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海と少女  作者: 緋色ざき
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終焉

 どこで時間稼ぎをしようかという僕の悩みは、すぐに杞憂だと分かった。

 先輩と大家さんが事前に場所をピックアップしていたみたいで、僕と海里は最寄り駅から三十分ほどかかる大型ショッピングモールへ出向くこととなった。

 しかし、すぐに違う悩みが生まれた。僕らはともに昨日の空気を引きずっていて、電車での移動中、ろくに話せないでいた。話しはじめても、会話が続かない。

 まるで、卓球の初心者みたいな感覚だった。つながりのないおよそ会話とも呼べない言葉の応酬を繰り返すのみである。

 ひどく居心地が悪い。こんなの、いつもだったら絶対にあり得ないことだ。

 ショッピングモールについてからも、それは変わらなかった。

「海里、なに見に行こうか?」

「えっ、そうだね。服とか、見に行きたいかな……」

「服、いいね……」 

「う、うん」

 ぎこちないやりとりで、それすらもすぐに途切れてしまう。

 言葉をつなげようとしても、なんだか喉がつまってしまってなにも出てこない。もがけどももがけども、底なし沼のように抜け出せない。

 それから僕らは適当に服屋を見て回る。店員さんも僕ら二人の関係を図りかねてか、全く声をかけられることはなかった。ただ、無言で目的もなく、目の前の華やかな服の前を通過していくだけだった。 

 ひととおり見終わって、お店を出たところで海里が足を止めた。

「次、どうしよっか?」

 曖昧な笑みを浮かべる。その顔からは困惑が見て取れる。

「そうだね。ご飯でも、食べようか」

 僕は腕時計に目をやって、そう答えた。でも、別に時間がちょうどいいわけではなかった。針の示す時間は十一時半で、さすがに昼食というには早すぎる。

「そ、そうだね。それがいいかも」

 ただ、海里はそれに頷いた。いつもなら、まだ早いと言うところだろう。でもきっと、この空気がそうさせたのだ。

 それから、飲食店は下の階だよね、と僕に聞こえるように呟いて、近くのエスカレーターへと向かっていく。

 その背中を見ながら、思う。

 本当にこれでいいのだろうか。

 このまま、ぎくしゃくした関係が続くことを僕は容認できるのだろうか。そんなはずがない。では、もとの関係、これまでのつかず離れずの関係になればそれで満足できるだろうか。それもなんだかモヤモヤする。

 そもそも僕は、海里のことをどう思っているのだろう。

 答えはすぐに出た。またいつもの笑顔を見たい。そして、もっと深く知りたい。

「待って、海里」

 だから、僕は腕を掴んだ。離れていく少女に歩み寄った。

「どうしたの、一帆?」

 振り返った海里の顔は、きょとんとしていた。

 思わずその顔を見て笑みが漏れた。 

「えっ、なにかおかしい?」

 海里は不思議そうな顔で首を傾げる。

 でも、そうじゃない。これはおかしいのではなくて、ほっとしたのだ。なんだか、安心したのだ。そして、それはつい数日前と同じなのにひどく懐かしいような感覚だった。

「いやあ、そっか、そっか。なるほど」

 僕はなおも笑いながら噛みしめるように頷いた。この安心感は、僕の心をとても温かくする。

「もうなんだかさっぱり分からないよ」

 海里はそう言いながらも僕を見て笑っていた。

 ひとしきり笑って、それから僕はこう切り出した。

「海里のこと、教えてくれないか」

「うん、いいよ」

 きっとそれは、終わりを迎える合図だったのだろう。


「私はね、世間で言うところのお嬢様なのですよ」

 長話になるから、とモールのベンチに腰掛けて、海里が語り出した。 

「しかも、箱入り娘というやつなのですよ」  

 その話はいまの時代では荒唐無稽だけど、これまでの海里の行動に照らし合わせると、すんなりと自分の中に入ってきた。自転車に乗ったことがなかったのも、お会計をしたことがなかったのも、バスの乗り方が分からなかったのもすべて説明できる。

「私の家は先祖代々から続く財閥で、一帆も知っているくらい有名な企業なんだけど、祖父の代のときに跡継ぎに恵まれなくて、子供は娘が一人だったの。それが私の母で、それで、父が婿養子として嫁ぐことになったの」

「そうだったのか」 

 それだけの家を継ぐというのには、相当な人間性が必要だ。婿養子として嫁ぐことになった海里の父親は人格者だったのだろう。

 しかし、そんな考えは海里によって一蹴される。

「でも、当時祖父を初めとして周囲は大反対だったの。父は普通の家の出で、田舎出身の平凡な人だったから。父と母の出会いも、母が訪れた別荘の近くに父が住んでいて、仲良くなったって話だし。でも、母はそんな普通の、ある意味では特別な父に惹かれたみたいで、二人の仲は深まっていって、それで、私が生まれたの」

