64.アラニアの菜園
ツケの支払いを終えたら小遣いが残り銀貨五枚になってしまったが、泣き言は言うまい。
せっかく屋敷を抜け出してきたのだから、ついでに父上の畑まで行って帰還の報告を済ませてしまおう。
マリクリアの街を囲む壁に向かって歩く。北の門近くの壁の内側に父上の畑がある。
やはり父上はそこにいた。いつも通り一人だな。
「父上、ただ今帝都より戻りました」
十歩ほどの距離に近づいても作業に夢中で気付いてもらえなかったので声をかけた。父上は「おっ」とだけ言って雑草取りの手を止める。
「そうか、今日だったか。よく戻ったね、エヴァン」
土のついた作業服に藁帽子。どこから見ても農夫。知らない者ならば四百年続くマルシェル家の当主、アラニア・マルシェルだとは気付かないだろう。
「さすが、父上の畑はいつ見てもお見事ですね。青物の葉に艶があります。手間暇かけてますね」
「そうだろう? こう見えて土にはこだわっているんだよ」
自慢げに話す父上。領主の仕事はどうしたんだという皮肉を言ったつもりなのだが、分かっているのかいないのか……。
「それで、帝都はどうだった? 例の物は手に入ったんだろう?」
また雑草取りの作業に戻った父上が、成果を尋ねてくる。尋ねながら「そっちを頼む」と言って私にも雑草取りの手伝いをさせる。
「伝通鳥に書いた通り、魔石は入手しました。しかし、かなり大振りな物ではあるものの神託に使えるかどうかはまだ分かりません。明日、ヴェスパ湖に赴いて確認してきます」
雑草をプチプチと引き抜きながら報告する。
「それでもそんな魔石を手に入れるのは苦労しただろう。神様のお願いとはいえ無理を言ってくれるもんだね。ああ、それ、ちゃんと根から抜いてくれよ」
「あ、はい。それで、その魔石を手に入れる際に、私の不注意で三等級相当の魔石の魔力を暴走させてしまい、非合法で行われていたオークションの会場を吹き飛ばしてしまいました」
父上の動きが止まる。こちらを見てくるが私は目を合わせない。目を合わせれば、魔石を暴走させたという嘘が見破られる、ような気がする。
「人死には出たのかい?」
「いえ、怪我人もいません」
「確認した?」
「それは……、できておりません」
「ふうん、でも怪我人はいない、と」
胡乱な目で見られているとはっきりと分かる。だが私は目の前の雑草を注視している。
実際、裏オークション会場を吹き飛ばした時の魔法では誰も怪我をしていない。意図的に魔力を遮断でもしていなければ、私は自分の周囲に人間がいるかどうかは探知できる。
「会場には貴族もいただろうね。証拠は残していないよね?」
「それは間違いなく」
「じゃあ、良し」
ごくあっさりと父上が言うと私は思わず息を吐いた。無意識に呼吸を止めてしまっていたようだ。
父上を相手に嘘がつき通せるとは思わない。私が何かを隠していることもお見通しだろう。それも含めて見逃してもらえたというところか。今回は、だがな。
その後、オークションでクラムたち三人と獣人を保護したことを報告すると、父上は嬉しそうに「そうかそうか」と言っていたが、それ以上は何も聞かれなかった。もしかして獣人と会ったことがあるのだろうか。
「ああ、そうだ。レイチェルの方はどうだった? ジョフィス伯爵家とのお見合いの件」
父上はおそらく一番聞きたかったであろう事の報告を求めた。この話は伝通鳥では一切伝えなかったからな。
「姉上は最初はとても嫌がっていましたが、私が説き伏せて何とかお見合いを執り行いました。その日、着飾った姉上は比類のないの美しさで、ジョフィス伯爵様や夫人、そして肝心のお見合い相手のカイランにもいたく気に入られました」
「そうか!」
わざともったいぶった言い方で報告すると、父上は勢い込んで私の話に聞き入り始めた。こんなに積極的に人の話を聞こうとする父上はなかなか見られない。
「姉上も緊張はしていたものの、御自分から話を振ったり、淑女らしい振る舞いを崩さないように努力しておられました。前にお話ししましたが、カイランはマリクリア大学に留学していたので、普段の姉上の行いをよく知っております。まあ何というか、お転婆というか男勝りというか、そういうところです。しかし、カイランは度量の大きい男ですから、それらも含めて姉上の事を良く思ったようです」
「そうかそうか!」
ますます聞き入る父上。
「しかし、今回のお見合いが私の帝都入りの口実に過ぎない、つまり茶番であるという事を姉上が知るところになりました。姉上の心情は怒りとかそういうものを通り越してしまい、私は無言のまま殴り殺されそうになりました。その後はもうお見合いどころではなく姉上はジョフィス伯爵家の中庭から逃走しました。結果、お見合いは不成立という事になります」
「……そうか」
急転直下で父上が落ち込んでしまった。結果はうすうす分かっていただろうに。
「父上、そんなに落ち込む事はありません。少なくとも姉上が外見に関しては万人を魅了することがはっきりわかりました。嫁入りを諦めるには早すぎます」
「そ、そうか」
中身は操作系と強化系の二つの魔法系統を使ってとんでもない戦闘力を発揮する三級冒険者なんだけどな。しかも精神年齢は、まあ、あんな感じだし……。
「それよりも父上、懸念があります。帝都に向かう途中で盗賊に襲われました」
父上はちらりとこちらを見たが、また雑草取りの作業に戻ってしまった。
「盗賊ね、うちの領内ではめったに出ないけど、他領ではありうるだろうね。でも対処できたのだろう?」
ならば問題なしと言わんばかりの態度だが、報告はそれだけではない。
「しかし、こちらが貴族である事を分かったうえで襲うというのは無謀すぎると思うのです。しかも先頭にいた我々の場所を囲うように潜んでいた。後方から不意打ちして荷を奪うという手もあったにもかかわらず。つまりこれは……」
「エヴァンかレイチェルのどちらか、または両方が狙われた、ってことになるかな」
「そういう事になります」
結局、盗賊たちの正体は分からずじまいだ。あの時、盗賊の頭目が『金が目当てだ』と言い切った時の目ははっきりと思い出せる。あれは覚悟を決めた戦士の目だった。
「理由は分からないけど、怖いところから目を付けられちゃったかなぁ」
「中央か、それともどこかの大貴族か。さらに帝都に滞在中はずっと遠巻きに監視されておりました。オランドたち諜報部隊の手も借りましたが、残念ながら正体はつかめておりません」
「まあそうだろうね。監視する方もそれなりの手練れだろう」
父上は立ち上がって腰を伸ばしはじめた。雑草取りは腰に負担がかかる。
「あまり驚きませんね、父上」
普段からあまり動じない父上だが、それにしても平然としすぎているような気がする。
「まあね。直接監視されるっていうのはともかく、目を付けられるってところは今に始まったことじゃないからね」
「……どういうことです、父上」
そんな事は聞かされていない。意図的に話さなかったのか? どうして?
