63.カワイイは正義
「ふた月も留守にしてしまった。こちらは大丈夫だったか?」
「はい、特に大きな問題はありません。エヴァン様に託された大切な役目ですから、私が問題なんて起こさせません」
アンナはにこにこと笑顔だが、言ってることはなかなか勇ましい。本当に私は要らないんじゃなかろうか?
「エヴァン様の方こそ、帝都はいかがでしたか? そのお顔ですと成果は上々といったところでしょうか?」
え、私はそんな顔してるか? 驚いて思わず自分の顔に手をやってしまうが、それを見てアンナはうふふと微笑む。
「顔に書いてあるわけではありませんよ。エヴァン様ならきっと使命を果たしてくるって勝手に思っているだけです」
「ずいぶんと期待されたものだな」
「それはもう、エヴァン様ですから!」
なんの理由にもなっていない答えを返しつつもアンナの表情は自信に満ちていた。そんなに無条件に信頼されても困ってしまうのだが、応えなくてはならないよな。アンナはいつも頑張ってくれているのだから。
「まあ、確かに成果はあった」
私は帝都までの旅路、裏オークションのこと、そして魔石を入手した経緯をアンナに説明した。
盗賊に襲われた話では憤り、裏オークションで子供が売買されていた事に悲しみ、そして魔石を入手したことに喜んでくれた。
ころころと感情が入れ替わる彼女を見ていると、とても領内随一の才媛とは思えない、ごく普通の女の子にみえる。
「そういうわけで、今回入手した魔石が一等級相当なのかどうか、すぐにでもヴェスパ湖に行って確かめてこようと思う。今からなら急げば暗くなる前にヴェスパ湖に着ける」
ただし、また湖畔で野宿することになるが。まあ、マルスがいれば何とでもなるだろう。
「え、今から向かうのですか? せめて今日一日くらいは休んでください」
すぐに出立しようとする私を引き留めるアンナ。
「そんなに急がなくても神様は怒ったりしません。エヴァン様が身体を壊される方が心配です」
「その気持ちはありがたいが、少しでも早く神託を片付けたくてな」
「休める時はちゃんと休んでください。私には百年先の世界よりも今日のエヴァン様が大切です」
あ、この有無を言わせない感じは逆らってはいけない時のアンナだ。ここは引いておくか。
「ありがとうアンナ。そうまで言われては休まないわけにはいかないな。正直に言うと旅の疲れを感じていたところだ」
「良かった。嬉しいです、エヴァン様」
ずっと馬車に乗っていたので、どちらかというと乗馬の旅で身体を動かした方がいいような気もするが、アンナが喜んでいるので良しとしよう。
「それで、さっき話したオークションで保護した子供たちともう一人についてなんだがな」
「はい、今応接室にいるのでしたね? すぐにここを片付けますので待ってください」
そういうとアンナはテーブルの上にあった書類を片付け始めた。その間に、私は例の革鞄を戸棚から取り出して素早く魔力を通して開錠した。これは以前使っていた普通の魔法錠の鞄ではなく、一等級魔石を保管するために作った特別製の鞄だ。
一般的な魔法錠とは違い、この鞄には対となる魔法鍵は無い。施錠や開錠をする度に私が特定の波長の魔力を流すことによって錠が作動する。つまり私にしか開けられない魔法錠だ。
そもそも『特定の波長の魔力』なんてものを操作するには相当な修練が必要になる。おそらくこんな面倒な事をしているのはよほど用心深いか、よほど変人の魔法使いだけだろう。ちなみにマリクリア大学のガドム老師も同じことをしている。というか、老師がやっていたことを私が真似したんだが。
鞄の中身を確認すると、ちゃんと二つの魔石が革袋に入って収まっていた。私は懐から三つ目の魔石が入った袋を取り出し、鞄に入れた。再び魔力を流して施錠しておく。この鞄の中身だけで金貨が三十万枚相当の価値か……。うちの領地なら二十年以上税金なしでやっていけるな。まさに歴史的宝物。金貨がざくざく……。
