60.ドミト村の一日
マルシェル家の馬車が率いる隊商は、順調に街道を進み、ルード公爵領を進み、ホグス子爵領を進み、ルイエズ伯爵領の先の森林地帯に到達した。
街道上には各領地の領都をはじめとしていくつもの町や村を通過することになる。クラムたちの後学のために、ゆっくりと見物させてやりたいところだったが、神託の探求団としても、また隊商としてもあまりのんびりはしていられない。宿泊する宿屋の周辺を一緒に散歩するくらいの事しかできなかった。ナギはそれでも楽しそうにしていたが。
今進んでいるところはちょうど往路で正体不明の盗賊に襲われた地だが、帰りの道程では何事もなく通り過ぎることができた。
あのとき襲ってきた盗賊達。おそらくは元軍人か傭兵か、というところだが、彼らはまだ生きているのだろうか? いや、考えても仕方ないか。
盗賊に襲われたことにより、我々の動向を監視する者の存在が浮き彫りになったが、正体は未だに判明していない。
「マルス、どうだ? 見張られているか?」
馬車の御者席に座っているマルスに尋ねてみた。
「いえ、気配は感じませんね」
しかし、マルスからは決まって同じ返事が返ってくる。
帝都を出てからほぼ毎日同じやり取りを繰り返している。油断してはいけないのは分かっているが、正直飽きた。
「監視対象から外れたのか? いや、楽観しすぎか」
「遠見の魔法でも使われると私では気付けませんがね」
マルスが肩をすくめる。
確かに魔力をほぼ持たないマルスでは、魔法による監視には歯が立たないだろう。
だが、そこは私が補える。
「移動中は私がずっと魔力感知の結界を張っているからその心配はない。薄い結界だが範囲は広い。探知漏れはあり得ない」
隊商の列を丸ごと覆うような大きな結界だ。
通常、いくら薄いとは言えこれほどの大規模な結界を張ると、せいぜい一時間で魔力が切れてしまうものだが、私の場合は全く問題がない。探知結界ごときで魔力切れを起こすほど、甘い鍛え方はしていないからな。
「エヴァン、もう盗賊は出てこないの?」
一緒に馬車に乗っているレイチェル姉上が退屈そうにしている。
「そんなにホイホイと盗賊に狙われてはたまりませんよ。もうすぐ森に入るとはいえ主要街道なんですから」
「だって退屈なんだもん」
「確かに退屈ニャー。モンスターとか全然出てこないとかソルタリアじゃ考えられないニャ」
話が聞こえたのか、外にいたミャルが馬車の窓から首を突っ込んで話に割り込んだ。
「そんなに魔物だらけなのか。どんな島なんだソルタリアってのは……」
「いいわね、そっちのが面白そう」
モンスターだらけってところに姉上が反応する。まずい兆候だ。姉上を退屈にさせるとろくなことが無い。それはもう長年の経験と実績により明らかだ。
「モンスターならたまに現れてるじゃないですか」
「一日一回出くわすかどうかじゃない。しかも鹿とか犬とかだし」
ちなみに姉上の言う鹿とは、巨大な角を持つ牡鹿のモンスターでレイジングバック、犬とは荒野を群れで駆ける犬型モンスターのダストランナーのことだ。
どちらも攻撃性がそれほど高いわけでもなく、相手が手強いと見ると逃げるくらいの知能はある。
まあ逃げるからこそ姉上の不満は高まっていくわけだが、暇つぶしに討伐されてはモンスターもたまったものではないだろう。
「これから森林地帯に入りますから、またモンスターに出くわすこともあるかもしれませんよ」
「森林地帯と言ったらあれよね、ドミトの村!」
「にゃあ? 有名な村があるニャ?」
窓から首を突っ込んだままのミャルが首をかしげる。
「有名というわけではないな。ただの開拓村だ。しかし帝都に行くときにはちょっと世話になった騎士がいるんだ。帝都からの帰りにも村に立ち寄る約束をしていたからな」
「ハジェムっていう騎士よ。ミャルもきっと気に入るわよ」
「ふーん? でも森の中の村なんて珍しくもないニャ。なにか面白い物あるかニャー?」
ミャルにとっては今まで通ってきた街の方が珍しいものなんだな。
しかし、開拓に邁進するドミト村の人々の活気は心地よいものと感じると思うんだがな。
「とにかく、ドミト村まではしばらく見通しのきかない森の中の道を進むからな。見張りは厳重に頼む。ミャルもしっかり頼むぞ。あと、いい加減に窓から離れろ」
さあ、開拓騎士ハジェムは元気にしているかな?