「うーん、エヴァンが当主になるときに話せばいいと思っていたけど、状況が状況だから仕方ないか」
父上は自分に言い聞かせるようにつぶやいているが、マルシェル家が抱える秘密があるのだろうか?
「帝国中の貴族はみんな何らかの制約を受けるもんだけど、うちはちょっと特殊でね。ほら、帝室への上納金も最低限だし、大貴族の派閥とかにも入ってないし、付け届けなんかもしてない。社交の場にもめったに顔を出さないし、婚姻関係にある貴族も少ない。そのくせ教育の分野にはやたら投資して大学まで作っちゃってる。魔法工学の分野なんかでは帝都の大学と比べても遜色のない才能が集まっちゃってる。まあこれはガドム先生の功績が大きいけど。つまり何が言いたいかというと……、エヴァン、分かる?」
「マルシェル家は中央に忖度せずに好き勝手なことをしている?」
「正解だ。さすがだね」
「何も嬉しくはありませんが」
なんで嬉しそうなんだ父上は。
「マルシェル家は中央の意向とは関係なく自分たちの思うように領政を行なってきた。そんな貴族を中央が気にしないはずがないだろう? うちがずっと目を付けられてるっていうのはそういう事だ」
父上のいう事は、分かる。
実際マルシェル家の領内の様子は帝国の他の地域とはいろいろと違う。もちろん良い意味でだ。
しかし、注意を向けられることと監視対象になることは違う。ましてや直接襲撃されるなどとは。
「何か、中央の危機感を煽るきっかけがあった、ということですか? 神託の内容を知っていればあり得そうですが」
「その辺りは分からないね。でも一等級魔石なんてとんでもないものをうちが持ってると中央に知られたら、もっと大事になってるよ」
「確かに。帝城に持ち込んで暴走させるだけで皇帝と政府の高官は全滅しますからね。暴走させた者も含めて」
高等な魔石の魔力暴走に巻き込まれたら、よほど力のある魔法使いでない限りは防ぐ術は無い。
「このマリクリアの街にも中央の間者が入っているとすれば……」
「ああ、それは確実にいるだろうね。冒険者のフリなんてされたら確認のしようがないしね」
「だとすれば、最近私がドラゴンの件でギルセアまで出掛けたことなどは知られていてもおかしくない。なぜか見送りに来ていた子供までドラゴンの事を知っていましたしね」
「あはは、それはまずかったね」
「しかし、それだけのことで? いくらなんでも過敏すぎませんか?」
私はともかく、レイチェル姉上の普段の振る舞いを考えれば、ドラゴン見物に出掛けることくらいは普通……、いや普通じゃないな、うん。
だが、それでもだ。それくらいの事で貴族の子息を襲撃したりするだろうか?
「貧乏貴族の家系でも四百年も続くといろいろと事情があるんだよ」
「中央が警戒する理由がまだあると?」
正直、勘弁してもらいたいものだ。四百年もの間に何があったか知らないが、私に言われても困るぞ。
「いろいろね、あるんだよ」
父上が繰り返し言う。
つまり今はこれ以上話す気はないという事だな。
「エヴァンがマルシェル家の当主になるときには全部話すよ。ちょっと長い話になるけどね。歴代の当主にしか伝えられない昔話があるんだよ」
「それは……、楽しい話ではなさそうですね」
「そうかもしれないね」
藁帽子をとり、汗をぬぐいながら父上は微妙に笑う。おそらく父上自身も『マルシェル家の昔話』とやらに思うところがあるのだろう。
「いくら中央から監視されようが、マルシェル家はマルシェル家の、エヴァンはエヴァンの道を行くしかないからね。あまり気にしても仕方がないよ。それにマリクリアは住民同士の距離が近い街だ。中央の間者がいたところで動きにくいだろうね。街中が顔見知りだらけだから他所から来た者はすぐに分かる」
マリクリアに入り込んだ間者の苦労を想像してか、楽しそうに笑う父上。
しかし、すぐにいつもの穏やかな表情に戻って言う。
「ただ、注意を怠ってはいけないよ。隠し事は隠しとおすものだ」
それは父上らしい、ごく自然で力の抜けた警告だった。
「心得ました。それでは明日は朝からヴェスパ湖まで出かけてきます、極秘で」
極秘、という言葉で父上はまた楽しそうに、少しだけ寂しそうに笑った。




