62.柔らかな風の中で
そして、きっちりと四日後の昼頃にマリクリアに帰着した。
街の入り口でタバルたちをはじめとした隊商の皆と別れ、我々は街の中央部にある屋敷に向かう。
それほど長い距離ではないが、それでも大通りを歩けば領民たちが声をかけてくれる。
「きゃー、レイチェル様ー!」
「リッツさん、おかえりなさい!」
「フィロメナさん、今日も美しい!」
「リセリエちゃーん、かわいい!」
皆、大層な人気だな。
レイチェル姉上はもちろんだが、この町ではリッツもかなりの有名人だ。四級の冒険者でギルドの若き副長。しかも都会の流行にも詳しかったりするので、御婦人方からの人気は高い。
フィロメナもその儚げな美貌と佇まいで一部から熱烈な支持者がいるし、最近はリセリエも新人の女性重装騎士として応援をする者がいる。
そしてもちろん、私へ声をかけてくれるものもいる。
「エヴァン様、留守にしすぎですよ! エヴァン様の魔法がないと宿の洗濯物の乾きが悪いんですよ」
「エヴァン様、新作パンの実験台……、じゃないや試食してくださいよ」
「坊ちゃん! 帰って来たんなら宴会やりましょう! 坊ちゃんのおごりで!」
「エヴァン様、先月分の支払いがまだなんですが……」
なんだか私だけ世知辛くないか? 便利屋扱いされるのはまだしも、酒を集る奴までいるな! あと支払いに関しては忘れていた。すぐに届けるからアンナには黙っててくれ。
「にゃあ、ここがエヴァンの国ニャ?」
「だから国ではないと言ってるだろ。帝国の土地の一部を治めているだけだ」
「それは同じ部族でも別の村とか、そういうことニャ?」
「ああ、うん、もうそれでいい」
話しかけてくるミャルの相手をしながら歩いていると、周囲の話し声が聞こえてくる。
「ねえ、見たことない子がエヴァン様と歩いてるわよ。冒険者かしら?」
「ほんとね、もう暑くなってきたのにフード被ってるわ」
耳を隠すためにフードを被っているミャルが不審がられているな。確かにこの陽気ではちょっと不自然だ。
「ミャル、何も言わないから気にしてなかったが、そのフード暑くないのか?」
するとミャルが、ハッとした表情になる。
「暑いに決まってるニャ! ここまでずっと我慢してたニャ!」
ものすごい剣幕で怒られた。それならそうと言ってくれればいいものを。
「とはいえ、その獣人の耳は隠しておかないとな。ミャルの身の安全のためにもな」
「この村でも獣人だって隠さなきゃいけないにゃ?」
ミャルはとても残念そうだ。マリクリアでは獣人であることを隠す必要が無いと思っていたのかもしれない。気の毒だが、マルシェル領内でも獣人についての事情は変わらない。
「獣人だっていう理由で売られそうになっていたのをもう忘れたのか? あまり言いたくはないが、帝国ではミャルはとても高価な商品になってしまうんだ。誘拐とかされたくないだろ?」
「いまさらそんなのに付いていかないニャ。人さらいなんてミャルの拳で一撃ニャ」
そういうとミャルは空中に左右の拳を連続で繰り出す。尋常じゃなく速い。
「まあ力づくでミャルを捕まえられる者は少ないかもしれんがな」
私はすぐ後ろを歩いていたクラムの方を振り向いた。
そして尋ねてみる。
「クラム、お前ならどうやってミャルを捕まえる?」
実は帝都からの旅の間、クラムとイリスには機会があるごとに私から様々な質問をしてきた。川に見えれば『この川の幅はどれくらいか?』と聞き、街が見えれば『この街にはどれくらいの人が住んでいると思う?』と聞いたりした。
二人はその度に真剣に考え、自分なりの答えを返してくる。私の出す気まぐれな質問に面倒がらずに正面から取り組んだ。
貧しい農村で育ったいうクラムとイリスだが、決して知能が低いわけではない。むしろ課題を与えてやれば大きく伸びると思う。今まで勉強する機会もあまりなかっただろうから、学ぶ事に貪欲なのかもしれない。
ちなみにレイチェル姉上に同じ質問をしてみたら、『知らないわよ、そんなの』というあまりにも予想通りの答えが返ってきた。
「ミャルを捕まえる必要なんて無い。炙った肉でもあれば勝手についてくる。と思います」
まだ慣れない丁寧な言葉づかいでクラムは答える。
「なるほど、確かにそれは上手くいきそうだな」
間髪入れないクラムの答えに、思わず吹き出しながらも納得してしまう。しかし、ミャルは不満顔だ。
「ニャ! 食べ物に釣られるミャルじゃないニャ!」
「じゃあソーセージとハムもつける」
「話くらいは聞いてやってもいいかニャ」
「クラム、ミャルがかわいそうだからやめてやれ」