「おお! レイチェル殿にエヴァン殿! これは正に神の思し召し!」
結果から言うとハジェムは元気だった。だが、村の雰囲気には緊張感が漂い、ハジェム自身も甲冑を身に付けてすっかり戦支度だった。
「ハジェム殿、これは一体何の騒ぎです?」
「戦闘の準備ね! 敵はどこの誰なの?」
「姉上、軽々しく首を突っ込まないでください」
レイチェル姉上は先ほどまでの退屈はどこへやら、ハジェムに助太刀するつもりのようだ。
気持ちは分かるがハジェムはれっきとした帝国貴族であり、もし戦いをするというなら相手を確かめてからでなければならない。
まさかとは思うが、万が一貴族同士の争い事ならば、軽々にハジェムの味方はできない。世知辛いがこれが貴族というものだ。
「それがな、またフォッシルリザードが村の近くに現れましてな。もしかしたら前にレイチェル殿が仕留めてくれたあの魔物の番いかもしれん」
モンスターが相手か。人間が相手でなくてとりあえず良かった。
「え、フォッシルリザード……?!」
姉上のすぐ後ろにいたリセリエが声を上げた。そういえば、ヘビやトカゲの類が苦手だと言っていたな。
「モンスター退治ね! それなら私に任せて!」
例によって当然のように戦闘に参加しようとするレイチェル姉上。まあ今さら止めはしないが。
「リセリエも行くわよね?」
「え、あ、はい! もちろん」
一瞬ためらったな。仕方ない、ここは助けてやるか。
「姉上、リセリエは……」
「エ、エヴァン君?! ちょっと!」
リセリエは慌てて私の話を遮った。そして上目遣いで私をキッと睨む。
怒っている。これはしくじってしまったか。
その予感は正しく、ハジェムと簡単に魔物退治の段取りを決めたあとでリセリエに「ちょっと来て」と言ってみんなから少し離れた木の陰に連れていかれた。
「あー、リセリエ? 怒ってるのか?」
「怒ってるよ! エヴァン君、私の役目を何だと思ってるの?!」
リセリエは幼い顔立ちのまなじりを上げて私に詰め寄る。顔が近い。
「役目……。マルシェル子爵家叙勲の騎士で重装歩兵隊。守りの要だな」
「そうだよ! 今はレイチェル隊長の護衛でもあるの! だから当然魔物退治にも一緒に行くんだよ! トカゲが苦手とか関係ないの!」
「それは確かに……、そうだな。私が悪かった」
リセリエにはリセリエの役目があり、彼女はそれに誇りを持っている。
学生時代のような気安さで、そこに立ち入るのはリセリエにとっては侮辱に近い行為だったのだろう。
「分かってくれたらいいよ。あと、私が守る対象には当然エヴァン君も入ってるんだからね! ちゃんと貴族の自覚を持って! ちゃんと守られて!」
リセリエが私の眼前に人差し指を突き付けたので、思わずのけぞって首肯する。
「すまなかった、全面的に私が悪い。ただな、リセリエ……」
「なに?」
「ちょっと離れてくれないか? あらぬ誤解を招いてしまいそうなんでな」
ハッと気づいた様子のリセリエ。私はリセリエの怒気に押されて木にもたれているような姿勢で、私を詰めるのに夢中だったリセリエとほとんど体が密着している。
そしてこういう事を見逃さないやつがいるんだ。
「おやおやエヴァン様、リセリエ殿とずいぶん仲がよろしいようで。これは要報告ですな」
近くの木の陰から専属執事が現れた。それはもう晴れやかな笑顔で、だ。
「マルス、お前本当に楽しそうだな」
「ええ、もちろん。主の動向は把握しておきませんと」
「言っておくが、私は説教されてただけだからな」
「そうかもしれませんが、さて目撃者は私だけではありませんからね」