「エヴァン様、片付けが終わりました」
「あ、ああ。すまない考え事をしていた」
あたふたと戸棚に鞄を仕舞う様子を、アンナがじっと見ている。
「エヴァン様、お気持ちは分かりますが、その魔石は売れませんよ?」
「わ、分かっている。あまりの価値の高さに責任の大きさを感じていたところだ」
「そうですか。てっきりご自分のお小遣いの事を考えていたのかと」
なんで考えている事が分かるんだ? フィロメナもそうだが、私の周りには心が読める女性が多い。
「そんなことは決してないぞ。あ、そういえば帝都に行っていた間の私のお小遣いは?」
「もちろん取っておいてあります。でもいくつかのお店からツケの精算を求められたので、支払っておきました。残りは小金貨一枚程ですね」
「一枚……。もう少し融通してもらうわけには?」
「使い道をおっしゃってくださればいくらでも」
にこにこ。
「いや、とりあえず大丈夫だ。ありがとう」
アンナの笑顔を直視しないようにしつつ、私は執務室の扉を開けた。
そこには当然のように専属執事が立っている。
「小金貨様、もといエヴァン様、応接室に向かわれますか?」
酷い。いくら何でもそれは酷すぎるぞ、マルス。
応接室にはクラム、イリス、ナギ、そしてミャルが待っていた。
いや、待っていたのはクラムとイリスだけで、ナギは茶菓子を食べるのに忙しかったし、ミャルに至ってはちょうど窓から外に出ようとしていたところだった。
「なぜ脱走しようとしてるんだ」
「ちょっと外に出てみたかっただけニャ」
「とりあえず座ってくれ。みんな、私付きのメイドで一等文官でもあるアンナだ」
アンナが進み出て綺麗なお辞儀をする。
「アンナと申します。不肖ながらエヴァン様の補佐をさせていただいております」
「補佐とはいうが、アンナはとても優秀でな。いまやマルシェル領統治の要だな。どうしたクラム?」
口が半開きになっていたクラムが、ハッとして起立する。
「クラムです。頑張って働きます。なんでもします」
「うふふ、クラムさんですね? よろしくお願いします」
アンナに笑顔を向けられて目が見開いているクラム。なんだか色々と抜け落ちた自己紹介だったが、やる気だけは伝わったな。それにしてもこれは……、
「クラムのやつ、アンナに一目惚れしたか」
マルスに小声で話しかける。
「まあ無理もないでしょう。ここまで周りにいたのはレイチェルお嬢様、フィロメナさん、リセリエ殿、ミャルさんですから」
「普通に綺麗な年上の女性がいなかったということか」
クラム、気付いていないようだが隣に座っているイリスの目が冷たいぞ。あいつもこの先苦労しそうだな。
「私はイリスといいます。クラムやこっちのナギと一緒にエヴァン様に救われました。恩返しできるように頑張ります」
イリスも立ち上がって挨拶をした。若干、態度が硬いのは気のせいか、クラムのせいか。
「はい、イリスさん、よろしくお願いしますね」
アンナは相変わらず笑顔だ。次はナギなんだが……。
「ナギ、挨拶できるか?」
菓子を食べ続けていたナギは、私が声をかけるとぴたりと動きを止めた。そして、菓子を置いて立ち上がり、アンナの前までトコトコと歩いて来たかと思えば、じぃっとアンナの顔を見つめていた。
「ナギ、こっちはアンナだ。挨拶は?」
「ナギです。よんさいです。好きなものはごはんです。よろしくです」
ナギはぺこりと頭を下げてから自己紹介をした。
「そうだよく言えたな、偉いぞ」
帝都からの帰路で、子供たちには雑談しながら様々な事を教えたが、ナギにはとにかく挨拶ができるようにとか、食器を使って食事をするといった本当に基本的なことを指導した。なにせ焼いた肉でも手掴みで食べようとしたからな。
