61.ひっそり、こっそり
「何度でも言いますが、姉上はまず自分の酒の弱さを自覚していただきたい」
「……はい」
「酒精の弱いものならともかく、蒸留酒や火酒などは禁物です。ましてや一息で飲み干すなどもってのほか」
「……はい」
「しかも宿泊させてもらっている騎士爵家であのように暴れられては、マルシェル家の威光に大きな傷を遺してしまいます」
「……はい」
開拓村のドミトで、強い酒を飲んだレイチェル姉上。
ふた月程前にノイルの町の宿屋に泊まった時は、グラス一杯の果実酒ですっかり出来上がっていたが、今回はその果実酒よりも何倍も強い蒸留酒だ。
飲み干したその後は、もう筆舌に尽くしがたい有様だった。
「久しぶりにレイチェルがお酒飲んだところ見たけど、相変わらずねぇ」
馬車の中には、私とレイチェル姉上、そして説教の補佐役としてフィロメナが同乗していた。マルスは例によって、御者のオーストの隣に座っている。
「暴れなかったのは褒めてあげてもいいけど、大勢の人の前で服を脱ごうとしちゃだめよ」
「でもねメナ、私は全然覚えてなくてね……」
「それが酒の恐ろしいところなのですよ、姉上」
さすがに貴族令嬢が人前で肌を晒してはまずい。嫁ぎ先とか、お見合いがどうとか言っていられない。
「とにかく、姉上はしばらく禁酒していただきます。どうしても飲みたければ屋敷で飲んでください。執事長の監視付きですが」
そういうと御者席のマルスが小さく吹き出したのが分かった。
「嫌よ、ロベルトが目の前にいたら、お酒なんか飲んでも楽しくないわ」
「ロベルトさんもレイチェルの相伴はしたがらないと思うわよぉ。まあしばらくは大人しく反省してなさいな。そのうちレイチェルでも美味しく飲めるお酒を出すお店探しておくわ」
「ありがとう、メナ! やっぱり持つべきものは親友ね」
喜んでフィロメナに抱きつく姉上。お互いの金属鎧がぶつかって鈍い音を立てる。
「甘やかすなよ、フィロメナ。姉上、今回の事は父上たちにも伝えますからね。そちらからも説教は覚悟しておいてください」
「はーい」
「返事は短く」
「……はい。エヴァン、もう堪忍してよぉ」
反論できないレイチェル姉上に、ここぞとばかりに説教をする。
実際必要だからそうしているわけだが、これがなんとも気持ちがいい。
普段は傍若無人で、他人の、というか私の言う事などろくに聞いてくれないので、こういう機会は貴重だ。
もうちょっといじめ……、いや深く釘を刺しておいてもいいかな、嫡男として。
「エヴァン様もそれくらいにしておきなさいな。後が怖いわよぉ?」
「なんで私の考えていることが分かるんだ?」
「さあ? なんででしょうねぇ」
この掴みどころのなさがフィロメナなんだが、やっぱりいつまでたっても子ども扱いされてる気がする。やはり子供の頃に面倒を見てもらった相手には、大人になっても頭が上がらないものなのか。
「ところでフィロメナ、リッツを呼んできてくれ。ちょっと話がある」
「はーい、呼んできますわね」
「あ、メナ、私も行くわ」
動いてる馬車の扉を開けてさらりと降りていくフィロメナと慌てて後を追う姉上。行儀の悪い上に危ないことだが、鍛えられている二人の剣士に気にならないらしい。扉は開けっぱなしだが。
そして間もなく、リッツが馬車までやって来た。
「坊ちゃん、呼んだっすか?」
馬車の窓越しにリッツが声をかけてくる。
「ああ、呼んだが、どうしたんだその格好は」
リッツはなぜかナギを肩車して現れた。リッツは微妙な表情をしているが、ナギはとてもご機嫌だ。
「いやぁ、昨日はちょっとした宴会だったでしょ? 振る舞い酒もあって」
「その酒のおかげで、姉上の嫁の貰い手を心配することになったがな」
「まあ、見てる分には眼福だったっすけどね」
いますぐその記憶を消す魔法はないものか。……ダメだな、記憶と一緒に肉体が消し飛ぶような魔法しか思い当たらない。
「あはは、がんぷくー」
「ナギ、そんな言葉はまだ覚えなくていいぞ」
「で、宴会で盛り上がるかと思って、ちょっとした芸をしたら子供たちにやたら懐かれたっす」