マルスが言うや、木の陰からフィロメナとリッツが現れた。皆揃って何してるんだか。
「いやあ、自分はマルスさん達を止めようとしたんスけどね」
「うふふ、リセったら大胆になったわねぇ」
しばらく呆然としていたリセリエだったが、状況を理解した途端に顔を真っ赤にして「じゃあそういう事だから!」と言い残して走り去っていった。
「そういう事とは、どういう事なんだ?」
私はフィロメナに聞いてみた。
「それはよくわかりませんけどぉ、つまりそういう事ですわね」
「さっぱり分からん……」
その後、ハジェム達はフォッシルリザード退治に出かけて行った。
レイチェル姉上、ミャル、リセリエがハジェム達についていき、私は留守番を引き受けた。万が一、フォッシルリザードか他の魔物が村を襲ったときの防衛隊だな。私とマルス、それにリッツもいるし戦力としては問題ない。
正直、人目が無ければフォッシルリザードなど魔法の矢の一撃で打ち抜いてしまえるのだが。
「エヴァン様、あれを」
隣に控えていたヴァルドが北東の空を指差した。見ると青い色の光が森の上空で輝いている。
距離は一キノメトルくらいか?
「青色の術砲だな。無事に退治できたようだ」
あらかじめ合図として決めていた術砲が打ち上げられた。青く発光しているという事は、フォッシルリザードを問題なく討伐できたという事だ。もし誰かが重傷を負っていれば、青と赤の術砲が同時に打ち上げられていただろう。
「素材の回収班に教えてやってくれ。皆待っているだろう」
「はい、怪我人が出なかったようで良かったですね」
「ああ、それが一番だな、まったく」
「リセリエが心配ですか?」
ヴァルドが至極真面目な顔で尋ねてくる。さてはフィロメナあたりから余計なことを聞いたな。
「マルスみたいなことを言うんじゃない。心配はしている、いつもな」
「少しでも心労を減らせるように努めます」
ヴァルドは一礼すると討伐完了を村人たちに知らせに走っていった。
フォッシルリザードを討伐したとなったら、また隊商の商人たちの買取交渉が始まるだろうな。またドミトの村の開拓資金になることだろう。金はいくらあっても足りないだろうから。
しばらく経つと、素材回収班と入れ替わりにレイチェル姉上たちが村まで戻ってきた。
「ただいまー。楽しかったわ」
人食いの大トカゲと戦ってきたとは思えない台詞を言いながら、姉上が意気揚々と歩いてくる。
その後ろにはミャルがいた。やたら大きな金槌を持っている。あれは戦闘用ではなく建設用だな。あんな物を持って行っていたのか。
「やっぱり拳で殴る方が戦いやすいニャー。うちの父ちゃんの真似してハンマー持って行ったけど、やりにくいニャ」
猫が何やら猫らしからぬことを言っている。どれだけ腕力に特化した種族なんだ。全然隠密とかやらないよな。そういう事が出来ないわけでもなさそうなのに。
そして最後にリセリエが歩いてやって来た。ずいぶん疲れた顔をしてるな。装備も汚れている。
「大丈夫か、リセリエ?」
「へへ、頑張ってきたよ。フォッシルリザードの牙とかバキバキ折ってやったよ」
リセリエは左手に装備した盾を掲げてニカッと笑った。小柄なリセリエの身体が丸ごと隠れてしまいそうなほどのカイトシールド。マルシェル家領兵団重装歩兵隊の制式の装備だ。
実はリセリエ用に小さめサイズを特注した方がいいんじゃないかと父上に言ったことがある。即却下されてしまったが。
「そうそう、リセってばすごかったのよね。その大きな盾でトカゲを殴り飛ばしてたのよ」