ちなみに年齢は適当に決めた。何の手掛かりもないから仕方ない。
挨拶されたアンナはナギの前で膝をついた。目線の高さが同じくらいになる。
「ナギちゃんですね。長旅ご苦労様でした。エヴァン様に出会えて良かったですね」
「うん、ご飯いっぱいで嬉しい。エヴァン大好き」
「あら、私もエヴァン様が大好きですよ。同じですね」
「そっかー。じゃあおんなじだ」
「はい、おんなじです」
アンナとナギは両手を繋いで「おんなじ、おんなじ」と楽しそうに唱えた。
それを何回か繰り返した後、ナギは何事もなかったように席に戻り、また茶菓子を食べ始めた。
「伝通鳥に書いたが、ナギだけは出自がさっぱり分からない。浮浪児だったらしいからな」
「はい、知っています。でも大丈夫ですよ、ここはマルシェル子爵領ですから」
アンナはナギを見つめながら言った。目には統治者としての覚悟と信念の光が宿っている。
「ああ、そうだな。我々でナギたちを幸せに……」
「それにエヴァン様が救い出したナギちゃんを私がお世話をするとなれば……、うふふ、これはもう実質エヴァン様と私の子供という事に……!」
あれ、おかしいな。アンナの目に宿っていたのは偏愛と妄執の闇かもしれない。
異様な気配を漂わせるアンナに、クラムはまた目を見開いて驚き、イリスは澄ましてお茶を啜り、ナギは食べる手を止めてアンナを凝視する。
「アンナ、なんかこわい」
ナギが一言で斬り捨てた。これはさすがにアンナが悪い。
「ま、まあ、そういうわけでアンナ、クラムとイリスが住み込みで働けるところを探してやってくれないか? できれば学校にも通わせたい」
「え? あ、はい、承知いたしました。すぐに探します」
自分の世界から帰ってきたな、アンナ。
「ナギは、まあ孤児院に入ることになるか。マレーネ先生に受け入れできるか聞いてみてくれ」
「え、ナギちゃんは私が……」
何か言おうとしたアンナだが、当のナギが口を挟む。
「ナギはごはんがあるならどこでもいいよ。遊びに来るし」
「ということだ、アンナ。諦めろ」
「……わかりました。そのように手配します」
すごく残念そうだが、本人が言うのではどうしようもないな。
さて、次は問題の猫だ。
「で、アンナ、こっちがミャルだ。彼女も裏オークションで売られそうになっていた」
「ミャル・ミャルナ・フォナルだニャ。よろしくニャ」
「アンナです。よろしくお願いします、ミャルさん。話し方からすると、もしかして大陸外の出身ですか?」
「当たりニャ。ミャルはソルタリアから来たニャ」
「ソルタリア……。南の海の彼方ですね」
「何日もかけて船で来たニャ」
密貿易船に忍びこんだ密航者だということは、黙っておくか。
「アンナ、ミャルの問題はこのフードの中にある」
私は、ミャルがずっと頭に被っているフードを指差す。
「はい、お部屋の中でもフードを被っているので気にはなっていました」
「そうだよな。ミャル、フードを取って見せてくれ」
「やっと脱げるニャ? 暑かったニャ」
やれやれと言わんばかりの態度でミャルがフードを取った。
そして露わになるのは、白い毛に覆われた大きな猫の耳。ミャルが人間ではなく獣人である事の証だ。
「これは……!」
さすがにこれは予想外だよな。アンナは驚きのあまり声を失ったようだ。視線がミャルの耳の一点に注がれる。
「ああ、驚いただろうがこの通り、ミャルは獣人……」
「かわいい!」
「んん?」
かわいい? いや、そうじゃなくてミャルは獣人で、
「すごくかわいいです! え、獣人? 本物ですか? そんなことより耳に触らせてもらっていいですか?! ちょっとだけでいいですから!」
「別にいいけど、耳がそんなに珍しいニャ?」
「珍しい、じゃなくてかわいいんです! ああ、やっぱりふわふわ!」
何故か大喜びのアンナがミャルの耳を撫でている。対照的にミャルは無表情でされるがままだ。