「芸? そんなことできたのか」
「短剣でお手玉するやつっす」
ああ、野営の時にたまにやってるあれか。器用なことだとは思っていたが、宴会芸になるほどだったんだな。
「松明とかでもできるっすよ」
「そうか、その話はまた今度聞こうか。とりあえず馬車に入ってくれ、リッツ。ナギは御者台に座ってみるか? 肩車よりは景色がよく見えるぞ」
「うん、すわる。マルスのところがいい」
「はい、ナギさん。こちらへどうぞ」
リッツに抱きかかえられて御者台に乗ったナギは、マルスの膝の上に乗った。
意外な事にマルスは子供の面倒見が良い。というか、相手が子供でも執事として丁寧に接するというのが正確か。
クラムやイリスはその慇懃な態度に委縮してしまうようだが、ナギからすると単にやさしい大人という事になるらしい。
そんなわけでナギはやさしいマルスと御者ごっこに興じ始めた。
ちなみにそのやさしそうな執事服の男は、武器やその他諸々を隠し持った危ないやつだぞ。
「それで、坊ちゃん。話ってのは?」
「ああ、マリクリアについた後の話だ。とりあえず窓を閉めてくれ」
聞かれても大した問題はないと思うが、用心はしておかないとな。
私に相対するように座ったリッツは、自分の背後にある小窓を閉めた。普段はその小窓を通して御者と話している。
「マリクリアに帰ったら、さっそく神殿の建設に取りかかりたい」
「ずいぶん急ぐっすね。別に急かされてるわけでもないっすよね?」
「ああ、おそらく十年やそこらかかっても構わないんだろう。なんせ神様からの言いつけだからな。時間の感覚が違う。だが、だからこそさっさと片付けてしまいたいんだ」
なにせ子供が生まれなくなると脅されたのは、百年先の未来だ。気の長い神様に付き合っていては、いつまでも終わらない。
「坊ちゃんにかかると、神託も仕事みたいになるっすね。ギルドは何をすればいいっすか?」
「魔物由来の特殊な資材は建設のギルドや工房から発注がいくから、それはそれで便宜を図って欲しいんだが、私から頼みたいのは情報の操作だな。あまり神殿を作っていることを知られたくない。ひっそりとやりたいんだ」
大っぴらに神殿を建てるとなるとアルテス神教団が黙ってはいない。
マリクリアにある教団支部は、支部長である司祭が人格者だという事もあってマルシェル家とはいい関係を保っている。私が子供の頃に神像を壊してしまった時も笑って許してくれたしな。笑顔が強張っていたような気がするが、まあ気のせいだろう。
しかし、問題は中央だ。
新しく神殿を建てるにあたって、強欲な中央の神教団が寄付金を吹っ掛けてくるのは間違いない。
普通の神殿を建てるのであれば、そういう費用も仕方ないところかもしれないが、これから建てようとしているのは神託を受けた神殿、言わば聖地を作ろうとする行為だ。
アルテス神教団がこれを是とするか非とするか分からない。何となくだが、排除する動きが出そうな気がする。そうなると要求される寄付金がどれほどのものになるか想像がつかない。神教団の上層部なんてのは既得権益に塗れた奴らの巣窟だからな。
実際、マルシェル領からも毎年多額の寄付金が神教団に流れている。金を渡すたびにマリクリア支部長の司祭は恐縮しっぱなしだが。
「いつの間にか小さな神殿が建っていて、いつの間にか巡礼者が増えて、仕方ないから領主であるマルシェル家が援助して、アルテス神教団が仕方なしに追認する。そういうのが理想だな」
「いやぁ、そんな都合よくいくっすかね?」
「確かにそんなにうまくいくとは思えない。しかし、神託を受けたマルシェル家の嫡男が大々的に神殿を建てるとどうなると思う?」
「まあ大騒ぎっすね。領民は喜ぶんじゃないすかね? 領主の若様が神託の英雄になったとなればちょっとした祭りになるっすよ、きっと」
それが困るんだ。そんな目立ち方をして厄介事が起きないはずがない。
これが帝室の誰かが神託を受けたとか言う話なら、神教団も一緒になって大いに宣伝しそうなものだがな。