ミャルが餌付けされないように気を付けなければならないな、などと考えているうちに屋敷前の広場に到着した。
やっと帰ってこれた。長い旅だった。
「レイチェル様、エヴァン様、おかえりなさいませ」
屋敷の正面扉を開けると、吹き抜けになっている玄関ホールに執事やメイドたち衛士が整列して出迎えてくれた。ざっと二十人程いる。
もちろん普段はこんな大仰なことはしないのだが、今回のように長い間留守にして帰ってくるとこういう出迎えをしてくれる。理由は知らないのだが。
並んでいる者達の中心にいる男が進み出てくる。
執事長ロベルトだ。
「おかえりなさいませ。さっそくですが旦那様に御帰還の報告を……」
「父上は屋敷にいらっしゃるのか?」
「いえ、ご自分の畑に出かけておられますな」
「じゃあ報告する相手がいないじゃあないか」
いつもの事とはいえ、父上の自由さには時折呆れてしまう。伝通鳥を時折飛ばしていたので、我々が今日帰ってくることは分かっていただろうに。
「それではもう一人の方に帰還の報告をお願いします」
「言われるまでもないな、アンナはどこに?」
「それが少し前から姿が見えないのです。屋敷にいるはずなのですがね」
「そうか。とりあえず執務室にいるからアンナがいたら来るように言っておいてくれ。あと、私の客たちは応接室に通しておいてくれ。事情は伝通鳥で伝えた通りだ」
「かしこまりました」
こういう出迎えにアンナがいないのは珍しいな。もしかしたら来客でもあったのかもしれないな。
私はミャルやクラム、イリス、ナギと別れ二階の執務室に向かう。レイチェル姉上は着替えのために自室に向かったようだな。
執務室には二つの魔石を収めた魔法鍵付きの鞄がある。
今、私の懐には例のオークションで手に入れた魔石があるが、とりあえずこれを仕舞っておきたい。
見た目は小ぶりな革鞄だが、私が丹念に硬化や施錠の魔法を付与したので、ちょっとやそっとでは中の魔石は取り出せないようになっている。ここまでやるとちょっとした金庫だな。
神託を受けるまでは、ほとんど私室同然になっていた執務室のドアを開ける。
するとそこには……、
「アンナ、ここにいたか」
ドアのすぐそばにあるソファに横たわってすやすやと眠るアンナがいた。
ソファの前にあるテーブルには書類の束。
柔らかな風が窓から入って、書類を小さく揺らしていた。
あまりにも平和な光景に、私は部屋に入ることなく立ち尽くしてしまっていた。
「やっぱり疲れているんだろうな……」
世界の為、子孫の為という大きすぎる目的のために領主代行の仕事をアンナに丸投げしたのは他ならぬ私だ。いくら才媛とはいえ、年下の少女に重荷を背負わせてしまっている。
アンナの休息を邪魔する権利など、無いな。
「すまない、アンナ」
私は思わずちいさな声でアンナに謝ってしまう。
そして音をたてないようにそっと執務室に入ろうとしたその時、ぱちりとアンナの目が開いた。
「……」
「……」
目があったまま沈黙が流れる。
寝そべった姿勢のまま、アンナの目がキョロキョロと周りの状況を確かめ、そして再び私と目が合う。
「……」
「……ただいま」
私がそう言った瞬間、アンナがガバッと身体を起こし、ものすごい速さでこちらに走って来たかと思えば、
「やり直しです!」
そういって力の限り強く、速くドアを閉めた。
ドカン! という大きな音が屋敷の廊下に響く。
この屋敷のドアはレイチェル姉上が乱暴に開け閉めするせいで、ことごとく頑丈に作り直されている。
そんな重量物といってもいいドアが閉められた。そして、執務室の入り口に私は立っていた。
「危ない所だった……」
今、私の鼻先には執務室のドアがある。
間一髪ぶつからずに済んだ、わけではない。顔面にドアがたたきつけられる寸前に、物理障壁の結界を張ったのだ。
危うく神託成就を目前に殉教者になるところだった。大型投石機の攻撃でも防げる結界だが、多分、今までで一番早く発動できたと思う。
そういえば師匠が『死にたくないと思う心が人を成長させる』とか言っていたな。あれは正しかったのか。いや今はどうでもいいな。
とりあえずドアをノックしてみる。
「アンナ? 入っていいか?」
声をかけてみると、中からいつものアンナの声が返ってくる。
「どうぞ」
そおっと扉を開けると、アンナがすました顔で立っていた。
「おかえりなさいませ、エヴァン様」
「ああ、ただいまアンナ」
「御帰着を心待ちにしておりました。……なにかご覧になりました?」
「いや、何も見ていないな」
「そうですか。それは良かったです」
ものすごく微妙な空気が執務室に流れたが、私とアンナは全力でそれを無視するのだった。