「エヴァン、この子ちょっと変わってるニャ」
「普段はこうじゃないんだけどな。ミャルに言われるとは余程の事だな。ほら、アンナ、少し落ち着け」
「ああ、もう少し……」
しつこく撫でまわそうとするアンナを、私とマルスが二人がかりでミャルから引きはがした。クラムが口を半開きにしてこっちを見ている。すまんなクラム、お前の一目惚れの相手は一筋縄ではいかない厄介なお姉さんだぞ。
どうにかアンナを落ち着かせてミャルの置かれている状況を説明する。
つまりミャルが獣人であるために働くことはおろか、自由に出歩くこともできないということ。
「ミャル、つまり獣人は帝国内では実在を疑われるほど珍しい。しかも女性。いくらマリクリアの治安が良いとはいえ、街に出たりするときは耳と尻尾を隠してもらうしかない」
「尻尾もあるんですか!?」
うん、アンナ、問題はそこじゃない。
「帝国っていうのは面倒な所だニャ。隠すのはまあいいけど暑いのは勘弁してほしいニャ」
ミャルもさすがに滅入っているようだ。
「そういうわけでアンナ、屋敷の中だけでもミャルを自由にしてやりたいんだ」
「それはお願いしたいニャ」
相変わらずミャルの耳をじっと見つめるアンナ。でも興奮していたさっきまでと違って、今はなにか考えている目をしている、ような気がする。
そしてアンナは、うん、と小さく頷いた。
「エヴァン様、もしかしたら屋敷の中だけと言わず、マリクリアの中全部でミャルさんを自由にさせてあげられるかもしれません」
「なに? そんなことができるのか?」
「ニャ?!」
「にゃー!」
なぜかナギまで鳴き声を上げた。
「うまくいくかどうかはまだ分かりませんが、是非試してみたい案はあります。少しお時間をいただけませんか?」
珍しく慎重な言い方をするな。いったいどんな事を思いついたのだろうか。
「もちろん構わないが、何をするつもりなんだ?」
「それは、まだ内緒にさせてください。ミャルさん、少し私に付き合ってもらえませんか?」
「構わないニャ。どうせミャルはやることが無いニャ」
応接室の出窓に腰掛けて足をぶらつかせながらミャルが言う。
「はい、一緒に街に出ましょう。またフードを被ってもらわないといけませんが、薄い生地のフードを用意します」
「それはありがたいニャー。街は見てみたいし」
「クラムさん、イリスさん、ナギちゃんも一緒に行きましょう。歩きながらですがマリクリアの街を紹介します」
「え? ええっと、どうするイリス?」
「どうって……、付いていくしかないと思うけど」
若干戸惑うクラムとイリスだったが、アンナの勢いに押されて一緒に出かけることになった。
「マルスー、お外でるから肩車して」
ナギがマルスの執事服の裾をひっぱって要求する。
マルスが「どうしましょうか?」という表情でこちらを見るが、まあナギの言う通りにしてやろうか。
「構わん、マルス一緒に行ってやってくれ。お前とアンナがいれば私も心配しなくて済む」
「いえ、自由を与えられたエヴァン様が心配なのですが」
「少しは言葉を選べ。今日はさすがに屋敷で大人しくしている。父上に報告もしなければならないしな」
「アラニア様はお出かけになっておりますが」
「分かってる、そのうち帰ってくるだろう」
その後、アンナが引率する形でミャル達を街に連れて出て行った。
私は応接室に一人取り残された形になったが、久しぶりにマルスの監視の目から解放されたわけだ。
さて、それでは、
「酒場にツケを払いに行くとするか」
私は消音の結界を張って窓を開け放った。
二階にあるこの応接室の窓は、開ける時に少し音が鳴るので対策が必須だ。うちの使用人たちは耳がいいからな。
そして躊躇なく外に飛び出すと、浮遊の魔法を発動させて全く音を立てずに中庭に着地したのだった。