私の脳裏にふと、崩壊した裏オークション会場で会った皇子の顔が浮かんだ。セレン……なんとか皇子だ。名前忘れたな。セレン皇子としか覚えていないけど、まあそれはどうでもいい。
「神殿が有名になって神託が成就するとなれば、神様は喜ぶかもしれんが領民にとって良い事ばかりとは限らない。ひっそり建てて、裏から支援してじわりじわりと民衆に知られていくのが一番いいんだ」
「神託によって建てられる神殿とは思えない地味さっすね」
リッツは少し呆れ顔だ。ギルドの苦労人とはいえ、やはりリッツも冒険者だからな。仕事に見合った評価を受けたい気持ちはあるだろう。
しかし、リッツは少し考えて小さく手を叩いた。ポンと乾いた音が鳴る。
「でもまあ了解っす。坊ちゃんがそうするべきだと思うならそれがきっと正解っす。神殿建設となるといろんな噂が出てくると思うっすけど、冒険者ギルドから偽情報を出したりすればかなり攪乱できるっすよ」
噂やら情報が他領に漏れるとすれば、冒険者か商人のどちらかからだろうな。
冒険者ギルドの方はリッツとギルド長であるグラントの親父さんに任せるとして、商業ギルドの方は私が直接出向く必要があるだろうな。協力してくれるとは思うが、こういうことはやはり直接会って頼まないとな。
「もうひと頑張りだ、リッツ。運にも助けられたが、危ない橋を渡りながらここまで来たんだ。仕上げまで気を抜かないようにな」
「はいはい、気を抜かずに、こっそりと、っすね。大変だなぁ」
リッツはそう言って疲れた顔をしたが、すぐに楽しそうに笑った。
「これで神託成就で世界が救われて、めでたしめでたし、っすね」
「まあ例のオークションの魔石が一等級ならな」
自分の鑑定眼にいまいち自信がない。悔しいがマリクリアに戻ったらすぐにヴェスパ湖に行って、セルファスに見てもらう必要がある。
神殿建設の段取りも考えるとなかなか忙しくなりそうだ。
「全部上手くいったら、坊ちゃんは救国の英雄っすね。鼻が高いっすよ」
英雄? 何を言ってるんだろうか。
「それは神託を受けたことを公言すればの話だろう? さっきも言ったが、そんな気はさらさら無いぞ」
「レイチェル様なんかは有名になりたがると思うっすけどね」
「ああ、酒癖の悪い伝説の冒険者様か。申し訳ないが神託とは別に冒険者として地道に実績を積んでもらうしか無いな」
なにせこっちは世間には全て秘密だからな。
それに、
「そもそも私は英雄なんて柄でもないしな」
「え、そうっすかね?」
「そうだ。むしろそんなものからは最も遠い人間だと思う」
「ずいぶん謙遜するっすね。自分はやっぱり誰かに聞いてほしいような気がするっす。あ、もちろんそんな事しないっすよ? でもモテるってんなら、どうしようかなぁ」
確かに苦労するだけでは割に合わない気はするだろうな。
「魔石を隠蔽している以上、神殿が有名になっても黙っててもらうしかないんだがな」
「ええ、それじゃずっと誰にも言えないってことじゃないっすか。せっかく世界を救おうってのに、誰からも感謝されないって寂しいっすね」
「そうかもしれないが、なにせ事が大きすぎるからな。知られても面倒なことにしかならないと思うぞ」
平和と平穏が何よりだ。
私は姉上とは違う。事件や騒動は起こらないに越したことはない。その平穏の中にだって、日々色々な出来事が起こるのだから。
「あ、そうか。坊ちゃんは周りにいる人が次々に事件を起こすから退屈しないんすね。レイチェル様とか、あとレイチェル様とか」
「他人事だと思って言いたいこと言ってくれるな。しかも本当の事だしな!」
一度、レイチェル姉上の弟として生まれてみればいい。何なら代わってやろうか? あ、でも冒険者ギルドでグラントの面倒見るのも大変そうだな。やっぱりやめておこう。
「……お前も苦労してるんだよな」
「何っすか、いきなり。そんな憐れむような目で見ないで欲しいっす」
こんな他愛もないやり取りをしながらも、馬車は着実にマリクリアに向かって進んでいく。
故郷まであと四日というところか。
アンナが首を長くして待ってるだろうな。




