにこっと笑う。
「はい! 絶対に言いません! ありがとうございます、兄さま」
「とはいえ、ティオには農村の見回りや書類の確認でずいぶんと世話になっているけどな。学校の方も忙しいだろうに」
十歳にしてすでに政務の仕事に関わっている。しかも割と実務的に。本人は不満があるようだが、今のままでも十分に助けてもらっている。
それに加えて、ティオは初等学校の生徒でもある。もちろん成績優秀だそうで、飛び級もできそうらしい。兄や姉とはずいぶん違うな。
「学校は知識を蓄えるのに最高の環境ですよ。本もたくさんあるから飽きないし。あ、そうだ、クラムも学校に入るんですよね?」
クラムはやや小柄だったので年少に見えたが、もうすぐ十歳になる。初等学校に入学できる年齢だ。
いま各方面のギルドや組合にあたって、クラムとイリスを住み込みで働けるところを探しているところだ。もちろん、学校に通わせることに同意してくれるところを念頭に。
イリスの入学は年齢的に来年だな。
「まあ、それもクラムが学校に行きたいと言うならば、だがな。どうするクラム?」
ティオの言いつけを素直に聞いて水筒の水を飲んでいたクラムが私に返答する。
「本当は早く金を稼ぎたい、ですけど、勉強するともっとたくさん稼げるんですよね?」
クラムは一貫して金を稼ぐことにこだわる。まるで貧しい家に生まれ育ったことに復讐するかのように。
それは昏い情熱と言えるものだが、クラムの大事な原動力でもある。
賢く、大人を信じ切れず、己の境遇を恨み、それでも善良であるクラムの問いかけに対して、私は可能な限り誠実に答えるようにしている。
「正確に言うとたくさん稼ぐ道を選ぶことができるようになる、だな。学校など行かずとも腕のいい職人になれば、多く金を稼ぐことはできるだろう。しかしクラム、お前が求めているものは金だけか? もし金だけではないのなら、今はとにかく学ぶことだ。知らなかったことを知り、知っていることはより深く知る。クラムに必要なのはきっとそういうことだ。そのために必要なものが、学校はもちろんマリクリアの街にはある」
クラムは私の偉そうな講釈を黙って聞いていた。
どれくらい信じたかは分からない。
どんなに綺麗事を並べたところで、今のクラムには働くか、学ぶか、両方か、その選択肢しかない。それでも覚悟を決めてマリクリアにやって来たクラムの可能性を信じてやりたい。
「クラムはずいぶんと兄さまに気に入られたみたいだね」
横で聞いていたティオが嬉しそうにしている。
「俺を、ですか?」
クラムが少し目を見開いて驚いた様子を見せる。
「うん。兄さまはいつも優しくて、自分の失敗談なんかも喋って周りの人を笑わせたりする人なんだ。その兄さまが厳しいことを言うときは、大体相手のことを気遣ってるか気に入ってるときだよ」
「お貴族様が、俺なんかを……」
クラムがじっと私の顔を見る。あんまり見られると照れるのだが。
ほんの少しの沈黙が流れたかと思ったら、マルスが急に手を叩いて「なるほど」と言った。
「それでエヴァン様は私にいつも厳しいんですね? それならそうと言ってくだされば」
「純粋無垢な守銭奴は黙ってろ。お前はよくこの会話に口を挟めるな」
「あはは、確かに兄さまはマルスにいつも厳しいよね」
「ええ、いつもこのマルスめは泣かされております」
お前が泣いたところなんか見たことないぞ。害にはならないと思ったら躊躇なく嘘をつくな、この専属執事。
「さて、クラムに帽子を被せたし、兄さまに言いたいことを言えたので僕はこれで失礼します」
ティオがぺこりと頭を下げる。
「ああ、これから学校に戻るのか?」
「はい、今日はもう授業はありませんが、図書館で本を読もうと思います。ちょっと難しいですけど面白い歴史の本が……、姉さま? なんです?」
いつの間にかレイチェル姉上がティオの背後に回り込んでいた。
無言のまま立つ姉上の様子にティオがやや怖気づく。
分かるぞ、怖いよな、何も言わない姉上。
「姉さま……?」
もう一度ティオが呼んだ次の瞬間、姉上の手が空を切り裂くような速さで振り下ろされた。
「え……?」
その一瞬の動きに反応できず、ティオは呆然としたまま立っていた。
「姉上……! なんということを……」
私もそう呻くのが精いっぱいだった。
なんと姉上は、ティオの頭に猫耳のカチューシャを装着したのだった。
「あ、やっぱりすごく似合うわね! ティオはそのままでも可愛いけど、もっと可愛くなっちゃうなんて」
たしかに、まだまだ幼いがよく整った顔立ちにさらさらの金髪。そして頭には猫の耳。この組み合わせで可愛くならないなんてことがあろうか。いやない。
「ね、姉さま! これは女性が付けるものでは!? だいたいなんで耳が!?」
可愛いと言われたくないティオの心情などまったくお構いなしのレイチェル姉上。
「いいのよ別に、誰が付けても。あ、取っちゃだめよ! せっかく可愛いんだから!」
「えぇ……」
可愛いと言われるのが嫌なのに、可愛いからカチューシャを取ってはいけないと言われる理不尽さ。
ティオは居心地が悪そうにしながら周囲の目を気にしている。
安心しろ、中庭に面した回廊には我々以外に誰もいない……、ように見えるがそんなことはない。試しに探知の魔法を発動させてみると、ああ、いっぱいいるな。メイドや女官を中心に四、いや五人か。みんな気配を消してティオの猫耳姿を堪能しているようだ。他にやることはないのか……?
「うーん、これはアンナにも見せてあげたいわね。ねえエヴァン、アンナはどこに行ったんだっけ?」
「ミャルと一緒に実家の仕立て屋に行きましたよ」
「そうだったわね。じゃあティオ行くわよ!」
「え、いえ、姉さま、僕はこれから図書館に行くんで……」
「そうなの? じゃあ急がないといけないわね!」
そう言うや否や、レイチェル姉上はティオを横抱きに抱えた。演劇でよく見る勇者や騎士や姫君を抱きかかえるときのあれだ。
もっとも、そんな風情のあるものではなく、ひょいという感じで軽々と持ち上げていたが。
「な、なにするんですか、姉さま?」
「しっかり掴まってなさい、ティオ」
そして姉上は強化系魔法を発動させると、すごい速さで走り始めた。
「ね、姉さまぁああ!?」
あっという間に中庭を突っ切って、生け垣を飛び越えて姿が見えなくなる。同時にティオの悲鳴も遠ざかっていった。
「あの耳をつけたティオが街中に晒されるのか」
「左様ですね」
「意外とすぐにあの耳付きのカチューシャが流行りそうな気がするな」
「喜ばしいことかと」
私とマルスの意見が珍しく一致したな。
ふと横を見ると、クラムが黙ってティオと姉上が消えていった方を見ていた。
あまり驚いていないな。
この屋敷に来て数日でこういう騒ぎにある程度慣れたのだろうか。それとも自分がレイチェル姉上の標的にされずに済んで良かったと思っているのかもな。
私に見られていることに気付くと、クラムが怪訝な表情で見返してきた。
「なんですか? 俺はあの猫の耳つけませんからね」
「なにも言ってないだろうが」
クラムも私たちに馴染みつつあるようで安心した。