 最後の方は少し恥ずかしそうに小声になった。つまり、できちゃったというやつか。

 周りはきっと、なぜそんなどこの馬の骨かも分からないやつとと思ったはずだ。けれども海里の母親にとって、普通の世界を見せてくれる人間というのはすごい魅力的だったのだろう。

「祖父たちも初めは二人を引き離そうと思ったらしいの。でも、子供ができちゃったのと、父は勉強はからきしなんだけど、人との間に立って仕事をするのは得意だったみたいで、反対は多かったけど婿養子っていうかたちに落ち着いたの」

「そんなことが……」

 その話からするに、いまでもそれに反対する人間はいそうである。

 ただ、そんな父と母の間に生まれたのだから、むしろ健やかに暮らせそうなものである。

「でも、母は私を産んですぐに亡くなったの。父は母の後ろ盾が無くなって、数年後に追い出された。それで、私は祖父によって家に縛られることになったの」

 きっと海里の父親が追い出されたのは、母親の後ろ盾が無くなったからだけではないのだろう。

 海里の母が亡くなることで、海里は唯一の跡継ぎ候補となった。しかし、海里の父親がどう介入してくるかも分からない。それで、海里の祖父は目障りな父親を追い出したと考えるのが妥当なところだろう。

「それでね、自由に動けないこと以外はなに不自由ない生活だったんだけど、それが私には耐えられなかった」

 だから、家出したの、と海里は付け加えた。

 その家出は、自由を手にするためのものだったということか。そして、鮮やかな世界へと舞い降りることができた。

「詩乃にも手伝ってもらって、なんとかっていうかんじだったけどね」

 詩乃、というのは以前も海里の話の中に出てきた人物だ。察するに、おつきの人、といったところか。きっと、海里思いの優しい人で、海里が牢獄に閉じ込められていることに耐えられなかったのだろう。

「それで、海にいたのか」

 家出して、まず初めに海を見たかったのだろうか。

「うんうん、そうじゃないよ。海は、逃げ道だと思ってたんだ」

 海里は首を横に振る。

 僕は首を傾げる。いまいち、海里の言っている言葉の意味が分からない。家出に成功したのだから、それ以上、もう逃げる必要なんてないはずだ。

 それとも、

「まだ追われてる?」

 その恐ろしい結論が思いつき顔を上げると、吹き抜け空間の先の向かいの通路に見知った顔があった。眼鏡をかけたスーツ姿の女性だ。僕と目が合うと、途端に驚愕した顔になり、走り出した。

「うん、実はね――」

 僕の問いかけに答えようとした海里の腕をとっさに掴むと、僕は走り出した。

「ど、どうしたの、一帆?」

「いいから走って」

 あの女性は、海里を捕らえようとしている。そんな確信があった。

 しかし幸運にも、ここのショッピングモール。構造上、吹き抜けの作りになっていて真ん中は空いており、通路は一方通行である。あの女性は左から走ってきているのだから、僕らはその逆、右側へ走りながら階下へと降りていけばまず捕まることはないだろう。

 エスカレーターを目指して走る中で、僕はある違和感を覚える。やけに周りに黒服にサングラスをかけた人々が多い。私服姿の一般客はほとんどいなくなっている。

 しかし、なにかがおかしいと思ったときには、すでに遅かった。

 エスカレーターの前には黒服の屈強な男たちが立ちはだかっていた。すぐさま振り返り逃げようとするも、すでに周りを囲まれてしまっていた。

 その中でもリーダー格であろう男が一歩、前に出てきた。

「お迎えに上がりました。海里様」

「そっか」

 落ち着いた表情で、海里はそう呟いた。まるでこうなることが分かっていたみたいな、そんな声音だ。

 黒服たちはじわじわと僕らへと近づいてきて、通路の落下防止ガラスの前に追い込まれる。 

「く、来るな」

 僕は海里を庇うように前に立ち、威圧する。しかし、人数の差は歴然だ。道をどこかから切り開くしかない。

 エレベーターの前に立つ黒服のリーダー格に殴りかかる。が、あえなく躱され、腕を掴まれた。

「離せよ、この」

 右足でその横っ腹を蹴り飛ばそうとするが、軸の左足を蹴り飛ばされ、身体は前のめりに崩れる。

「押さえておけ」

 その命令に、周りの二人が僕に乗っかり完全に身動きがとれなくなった。

「では、参りましょうか」

「うん。そうだね」

 その問いかけに海里は小さく頷いた。そして、その背中が次第に離れていく。

「おい、待てよ。この」

 じたばたするが、二人の男の拘束はびくともしない。

「海里、待て、行くなー」 

 僕の叫び声に、海里は足を止めて、ゆっくりと振り返る。

 寂しげで、諦観を含んだ表情が僕の目に入る。それでも、目の前に立つ少女は精一杯の笑顔を貼り付けて言った。

「いままでありがとね、一帆。それから――」

 最後の方はか細く、よく聞き取れなかったがなんとなく、僕には言わんとしていることが分かった。

 足音が次第に離れていく。その音を耳で拾いながら、僕はただ、己の無力さを痛感していた。


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