「うちの村にも盾で戦うおっちゃんがいるニャ。リセリエは小さいのに大したもんニャ」
「でも革が硬くて剣が上手く刺さらなくって」
「そういう相手こそぶん殴るニャ。頭を殴ればだいたいイケるニャ」
「リセ、関節の裏を狙うのもいいわよ。甲冑着てる人間と似たようなものだから」
「でもレイチェル隊長、重装隊だと『殴って倒して盾を振り下ろせ』って教わるんですよ」
どうやらリセリエがフォッシルリザード相手に大活躍したらしい。女性三人でキャッキャと戦闘を振り返っている。
美女たちがおしゃべりしてると思えば実に華やかなものだが、内容は極めて熾烈だ。たくましいにも程がある。
どうにも私の周りには強い女性が多いような気がするなぁ。
「いやぁ、レイチェル殿、またも助けられましたな!」
夕方になってフォッシルリザードの素材を剥ぎ終わったハジェム達が村に帰ってきた。
どうやら以前に退治したよりも大きな個体だったらしく、何人かの商人たちが共同でハジェムから買い取ったようだ。かなりの高値になったことだろう。
「さすがに今回はけが人が出るのを覚悟しておりましたが、さすがはマルシェル家の領兵団ですな。お見事でした」
「そんなの私は伝説の冒険者になるんだから当然よ!」
当然と言いながらとても得意気な姉上。
「エヴァン殿も留守居をさせてしまい申し訳ない」
「私は何もしていないが、役に立てたのなら良かった」
「今回もフォッシルリザードの素材を譲っていただき、誠に感謝の念に堪えません。これで開拓資金に少し余裕ができました。贅沢はできませんが、しばらくは村人たちにひもじい思いをさせずに済みそうです」
わははと笑うハジェム。この快活さが人を惹き付けるのだろうな。上に立つ者の姿として見習いたいものだ。
「レイチェル殿、エヴァン殿、このハジェム、恩は必ず返しますぞ。何か困りごとがあったら知らせてくだされ。きっと馳せ参じますゆえ」
胸をどんと叩いてハジェムが宣言する。
「ハジェム殿、お気持ちは嬉しいが卿はこの村を離れられないでしょう? 気になさらずこの村を発展させてください。どうしても恩を返すと仰るなら、それは子や孫の世代にでも受け取りましょう。何かあったらドミトに駆け込め、と家訓に書き加えておきます」
「お、おう、それは気が長いというか、逆に後が怖いというか……。さすがは名家の嫡男は違いますなぁ」
「大丈夫よ、うちには家訓が山ほどあるから、多分忘れちゃうわ!」
「姉上、そういう本当の事は言わないで下さい」
マルシェル家の家訓は『民を愛し、国を愛せ』だ。
しかし、それ以外に裏家訓とも言うべき歴代当主が遺した家訓や教訓が山のようにある。実際、いくつの家訓があるのかもはや誰にも分からない。
しかし、裏家訓の第一条は大昔からはっきりと伝わっている。
その家訓とは『人材は宝。宝は逃すな、絶対に』だ。絶対に、のあたりに歴代当主の本気さがこもっている。
神託の成就などという大きな目的のために帝都まで往復することになったが、このドミトの村での出会いはまさに宝だ。きっと後年に大きく結実するだろう。
今はまだ口約束でしかないが、こういう出会いを大切にしてきたからこそ今日のマルシェル家があるのだろう。
豪快に笑いながら友誼の酒を振る舞ってくれるハジェムを見ながら私はそう思った。
「……エヴァン様」
「何だ、マルス。いま私は家訓を改めて胸に刻んでいたんだが」
「それはよろしいのですが、レイチェル様が……」
「!! 姉上! その酒は!」
時すでに遅し。
気付けばレイチェル姉上が小さな盃で蒸留酒をあおっていたのだった。




